第6話 新しい目標
一週間後、私は再び田中さんの家を訪れた。
今日は、ある提案を持ってきた。
「田中さん、こんにちは」
「...おう」
前回より、少し明るい返事だった。
「今日は、ちょっと提案があるんです」
「提案」
「はい。田中さん、昔、大工さんだったんですよね」
「...ああ」
「木工、得意でしたか」
「まあな。仕事だったから」
私は、持ってきた写真を見せた。
片手で作れる簡単な木工作品の写真だ。
「これ、見てください。箸置きとか、コースターとか」
「...」
田中さんは、写真を見ている。
「これ、左手だけでも作れるんです。治具っていう道具を使えば」
「左手だけで」
「はい。もちろん、最初は難しいかもしれません。でも、練習すればできると思います」
田中さんは、しばらく写真を見ていた。
「なんで、こんなもの作るんだ」
「お孫さんに、プレゼントしませんか」
田中さんの顔が、少し変わった。
「孫に」
「はい。おじいちゃんが作った箸置き。きっと、喜びますよ」
「...できるかな」
「やってみましょう。一緒に」
田中さんは、少し考えて、頷いた。
「...やってみるか」
私は、嬉しくなった。
初めて、田中さんが前向きな言葉を言ってくれた。
「じゃあ、まず手と腕のリハビリから始めましょう。木工するには、ある程度の筋力と器用さが必要です」
「...ああ」
その日から、田中さんのリハビリが変わった。
目標ができたから。
孫へのプレゼントを作る、という目標が。
肩の運動も、肘の運動も、手首の運動も。
全部、そのための準備だ。
田中さんは、少しずつ真剣に取り組むようになった。
二週間後、私は簡単な治具と材料を持ってきた。
ホームセンターで買った、柔らかい木材。
紙やすり。
固定用の治具。
「これで、作ってみましょう」
「...ああ」
最初は、うまくいかなかった。
左手だけでは、木材を固定するのも大変だった。
田中さんは、何度も失敗した。
「...だめだ」
「大丈夫です。最初はみんなそうです」
「でも」
「もう一回、やってみましょう」
私は、治具の使い方を工夫した。
田中さんの体の使い方を工夫した。
少しずつ、少しずつ。
一ヶ月後、田中さんは初めての箸置きを完成させた。
少しいびつだけど、ちゃんと箸置きの形をしている。
「...できた」
田中さんの顔に、初めて笑顔が浮かんだ。
「すごいです、田中さん」
「...本当に、できた」
奥さんが駆け寄ってきた。
「あなた、すごいじゃない」
「...まあな」
田中さんは、照れたように笑った。
「これ、孫にやる」
「喜ぶわよ、きっと」
私は、その光景を見て、涙が出そうになった。
これだ。
これが、本当のリハビリなんだ。
機能を回復させることも大事。
でも、それ以上に大事なのは、その人の人生を取り戻すこと。
田中さんにとって、孫と繋がることが人生だった。
それを、少しでも取り戻せた。
帰り道、桐島さんに報告した。
「田中さん、箸置き作りました」
「そうか」
「すごく嬉しそうでした」
「よかったな」
桐島さんは、少し笑った。
「お前、成長したな」
「え」
「最初の頃は、ただリハビリをやらせようとしてた。でも今は、患者さんの人生を見てる」
「...ありがとうございます」
私は、嬉しかった。
桐島さんに認めてもらえた。
でも、それ以上に、田中さんの笑顔が嬉しかった。
私は理学療法士として、まだまだ未熟だ。
知識も技術も、まだまだ足りない。
でも、一つだけわかったことがある。
リハビリは、体を治すだけじゃない。
その人の人生に、もう一度光を灯す手伝いをすること。
桐島先輩が教えてくれた、本当のリハビリテーションの意味。
私は、その入り口に立ったばかりだ。
でも、確かに一歩、前に進めた。
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