第27話 魂に触れた瞬間
数年ぶりに私は舞台の中央に立った。
稽古場に流れていたざわめきが止まり、空気が張り詰めた。
誰もが一瞬、冗談かとでも思ったのかもしれない。
でも私は、そんな視線のすべてを背中で受け止めて、台詞の一言目を口にした。
「……違う。私は、檻に閉じ込められてなんていない。私がここにいるのは、私が選んだ場所なのよ」
薄暗い照明の中、私は歩みを一歩だけ進めた。
静かに、でも確かな歩幅で。
……心臓が鳴る。けれどそれは緊張ではなかった。
この舞台の、空間の、照明の、すべてが私の味方だった。
私は視線を上げ、見えない“相手”に向かって想いを放つ。
「たとえ過ちだったとしても……私は、自分の言葉で立ちたかった。
誰かの光じゃない。私自身の灯りで、歩きたかったのよ」
台詞を追いかけるように、微かな息が漏れた。
抑えていた感情が、ひとつ、またひとつと言葉に溶けていく。
これは演技。でも……これは私の“本音”だった。
一歩、また一歩と歩み寄る。
舞台の隅に立つ“相手”に向かって。
ほんの少しだけ、視線を逸らして、それから戻す。
「……だから、そこから出てきて。
檻の中にいるのは、あなただけじゃないから」
声の最後に、かすかに震えが混じった。
自分でも驚くほどに、深い感情が乗っていた。
沈黙。誰も言葉を発さない。
その静けさが、私の演技が“届いた”ことを証明していた。
サングラス越しに、有馬が私を見ていた。
ほんの一瞬、わずかに……本当にわずかに、目を見開いたように見えた。
私は見た。その無表情の奥で、彼の心が動いたことを。
私の演技が、今、有馬の“魂”に触れたのだと確信した。
私が台詞を終えると同時に、空気が変わった。
稽古場には誰の声もなかった。
時計の針の音さえ聞こえるような沈黙の中、私はゆっくりと視線を上げる。
そして、ふと……慧と目が合った。
彼女は、何かを言いかけたように口を開きかけて、すぐに閉じた。
その瞳の奥に一瞬、わずかな揺れがあった気がする。
でも、なぜだろう。
私は、その“揺れ”の意味が分からなかった。
「……ありがとう、千景。朝比奈、今の千景の芝居を思い出しながら、もう一度やってみろ」
有馬が、短く言った。
ただそれだけだった。
相変わらずサングラスの奥は読めない。
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