第8話 兄の婚約者
日曜日、誰も家に来る予定もないので、買い物にでも行こうとしていたところだった。
玄関先の扉で、1人の女性が悩んでいる様子なのを見つける。
私に気付いて安心したのか、一礼してきた。
どうやら、私のお客さんのようだ。
「初めまして。
豊かな波打った金髪を揺らし、優雅にお辞儀をする女性。
「ええ、そうです。初めまして」
ファンクラインともなれば名家の御令嬢だ。どうして私の家に来たのだろうか。
「実は、ケティウス様のお兄様、クリストファー様の関係でお話をしたくて伺いましたの」
納得した。そういうことか。
兄はモテる。
兄に惚れた令嬢が私に兄の好物や弱点を聞きに来たことは何度もある。
そう聞かれても、私だって兄がコーヒー好きな暴力男だ、くらいしか言えないのに。
「あいにくですが……兄には今恋人がいるようなので、恋愛相談は御協力お願いできないかもしれません」
そういうと、フィグネルと言った令嬢は慌てたように首を小さく揺らし、長い髪を揺らした。
「いえ、違うのです。私、この度、クリストファー様と婚約いたしまして。将来、義弟となるケティウス様に挨拶に来たのです」
「はい?」
玄関で話し続けるのも失礼なので、家に招く。
「まぁ。リチェルカルド家の直系次男であられるのに、可愛らしいお住まいなんですのね。使用人は居られないのかしら?」
「元々、母も最低限の使用人しか入れていなかったので。私は兄と違って軍人として生きてきたので、自分のことは自分でやるスタイルなんですよ」
彼女くらいの令嬢だと、そもそも玄関から家までが近いことから驚きの連続だったかもしれないな。
私のこの家が借家なんて知ったら、それこそなんで?と思うかもしれない。
「アールグレイとスミレの砂糖漬けはお好きですか?」
「ありがとうございます。いただきますわ」
はしたないと思っているのか、顔こそ動いていないが、視線はキョロキョロと物珍しそうに動いている。
「どうぞ。ここは貴方達の地区から離れていますが、近くに車は見られませんでしたね。お待たせしたのではないですか?」
「大丈夫です。ただ、こちらの住所が合っているか分からず……突然の訪問ですのに、入れていただき感謝いたします」
私の実家や彼女の家のような高級住宅街ではない、一般的な閑静な住宅街に住んでいること自体が違和感があったのだろう。
私は、改めて確認する。
「それで。フィグネルさんが兄の婚約者というのは、本当なのですか?言ってしまったので正直に言いますが、兄にはまだ恋人が居たはずですが」
「ええ。居られるのは承知です。ですが、これは家同士の取り決めですので」
彼女は姿勢を崩さず、きっぱりと言った。
兄が知らなかった、ということはないとは思う。
いや、知っているはずだ。
「そうですか。それでも良いのですか?」
そう言うと、フィルネルさんの顔があからさまに赤く染まった。
兄に恋する女性はいくらでも見てきた。
だから、彼女が兄に懸想を抱いているのは、私にもわかる。
「あの方の側に居ることだけでも光栄とは分かっておりますから、お心まで欲しいとは思いません」
「私は、貴方の味方になるとは言えません。ただ、兄の側にいることは、それだけで辛い目に遭うこともあると、思いますよ」
彫刻のような顔と誰かが言った。
兄の中身を知っている私ですら否定できないのだから、現代の美の基準で言えば、兄は稀な美貌の持ち主なのだろう。
兄は本人が望んでも望まなくても他人の心を掴んで離さない。
青年期まで何度も誘拐騒ぎが起きていたし、恐らく、結婚したとしても誰かの執着は止まらない。
それでも、彼女のモスグリーンの瞳に憂いは見られなかった。
「いいのです。貴方様に手伝っていただこうとは思いません」
彼女は私をはっきりと見つめる。
その意思の力強さに、逆に私が戸惑うくらいだ。
望まれないのに、追いかける。
兄を追う女性達、全てが覚悟しなければならない。
私だったら、望まれていないなら追いかけられない。
……でも、そうでもしないと兄さんに届きはしないのかもしれない。
手を伸ばさなければ、掴める星もない。
そう考えると、正しいかはともかく、かなりの勇気を持った人達だ。
「ただ、今回はケティウス様がどんなお方か知りたくてご挨拶に参りましたの」
口を押さえて優雅に笑うフィグネルの前に、茶器を置き、アールグレイを注ぐ。
「あまり社交の場にお出になられないようで、どなたもお人柄を知らないとおっしゃっていましたもので」
暖かい湯気が二人の間で立ち昇る。
私は対面の位置でソファに腰掛けた。
「そうですね。兄と違って、人見知りなもので。男ばかりの場にいたもので、貴方の様な華やかな女性に失礼がないか、今も心配していますよ」
「まぁ、ご冗談を。ケティウス様も、社交の場に出たらきっとクリス様と並んで、女性の皆様の注目の的になるはずですわ。こんなにお優しくて、端正な顔立ちなんですもの。至高の黒曜石と謳われるお兄様ですが、貴方様もまるで琥珀の様ですわよ」
「さて、どうでしょうか」
兄はまた変な名前を付けられているのか。
私には女性達の激しい兄の取り合いの中、押し出されて壁に張り付く可哀想な自分が想像できる。
ただ、お世辞はお世辞で否定する必要もない。
「今回、とても誠実で優しいお方と知って安心しましたわ」
「家には用事があまりないので、実家では会うことはないと思いますが、仲良くしていただけたら嬉しいですね」
私が微笑むと、フィグネルは安心したのか少し肩を落としていた。
私は、これ以上は話すこともなく、ただお茶を飲んでいた。
ふと、フィグネルがカップをまじまじと見つめる。
「失礼ですが、この茶器、もしかしてアンティークコレクションでご購入なされました?オークションに出ていたものと似ているような」
「よくお分かりですね!!」
思わず語気が強くなり、一旦黙る。
そう、そうなんだ。
折角お茶がいいものなら、いい茶器なら味が変わるかな?と茶器を選ぶ様になった。
味は変わらなかったが、お茶の時間が贅沢になったような気がして、そこから自分のお気に入りのデザインを揃え始めたのが3年前。
弟子にはよく分からない、兄には飲めればなんでもいいだろと言われ、1人寂しく集めていたのに、分かる人と会えるとは!!
「コップの飲み口の口当たりの柔らかさ、割れにくさといった実用性がありながら、デザインもシンプルながら独自性があっていいんですよ」
「他の国の王族もよく好んで使われておられるのが分かりますわ。はちみつとシナモンの風味が広がりやすいようになっていますわね。少しスパイスも入れられておられますか」
「分かりますか!そうです、そうなんです」
思わず身を乗り出す。
これは、語ってもいい人だ。
自慢のティーカップをお茶の種類毎に何回か変えてから、結構な時間が経ったことに気がつく。
お茶と茶器関連の話だけだったのに、あっという間だった。
「突然の訪問なのに、長居してしまって申し訳ございません。ケティウス様の見識が深くて、思わず聞き入ってしまいましたわ」
優雅に口元に手を添えて笑う。
「いえ、私も引き留めて申し訳ありません。あまりもてなしはできませんが、気が向いたら遊びに来てください」
私は兄をイメージして、ウインクしてみた。
うまくいかず、顔がつった時の様になる。
「兄の弱点は兄に殴られるので言えませんが、昔の思い出くらいは話せますから」
「いいんですの?」
私は笑って返す。
「兄がいかにダサかったか、カッコ悪かったかばかり話す予定なので。惚れ続けたければ、来ないほうがいいかもしれませんね?」
「いいえ、行きますわ。お兄様のお話だけでなくても、またお茶のお話だけでも。我が家に来る貿易商に、珍しいお茶を用意させますので」
「はい、お待ちしていますね」
車にのりこむフィグネルに満面の笑みで手を振り、姿が見えなくなると家に戻る。
いい人だったな。
お茶仲間なんて初めてできたし、初めてこんなに熱く語ったかもしれない。
裕福な家はやはり色んなお茶を飲んでいるんだな。
兄の方は結局問題は片付いていないようだが……兄は兄だし、私は私だ。
珍しいお茶ってなんだろう。早く見てみたい。
自然と口角が上がる。
こんなにいつか来る日が待ち遠しいのは、久しぶりかもしれない。
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