【カクコン11】卵の素

七月七日

第1話(1話完結)

「ねぇ、今捨てたそれって卵の素だよね」

 舞香が布団の中でゴソゴソと下着をつけながら、ベッド脇の屑入れを見ている。


「卵の素?」

 僕は、もう履いちゃうの?と言おうとしてやめた。また脱がせればいいや。布団に潜り込んで、舞香の頭の下に腕を差し込んだ。


「うん、卵の素」

 舞香は僕の胸に冷たい手のひらを押し当てた。冬になると舞香の手足は、氷のように冷たくなるから、こうやって急に肌に当てられると、ヒヤッとする。


 今捨てたそれ。ことが終わったあと、僕が口を縛ってティッシュで包み、屑入れに放り込んだアレだ。


「あれは精子だよ。卵の素は卵子のほうじゃん、君の中のさ」

 舞香の冷たい手を僕の手で包んで温めてやる。


「卵子と精子が一緒になって初めて卵になるんでしょ。だからどっちも卵の素じゃん」

 舞香は布団に頭まで潜り込んで、今度は冷えた頬を僕の胸に押し当てた。


「ん〜、そうとも言うの、かなぁ?」

 いいながら、僕は舞香の頭を抱きしめた。いつもと同じシャンプーの香りを胸いっぱいに吸い込む。ああ、舞香の香りだ。


「そうだよ〜、それにヒロくんのはそうやって目に見えるけど、私のは見たことないもの。下着に何か付いてる事あるけどね、それが卵子なのかどうか分かんない」

 舞香は布団から手を出して、僕の両ほっぺたを引っ張った。機嫌がいい時の舞香がいつもやる動作だ。


「見えるって言ってもさぁ。ただの液体だけどね、僕のも。おたまじゃくしが見えるわけじゃない。で、卵の素がどうかしたの?」

 どうせ舞香のことだ、またなんか突飛な考えが浮かんだんだろう。もう慣れっこだし、そこが彼女のいいところの一つなんだ。


「生きてるんでしょ」

「どうかなぁ。生きてるって思った事ない」

 やっぱりな。精子が生きてるかどうかなんて考える彼女の感性は独特だ。


「同じ身体から出てくるモノでも、オシッコとかウンチとは違うじゃん」

「そ、そりゃそうだな、命のみなもとだもんな」

 何が言いたいんだ?この話の着地点が見えないぞ。


「可哀想だなって」

「可哀想?だったら、飼ってみる?」

 舞香の目をじっと見つめて真面目な顔で言ってみた。


「飼えるの?」

 舞香は目をキラキラさせている。ほらね、この反応が舞香だよ。可愛い。


「無理だと思うよ、多分すぐ死んじゃう」

 僕の精液をガラスの容器か何かに入れて、じっと見てる舞香の様子が目に浮かんできたから、僕はすぐに打ち消した。


「それも可哀想かぁ」

 マジで飼おうと思ったのか?何考えてんだか。


「それにあのメダカの赤ちゃんより小さいからね、顕微鏡でしか見れないんじゃない?」

 舞香が買って来たメダカを僕が育てて、二年半が過ぎた。生まれたメダカが翌年また卵を産んで、あの針子*たちが生まれたのが今年の夏だった。一年前に結婚して少し広いマンションに引っ越してからも、まだ元気に泳いでいる。


「じゃ、可愛がれないね」

 本気で残念がってるように見えるぞ。うん、その顔は本気だな。


「ペットは精子ですって人、聞いた事ある?」

 自分でもバカな質問だと思うよ。


「ない」

「だよねー。それよりさぁ、僕の卵の素がまた外に出たがってるんだけど」

 舞香のパンティに手を伸ばして、誘ってみた。


「また可哀想なことするの?」

「えっ、ダメなの?」


「一匹でも救ってやりたい」

 舞香は僕の首に手を回して抱きついてきた。


「‥‥‥え?それって」

「卵を作ろ、ヒロくんと私の」

 普通なら子どもを作ろうとか、赤ちゃんを作ろうとか言うんだろうけどな。舞香らしいさ。


「分かった。救ってやろうね」




『卵の素』: 了



 *針子:生まれたばかりのメダカの赤ちゃん。針の先っちょのように見えるのでこう呼ばれる。


 あとがき:この作品は、拙作『かえる五景』の二人の主人公ヒロくんと舞香の物語の続編です。

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