第7話 師の相談と弟子の提案
平日が長かった分、土曜日の朝はいつもより輝いて見える。
私はお茶の用事以外はソファの前から動かない。
それが今日の予定の全てだ。
“おじいちゃんみたい“
この前言われた言葉を思い出し、頭を振る。
おじいちゃんだっていい。
私は疲れているんだ。
「大丈夫?」
弟子の言葉で天井に向けていた目線を下ろす。
「なんだか、とろんとして疲れてそうな目をしてる。来るべきじゃなかったかもね。ごめんね、帰ろうか?」
そう言って立とうとするセナを手を伸ばして引き留める。
「あ、えっと。来るべきじゃなかった訳では、ないです。そうですね、えーっと……」
仕事のことを思い出す。
手を伸ばしたまま、指先だけ上下に振って、ソファに座って、と合図を出した。
……どこまで言っていいんだろう。
私は手を下ろして、目線を自分の手に落とした。
「……お茶、淹れてくれますか」
「了解。師匠の今の気分的に……そうだね、ミントティーとミルクティー、どっちがいい?」
「ミルクティーが欲しいです」
「分かった。待ってて」
あまり声量が出なかったのに、セナは全て聞き取れたらしく、すぐに立ち上がると、きびきびと動き出す。
私はソファに横になって、目を閉じた。
陶器のカチャカチャと当たる音、お湯が沸く音、注ぐ音が聞こえてくる。
落ち着くような、くすぐったいような音だ。
「お待たせ」
ありがとう、と言って、起き上がり、香りを嗅ぐ。
私が厳選した茶葉を使っているのもあるが、セナは淹れ方が上手い。
理屈は分からなくても、身体で覚えて真似できるからだろう。
一度一緒に極めてみないか、と言ったことがあるが、あたしは剣を習いに来たんだよ?と言われて断られてしまった。
「落ち着いた?」
「ええ」
そっか、とセナは笑って自身のストレートティーに口をつけた。
「お茶菓子は、今出す?要らない?」
首をゆっくり振る。今週は、喋りたくない訳ではないのに、口が重く感じる。
セナはずっとお茶を飲んで、黙っている。
ただ、微笑んでくれているから、リラックスはしてくれているようだ。
「……ねぇ、セナ。私って……怖いですか?」
そう言ったら、はは、と笑ってセナは指先でお茶を揺らした。
「怖かったら、この前みたいにさ、妹達やクリ兄が軽口叩いたりしないと思わない?」
「それは……馬鹿にされていると?」
私が口を尖らせると、セナの笑みが深くなる。
「妹達は懐く相手を考えているよ。そういう人が側にいてくれて、姉としてもありがたいと思ってる。師匠が居てくれて、良かったよ」
姉として、色々考えて答えをくれているのだろう。
私は、セナを見つめて、自分のお茶の波紋に目を向けて、もう一度セナを見た。
「……貴方は?」
セナと目があった。
優しい笑みを浮かべているのに、時折、綺麗な目がこちらを見通しているような気がしてくる。
私は居た堪れず、一度カップを置き、また持ち直した。
「……怖かったり、嫌いだったら今ここに居ないよ。むしろ、師匠って犬っぽいじゃん。怖がる必要が、どこにあるのさ?」
……犬?
犬って、あの?
ひどい。歳上なのに。
言葉に詰まると、弟子は声を上げて笑う。
「あはは、褒めてるんだよ。素直で何考えてるか分かりやすいってこと!表情に出てるから、大体何考えてるかは分かるよ」
そんなに表情動いてるかな。自分の頬を揉んで表情筋を確かめる。
「職場で言われたの?
職場の人なんて、お金で繋がってるだけなんだから気にしなきゃいいのに」
「そんな訳にはいきませんよ。お金をもらっている分、私は部下を守る責任があります」
セナは短期的に働いていることが多いが、私の職場は、基本的に異動があってもいずれ出会うと思った方がいい、長期的な人間関係だ。
真面目だね。そう言って、セナは半分になった紅茶にミルクを注いだ。
「師匠はさ、きっと周りの人はいい人って思ってる。幸せなことだと思うよ。だから、守りたいって思うんだろうね」
セナはティースプーンでミルクを混ぜる。
「でも、殆どの人は、自分ばかりが大事なんだよ。そんな人達のために傷つく必要はないと思う。もっと師匠は、自分を大事にして、大事にされてほしい、と思うかな」
そうだろうか。
私は、周りを大事にできているのだろうか。
「私は、冷たい人らしいんです。でも、加減が分からなくて」
セナはティースプーンを止め、じっとこちら見つめてきた。
私は気まずくて、視線が重力に逆らえず落ちていく。
心許なくて、左側の方に載せた髪留めを触る。
髪を切るのが面倒で伸ばしていたら、以前セナがくれたものだ。
「師匠は優しすぎるよ。適当でいいんだよ」
セナは、スプーンを皿に置くと、ぐい、と一気にミルクティーを飲み干した。
皿とカップが軽やかに響き合う。
「相手の人生の責任なんかさ、最後まで負えないんだから。あんまり優しすぎるとさ、きっと相手も自分も傷つける。師匠はもっと傷つくと思う。あたしは、そうなって欲しくないな」
話が分かるような、分からないような。
私は頷きたかったが、疲れているのかぼんやりしてうまく考えられなかった。
私が優しかったら、交流ができたら。
そう思っているのに、弟子は逆だと言う。
「責任とか立場とかさ、そんなのより、師匠が何を言いたいか、やりたいかでいいんじゃん?」
あまり考えずに、やりたいことをやれ、やっていいよ、ということだろうか。
一度、考えようとした。
でも、頭がうまく回らなかった。
私は、セナに顔を向けた。
「……私が、私のやりたいことをやっていいんですか?あなたはそれを望むと?」
赤い目がいつもより多く瞬きする。
「……ん?んーと、内容によるんじゃん?何、仕事の何を悩んでんのさ。弟子に聞かせてみ」
セナは自分の両膝をポンポン、と軽く叩いて、手招きをする。
「あたしだって多少は人生経験あるんだから。どんどん相談よこしな」
私は、一度目を逸らした。
……セナは、少なくとも私が考えているような意味で言った訳ではないらしい。
「顔も知らない部下から決闘を挑まれて、受けたものの……どうフォローすればいいか分からないんです」
こんな話、弟子にする話題ではない。
自分で考えればいいのは分かるが、どうしても理解ができないのだ。
少年と歳が近い分、分かるんじゃないだろうか。
セナは、今日初めてむ、と眉を寄せる。
「あんた、最近あたしと手合わせしてないのに知らない人とはすぐやるの?」
しまった。
違う地雷を踏んだ。
私は慌てて首を振る。
手も振る。
「ごめんなさい、これは避けられなかったんですよ」
「……じゃあ、後でやってくれる?」
ちょっと笑って聞いてくれた。
許してくれたらしい。
それでも、私はどうしても疲れていて首を振った。
争いとか戦いに関係がありそうなことは、今日はしたくない。
「すみません、今日はとても疲れていて」
「最近トレーニングすら付き合ってくれないじゃん。今日じゃなくてもさ、ちょっとはやって欲しいんだ。だって、あたし弟子じゃん」
「ごめんなさい」
謝罪するしかない。記憶が抜ける前、私から確かに弟子にしたらしい。だから、私は義務がある。
だけれど、木刀でさえ交える度に思う。
セナは女の子だ。
確かに、セナは強い。
恐らく、部下よりもセンスも技術もあるし、軍の剣技大会に出たら、年によっては優勝が狙えるかもしれない。
でも、やっぱり女の子だから筋力やスタミナはない。
交えた時に木刀が弾けて顔スレスレで飛んで行ったり、怪我をするのを見ると、私が剣を握る気力がなくなってくる。
一度、金属の剣で本気でやった時、何センチか針を縫うことになってから、私は事ある毎に言い訳をするようになってしまった。
それでもトレーニングは付き合っていたのだが……控えている理由は殆ど同じだ。言いたくない。
「そっか。そうだよね。ううん。いいんだ。無理言って師匠になってもらっているのは、分かってるからさ」
あはは、と軽く飛び出した声に、私は止めていた息を吸った。
「こうして、押しかけてきても文句を言わず付き合ってくれるだけで、十分だよ」
セナにお茶のおかわりを勧めたが、セナはやんわりと首を振って断る。
自分の分のお茶を注ぐ。
少し、注ぎ方が安定できなかった。
「私があまり付き合えなかったら、嫌いになりますか?」
「……バカだね」
セナは、立ち上がってこちらに回ってくると、勢いのまま私の隣に座った。
揺れたソファに反射的に、私はセナの背中を支える。
セナはに、と口角を上げて私を指差す。
行儀が悪い。私は咄嗟に指を隠すように掴んだ。
「あんたは振り回される側じゃない、振り回す側なんだから、怪獣みたいに暴れておいで」
怪獣みたいって。
私が文句を言うと、セナが笑う。
「いいじゃん、言ってみ、意外とスッキリするかもよ。ほら、ガオーッって!!」
セナは両手で爪を立てるような仕草をする。
ん、と顎を上げる。
やれ、ということらしい。
「……がおー」
「もっと!全てを踏み潰すように!けちょんけちょんに!」
……。
私は掴んでいたセナの指をギュッと握っては離す動作を繰り返した。
一応、肉食の捕食シーンのつもりだ。
「がおー!!」
「いいじゃん!ケティザウルスとして、周りを破壊しちゃいな!あはは!」
セナは大笑いする。
なんなんだ、これは。
……まぁ、でも。
少しは気が晴れたのを、自分でも感じる。
だったら、たまには怪獣になっても、いいのかもしれない。
……いいんだろうか?
私は、片手でセナの頬を引っ張った。
「がおー」
「いたっ、痛いって!食べすぎると太るから!デブ怪獣になるよ!!」
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