第11話 娘の疲れ

 佐々木さんの訪問を続けて、一ヶ月が経った。

 私は、和子さんとの時間を大切にするようになった。

 リハビリだけじゃなく、歌を歌ったり、昔話を聞いたり。

 

 和子さんは、毎回私のことを忘れる。

 でも、毎回、嬉しそうに迎えてくれる。

 それが、私には嬉しかった。

 

 ただ、一つ気になることがあった。

 娘の真由美さんの様子だ。

 

 最初に会った時から、疲れているようには見えた。

 でも、最近、その疲れが酷くなっている気がする。

 

 ある日の訪問。

 インターホンを押しても、返事がない。

 もう一度押す。

 

「はい」

 ようやく、真由美さんの声がした。

 

 ドアが開く。

 真由美さんは、明らかにやつれていた。

 目の下にクマができている。

 

「すみません、遅くなって」

「大丈夫ですか」

「ええ、ちょっと寝不足で」

 

 部屋に入ると、和子さんがソファに座っていた。

「あら、いらっしゃい」

「こんにちは」

 

 リハビリを始める。

 でも、私の気持ちは、真由美さんに向いていた。

 台所で、真由美さんが座り込んでいる。

 

 リハビリを終えて、真由美さんに声をかけた。

「真由美さん、少しお話ししてもいいですか」

「え、ええ」

 

 和子さんには、テレビを見ていてもらう。

 真由美さんと、少し離れた場所で話す。

 

「最近、お疲れのようですが」

「...ばれてますか」

「少し、心配で」

 

 真由美さんは、深いため息をついた。

 

「実は、夜が大変で」

「夜?」

「母が、夜中に起きるんです。そして、外に出ようとして」

「徘徊ですか」

「ええ。一人暮らしだから、危なくて」

 

 真由美さんは、疲れた顔で続けた。

 

「だから、私が泊まり込むようになって。でも、夜中に何度も起きるから、全然眠れなくて」

「それは、大変ですね」

「仕事もあるし、家族もいるし。でも、母を一人にはできないし」

 

 真由美さんの目から、涙がこぼれた。

 

「もう、限界なんです」

 

 私は、何と言っていいかわからなかった。

 

「施設に入れようかって、何度も考えました」

「...」

「でも、母は家がいいって。ここがいいって」

「そうですか」

「私も、できれば家で。でも、もう無理かもしれない」

 

 真由美さんは、顔を覆った。

 

 私は、すぐにステーションに連絡した。

 中村さんに、状況を説明する。

 

「わかった。今から行くわ」

 

 三十分後、中村さんが到着した。

 真由美さんと、じっくり話をする。

 

「真由美さん、一人で抱え込まないで」

「でも」

「介護は、一人でできるものじゃないのよ」

 

 中村さんは、優しく、でもはっきりと言った。

 

「ショートステイ、使ったことある?」

「いえ」

「じゃあ、ケアマネージャーさんに相談しましょう。週に何日か、お母さんに施設に泊まってもらうの」

「でも、母が嫌がるかも」

「最初は嫌がるかもしれない。でもね、真由美さんが倒れたら、お母さんはもっと困るのよ」

 

 真由美さんは、黙って聞いていた。

 

「介護する人を支えるのも、私たちの仕事なの。一人で頑張りすぎないで」

 中村さんの言葉に、真由美さんは静かに泣いた。

 

「すみません。弱音を吐いて」

「弱音じゃないわ。あなたは十分頑張ってる」

 

 その日、中村さんはケアマネージャーに連絡を取った。

 ショートステイの手配。

 夜間の見守りサービス。

 真由美さんの負担を減らすための、具体的な計画。

 

 私は、ただ見ていることしかできなかった。

 

 帰り道、中村さんに言った。

「私、何もできませんでした」

「そんなことないわ」

「でも」

「あかりちゃんが、真由美さんの変化に気づいてくれた。それが大事なのよ」

 

 中村さんは、自転車を止めて、私を見た。

 

「リハビリは、患者さんだけを見てればいいわけじゃない。家族も見る。介護してる人も見る」

「家族も」

「そう。家族が倒れたら、患者さんも困る。だから、家族を支えることも、私たちの仕事なの」

 

 私は、また一つ、学んだ。

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