第9話 小競り合い

 はぁ。

 最近職場に来ると、溜め息ばかりついている気がする。

 雲が高く緩やかに流れる晴天の日には、似つかわしくない。


 今日は、少年が指定した決闘の日だ。

 ……有給休暇だ。

 ……気持ちとしては、とても帰りたい。

 家から職場に来るまで、こんなに足が重くなったことはなかった。

 

 グラウンドに集まったのは200人くらいはいるだろうか。

 全員が、木刀を握る私と少年に野次を飛ばしている。

 

「さぁさぁ、オッズはマートレー25倍、リチェルカルドは1.2倍だ。チョコスコーンが450、ビールは750!」

「僕のオッズ高すぎませんかレイヴァー少将!!」

 

「賭け事、販売、諸々もあるが……アルコールはやめろ!!なぜ全員そんなにサボってるんだ!!今テロリストが来たらどうするんだ!仕事に戻れ!!」

 私が怒鳴っても、誰も聞かない。

 

「有給休暇に文句言うな天パ教官ーー!!」

「頼む1万やるから負けてくれー!!嫁のへそくり使っちまって死にそうなんだ頼むー!!」

「頑張れチビー!!」

「黙れハゲーーー!!」

「鬼教官負けろー!!俺に彼女よこせーー!!」

「誰が鬼教官だ!!無茶言うな!!!」

 

 会場は退屈を潰しにきた男達の熱気で、完全に本来の目的から外れている。

 今負けろと言ったのは私の元直属の上司だ。

 この前嫌味言ってきた上官もチョコスコーンを山のように抱えてこちらそっちのけで美味しそうに食べている。

 

 ……ここ東部の大体のトップ層がグラウンドにいる今、誰が仕事をしているんだ?

 

「……はぁ。長くすると、全員の仕事に支障が出る。さっさと終わらせるか。私も早く帰りたい」


 私は一番調子に乗っている男を探し出し、木刀を向けた。

 

「レフェリー。……レイヴァー。そこのスコーン売り。さっさと依頼した本来の仕事をしろ。私は賭博を依頼したのではない」

 

 この男は、人が集まり切るまでぐだぐだと宣伝して回ったのだ。

 

「OK、想定していた観客数は超えた。いいだろう。両者、準備はいいか?」

 

 レイヴァーがビールをバックから仕舞うと、代わりにオートマチック型のハンドガンを取り出す。

 よく見えないが……空砲だよな?

 

「それじゃ、レディー、……ファイ!!」


 

 レイヴァーはハンドガンを落とすと、瞬時に巨大クラッカーを思い切り引いた。

 

 弾ける音、足で思い切り踏み込み、通過した瞬間、紙吹雪が視界を掠める。

 

 少年は一瞬怯んだような顔をしたが、木刀に力を込めて真正面に構える。

 

 心意気はいい。

 まずは度胸試しだ。

 

 右手で持った木刀を左下から思い切り少年の剣を斜め上に叩く。

 ビリビリと少年の手の中で揺れるが、落としはしない。

 そのまま逆へ、左下へ叩き落とそうとするが、少年は歯を食いしばって耐えている。

 

 ふむ。

 

 それならばと、一旦足を後ろに蹴り引く。

 少年はハッとしたような顔付きで追いかけてきた。

 

「うわああああ!!」

 

 走る時の重心がよくない。

 レイヴァーは直さないのだろうか。

 突きを横のステップで交わす。

 このまま隙だらけの側面に打ち込んでもいいのだが……。

 

 少年はブレーキをかけ、慌てて大振りに私に向けて横薙ぎに木刀を振るう。

 私は思い切りそれを木刀で叩いた後、すぐに柄から手を離す。

 そのまま、左手で拳を作ると足に体重をかけ、少年の腹部へボディブローをめり込ませた。

 

 少年が吹き飛ぶ。


 遠くから聞こえていた野次の音がクリアになり、ブーブーと罵声が飛ぶ。

 

「ボクシングじゃねえぞー!!」

「ズルってことでチビの勝ちにしろレイヴァー!!俺に賞金よこせーー!!利子つけろーー!!」

 

「レフェリー、カウントは?」


 私は観衆を一瞥する。

 さっさと仕事に戻っていただこう。

 私は1日休みを入れたから帰る。

 レイヴァーがカウントを始めると、少年はヨロヨロと立ち上がる。

 沸き起こる歓声がうるさい。

 

「まだだ、まだです」

 

「……面倒なのは、好きじゃないんだがな」

 

 先ほどより遅い駆け込み、バツを描くように切り掛かってくる単調な動き。

 推測も必要はない。

 ただ、剣を受けて、本来落ちる方向へ流す。

 力の抜けた瞬間に、逆方向に叩き上げる。

 それだけで、少年の動きは私が誘導するものになる。

 

「食堂にはもう行かないから、諦めてくれないか?」

「い、やです!!」

 

 理解できないな。目的は達成するのに。

 まぁいい。

 向こうが終わらせないなら、私が終わらせるしかない。

 

 私は、右手で持っていた木刀に左手を添える。

 砂利を踏み締め、頭を低くして少年の木刀へ飛び込んでいく。

 目を見開いて木刀を空高く振るった少年。

 その斬撃を下から、思い切り体重をかけ、押し返した。

 

 耐えきれず弾け飛んだ木刀が、弾け、宙を舞い、観客近くの地面に当たる。

 

 私は少年の首にゆっくりと自分の木刀を添える。

 

「君の負けだ」

 

 少年は悔しそうに、こちらを睨みつける。

 観衆はまたもやブーイングを飛ばしてくる。

 それを聞いて、先日の食堂、トレーニングの空気を思い出した。


 

 ……どうすればいいと言うんだ。

 すると、レイヴァーが急に観客に向かって両手を広げた。

 

「えー、今なら皆さんのお力で、マートレー君の手元に木刀を戻すチャンスが生まれます。

 1回500、2回のチャンスは800、5回セットだと1200で、今ならビール1杯無料もついてくる」

「おい悪徳レフェリー、一体お前はどっちの味方なんだ!!」

 

「頑張れ坊主ーー!!」

「仕事に戻りたくねえよーー!」

 

 レイヴァーは観客のサインをサラサラとメモすると、観客から投げてよこされた少年の木刀を受け取り、少年に手渡しする。

 そして、私に向けてニヤッと笑った。

 

「私の役割は、場をいい感じにすることだ」

 

 この……。

 少年は黙って受け取ると、そのまま構える。歓声が沸き起こる。

 まるで、私が悪役みたいじゃないか。

 

「あまり怪我をさせたくないんだ。私にどうしろと言うんだ」

 

 少年は黙って突っ込んでくる。

 何もかも雑だ。

 ただ、闘志なのか、意地なのか。

 どちらにせよ、気力だけだ。


 

 何度目か。

 本気ではないものの、私が与えた打撃で、半袖から見える腕がだんだんと痣が増えてきた。

 倒れては立ち上がる際に震えている。

 対する私は、ずっと困っている。

 

 流石に私が今勝っても負けても、沽券に関わることはないだろう。

 だが、今更あからさまに私が木刀を適当に放り投げて負けたとしても、彼は納得しないだろう?

 じゃあ、私はどうすればいいと言うのだ。

 

 ふらふらと遅い振りが今も向かってくる。

 どうしよう。

 私はレイヴァーを見た。

 すると、レイヴァーは目線を逸らし、いつも細い目を見開いて、右側を指差した。


「あ、セナさん!!」

「え??」

 

 レイヴァーが口にした名前に、反射的に首が動いて思わず観客を探す。


 また忍び込んだのか?!

 こんな男ばかりの危ないところに?

 

「どこに……がっ!!?」

 

 頭頂部に、重い衝撃が走り、重心が崩れる。

 足を踏み直そうとした、だが、視線が定まっていなかったせいで、足が滑った。

 体勢が維持できない。

 

「ずべっ!!」

 

 そのまま転ぶ。

 滑るように地面に倒れ、砂利が口に入った。


 ……痛い。


 格好悪い転び方をしたせいで、周りを見るのが怖い。

 

 一瞬、静まった。そして、男達の雄叫びがグラウンドを揺らした。

 

「勝ったぞ!!チビが勝った!!!!!」

「25倍!!!25倍!!!!!俺の命が助かった!!!」

 

 慌てて、私は膝を立てて立ち上がる。

 

「ちょっと!!今のは滑っただけだが!!?今のが負けなら今までのはなんなんだ!!」

 

 私が抗議するが、誰も聞いてくれない。

 レイヴァーが私の方に手を置いて、首を振った。

 

「お前の負けだ、ケティス。勝者、ジャック=マートレー!!!!」


 爆発音のような大歓声は、私の正論等、少しも聞き取る気は無いようだ。

 私は砂利を吐き、腕で口元を拭った。


 世の中、不条理だ。


 

「裏切り者。居ないじゃないか」


 それから、私はしばらくしてレイヴァーに小声で訴える。


 赤い頭なんて、どこにもなかった。ほっとしたような、違うような。


 レイヴァーは飄々と、ただいつもより深い笑みを浮かべる。

 

「あぁでもしないと、誰も納得しないだろう?観客が求めるのはドラマ性だ。別に、私の目的はお前を短期的に勝たせることじゃない」


 肩をすくめ、レイヴァーはわざとらしく人差し指を立てて左右に振る。 


「お前は真面目にやっていればいい。お前の周りを踊らせるのは、私の役割なのだからな」


 どうやら、どうあっても私は負けることになっていたらしい。

 不服だが、周りのあの喜びようを見てしまうと、否定は難しかったのだと今は分かる。


「私が負けていたらどうしたんだ。それに、セナの名前で反応しなかったら。あと、バックするお金、結構あるんじゃないのか」

 

「ここでヘマをするようなら、私はあの時に参謀役に立候補しないさ。オッズの返金も、将来の人望の投資と思えば安いものだろう」


 全部想定内だ、と。

 

「……全く」

 

 疲れた。

 私は、木刀を放り投げた。

 早く帰りたい。

 

「アルコールと瓶だけは、今後は扱うなよ。危ないから」

 

 

 観客が飛び跳ね、踊り、スコーンをグラウンドに投げる。

 最早ここが職場だと、誰も分かっていないようだった。

 

「僕は……勝ったとは思っていません」

 

 同僚に両肩を担がれていく前に、少年は私に近づいてきて宣言した。

 

「どんな勝負だったとしても、僕は、1度は貴方に勝ちますから」

 

 そして、励ます同僚達と遠ざかっていく。

 なんなんだ、一体。

 

 レイヴァーが入金の案内をし、観客たちが少しずつ帰っていく。

 興奮したまま、まだ立ち話をする者も結構な数がいた。

 

 ……ちゃんと皆、有給休暇申請は正しい時間を申請するよな?

 

 その中で、何人かの青年達が興奮した顔でやってきた。私の部隊の子もいる。

 

「リチェルカルド中将、格好良かったです!!

 昔、あの伝説のお兄さんを剣技大会で負かして優勝したって聞いたことあったんですが、マジだったんですね!!」

「弟子にしてください!!」

「俺も部隊に入りたいです!!」

 

 一度に言われ、誰に焦点を向ければいいのか分からない。

 

「あ、えーと。兄の勝負は本当に偶々、相手の調子が悪かったんだ。

 弟子は……申し訳ないが、もういるから。部隊は……人事に掛け合って欲しい」

 

「残念、でも、スッゲーかっこよかったです!!」

「マジで休みとって来てよかった」

 

 こんなにキラキラした顔で見られるのは初めてかもしれない。恥ずかしいな。

 

「偶になら……教えられると思う。終業後になるし、私の時間が合う時になるが」

 

「えぇ、いいんすか!?」

「やった!!」

 

 嬉しそうにしてもらうと、つい頬が緩む。

 

「よかったじゃないか、ケティス。でも、マートレーはまだ諦めてないみたいだな」

 

 のうのうと言うレイヴァー。誰のせいで負けることになったんだ。

 

「何があっても中将が勝ちますよ!!」 

「あ、あぁ、善処はするよ」

 

 勝てるかな……。お絵描き勝負とか言われると、ちょっとだけ苦手なので不安がある。

 しかし、彼らの期待に応えたい。

 

 レイヴァーも大袈裟にうんうんと頷いた。本当に何様のつもりだ。

 

「そうだな。ケティスは大体なんでもできるからな。私が保証する。

 あ、でも、童貞に関してはどちらが早く卒業するかは厳しいかもしれないな!」

 

 

 世界が固まった。

 

 

 周りの困惑、え、嘘でしょと言う小声が耳を逆立て、血管が顔中に湧き立つ。

 

 ……。


 私は今日初めて明確な殺意を持って木刀を握りしめた。

 

「レ、レ、レイヴァアああああ!!!」

 

「あっはっは!!君達、ケティスに勝てる勝負があるみたいだぞ!!」

「今日という今日はぜぇーっーーたい!!!許さないからな!!!!」

 

 脱兎の如く逃げるレイヴァーを追いかけていく。

 

 私の上司生命が終わった代わりに、命で償わせてやる。

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