第5話 土砂降り

 高校生の頃の恋愛なんて、まだ削られていない鉛筆の様なもの。これから描いていく未来も伝えられないのに、付き合うという言葉が、全てを支配してしまう。好きという気持ちが、本当はなんなのかもわからないまま、キスさえしてしまえば、それが自分の出した答えになってしまうのだから。

 

 叶太、私達はどうして、意地を張ったのかな? 


 県大会の日。

 トーナメント表を見て、男子のシングルスの選手の中に、叶太の名前を見つけた。

 叶太、ずいぶん強くなったんだね。


 揃いのチームジャージが行き交うギャラリーで、叶太が顧問の笠井と2人だけで、席に座っていた。

「渋谷、元気だったか?」

 バドミントン部の顧問で担任だった笠井が、挨拶にきた遥に声を掛ける。

「先生、お久しぶりです。」 

「新しい高校でバドミントン続けられて良かったな。」

「はい。」

 遥は叶太をチラッと見た。

「うちは、叶太がずいぶん頑張ってくれて、今年は県大会までやってこれたんだ。他のみんなも、メキメキ力をつけてるし、この学年には期待してるんだよ。」

 笠井が、叶太の肩を掴んだ。

「会いたいです、みんなに。」

 遥は笠井にそう言った。

 

 母の浮気さえなげれば、自分はずっと叶太の隣りにいたはずなのに。

 ここに座っている叶太の隣りに、自分もあたり前のように並んでいられた。


「渋谷、先生が集まってだって。」

 渉が遥を呼びにきた。遥が渉と歩いていったその先には、同じジャージをきた数人が、楽しそうに集まって話しをしている。背中に書かれた揃いの文字に、叶太は少し嫉妬した。


 遥。

 あの日、手紙を見て笑ってくれたら、ずっと胸に溜めていた気持ちを伝えようとしてたのに。なんで勝手に行ってしまったんだよ。

 小学2年の夏。

 両親が離婚して、母親と一緒この町にやってきた時、貸してくれた遥の教科書に、たくさん落書きをしたよな。


 遥も叶太も順調に勝ち進んだ。

 叶太の3回戦は、遥を呼びに来た渉との試合だった。

 試合が始まり、叶太はギャラリーから自分を見ている遥に気がついた。

 急に力んでシャトルを見失うと、叶太を笑うように、シャトルは足元にポトリと落ちた。

 遥の右手が固く握っているのがわかる。

 バカかよ、遥。

 試合は3セット目までもつれ、結果は叶太が勝利した。

 叶太は遥が次の試合の準備をしているコートの後ろを通ると、遥に小さく右手を上げた。

 

 遥と華英の試合が始まった。

 遥がサーブを打とうと構えると、ギャラリーに叶太の姿が見えた。

 遥のサーブが、ネットに引っ掛かる。

「遥、何焦ってんの?」

 華英がそう言った。

 叶太が見ていると思うと、次もシャトルを見失った。

 1セット目が終わった所で、華英が声を掛ける。

「遥、もう少し集中してよ。」

「ごめん。」

「どうしたの、コンタクト、落とした?」

「ううん。次はちゃんと見失わないから。」

 その後も気持ちがソワソワして、小さなミスが続いた。華英が遥に声を掛け、何度も助けられる。なんとか勝つ事はできたが、次の試合を前に、渉は遥にこう言った。

「渋谷、今日はひどいな。水川に負担掛け過ぎだろ。あとで哲がくるって言ってんだ。それまでなんもしても勝ち続けろよ。」

 華英は遥に、

「さっき話してた人って、前の学校の人?」 

 そう聞いてきた。

「そう。」

「気持ちが入らないのは、そのせい?」

「違うよ。ごめんね、華英。次はちゃんと動くから。」


 準々決勝で、叶太は敗退した。

 斜め後ろのコートで試合をしていた遥は、荷物を持ってコートを後にする叶太に気がついた。

 叶大の事が気になっていると、相手の打ったシャトルが、遥の右目を直撃して、遥は転んだ。

 右の手首から、鈍い音が聞こえた。

 少しでも動かそうとすると、体中が稲妻が走る。

「大丈夫?」

 起き上がれらない遥に、華英が声を掛ける。

「あと3点。華英、なんとか頑張るから。」

 遥は華英の手を借りてなんとか立ち上がり、左手でラケットを握った。

 

 試合は勝ったが、結局、次の試合は棄権となった。

「ごめん。華英。」

「そんな事より、早く病院に行こうよ。」

 華英が遥の腫れてきた右腕を心配した。

「渋谷、家族に連絡して、すぐにここにくるように言いなさい。」

 顧問の先生がそう言うと、遥はカバンの中から携帯を出そうとしたが、使い慣れない左手では、ファスナーさえ開けることができない。

「渋谷。」

 笠井が心配そうに遥の元にきた。

「遥。」

「遥ちゃん。」

 叶太と叶太の母もいる。

 笠井が遥の右手に触った。

「折れてるぞ、これ。」 

「遥ちゃん、このまま病院に送って行くよ。渋谷くんには、私から連絡しておくから。」

 叶太の母がそう言った。

 笠井と叶太の母が、監督に事情を話している。

 叶太は遥のカバンを持つと、

「行くぞ。」

 遥にそう言った。

「華英、ごめん。先に帰るから。」

「わかってる。早く病院に行きな。」

 華英は心配に遥を見ている叶太と、少し目があった。

「渋谷、気を付けてな。」

 監督がそう言って、遥を見送った。

 遥はみんなに頭を下げると、叶太の後をついて行く。 

「叶太、頼んだぞ。俺は一旦、学校に戻るから。」

 笠井はそう言うと、叶太の母に頭を下げた。

 右手を使えない遥が、靴を履くのに手間取っていると、叶太が手を貸してくれた。

「ありがとう。」

「遥にお礼なんて言われたの、初めてだな。」

「そんな事ないよ、いつもちゃんと言ってるよ。」 

「痛むのか?」

「何も感覚がないの。」


 哲が玄関に入って来るのが見える。遥を見ると、

「試合、終わったの?」

 そう聞いた。

「終わったよ。」

 遥が押さえている右手を見て、

「大丈夫?」

 そう言って遥の顔を見た。

「これから、病院に行くところ。」

 遥は叶太の隣りに並んだ。 

 遥の肩が、隣りに男の肩に吸い込まれて行くようだ。

「遥!後で連絡くれよ。」 

「うん。」 

 遥は振り向くと、哲に向って静かに微笑んだ。


 叶太の母の運転する車で、救急病院へ向かった。叶太の母が連絡を取ってくれた父も、病院に駆けつける事になった。 


澄子すみこさん、すみません。」

 遥は叶太の母にそう言った。

「澄子さんなんて呼ぶの、遥ちゃんくらいよ。」

 叶太の母と父は高校の同級生だったらしく、澄子さん、渋谷くん、と呼びあっていた。幼かった遥は、大人なのにそうやって呼び合うのが面白くて、父が呼ぶように、叶太の母の事を澄子さんと呼んでいた。


 病院に着くと、すぐにレントゲンを取った。腫れて熱を持つ遥の右手をレントゲン技師が台に乗せると、痛っ!遥は思わず声が出た。

 ギプスを巻き終え、遥が処置室から出てくると、父が待合にいるのが見えた。

「お父さん。」

 父の服が濡れている。

「雨、降ってるの?」 

「すごい雨だよ。」

 遥は玄関に目をやると、外は土砂降りの雨だった。 

「大丈夫か、遥。」

「折れてるって。」

「そうか…。痛むか?」

「少し。」

「遥、お父さん、明日から出張でな。少しの間、お母さんの所、行くか?」 

 父がそう言うと

「遥ちゃん、家に泊まってよ。」

 澄子はそう言った。

「遥、そうしなよ。」

 叶太は遥の顔を見た。

「澄子さん、そう言うわけには行かないよ。」

「うちはいいのよ。遥ちゃんだって、お母さんの所なんか行きにくいと思うし。出張はいつまで?」

「明後日。」

「それなら、どうせ土日になるんだし、帰ってきたらこっちに遥ちゃんを迎えにくればいいでしょう。」

「そうだな。澄子さんの言葉に甘えるよ。」


 叶太の家に着いた。

「私、ちょっと買物に行ってくるから。遥ちゃん、右手使えないなら、晩ごはんはスプーンで食べれるものにしようか。ユニフォーム洗うから、叶太の服に取り替えて。」

 

 2人きりになった遥と叶太。

「叶太、ゼッケン取ってくれる?」

 遥は少しでも叶太に触れてほしかった。

 ジャージを脱ぎ、叶太に背中を向けた。

「わかったよ。」

 叶太は遥の束ねた髪を肩に掛けた。本当は思いっきり遥の背中に触れたかったけれど、ユニフォームとゼッケンを止めている安全ピンをそっと外して、背中越しに、外したゼッケンを遥に渡した。

 遥の背中が少し震えているのがわかる。 

「ほら、」

「ありがとう。」

「遥。」

「何?」

 叶太は遥を後ろから抱きしめた。

「俺、遥の顔、まっすぐに見れないよ。」

 叶太は遥の髪に顔を埋める。

「どうして?」

「小百合と付き合っているから。」

「そうだったんだ…。」

「子供の時みたいに、なんにも考えずにいられたら良かったな。好きだって言葉が、こんなに苦しい事だって思わなかったよ。」

 遥の溢れた涙が、自分の体を抱きしめている叶太の手に落ちた。

「黙って出ていったのは私だもん。もう会うつもりなんてなかったのに、また会えて嬉しくて、やっぱり好きだったなんて、都合のいい話しだよね。」

 遥は精一杯、強がった。

「やっぱり、遥の事、」

 叶太は遥に近づいた。

「叶太。私もね、さっき玄関で会った人と、付き合ってるの。」

 遥は叶太を遠ざけた。

「バカだな、俺達。」

 叶太はうつむいた遥のギプスを触った。

「痛むのか?」

「痛いのかな、」

「なんだよ、それ。」

「こんな痛みよりも、心の中はもっと痛くて辛いから。」

 泣き続ける遥を、叶太はソファに座らせた。

「手、すごく腫れてるぞ。指まで色が変わってる。」

「何日か腫れるって、先生が言ってた。」

「なんか飲むか?」

「カバンの中に、飲み掛けた水が入っているはず。本当はもうひとつくらい、試合ができると思ったのに。」

「遥と組んでた子、すごく上手かったな。」

「そうでしょう。」

「すぐに友達ができてよかったな。」

「叶太も転校してきた時、緊張してた?」

「こんな田舎になんで俺だけって、ずっと思ってた。」

「そうだよね。だけど、誰かのせいにしたって、仕方ないよね。大人の事情は、子供は変えられないんだからさ。ねぇ、同じ人とずっと一緒にいるのって、そんなに難しい事なのかな?」

「遥、あのさ、」

 遥は叶太が言いかけた言葉を遮って、

「私がここに来たこと、誰にも言わないで。小百合が知ったら、きっと嫌な気持ちになると思うから。」

 そう言った。

「言わないよ。」

 叶太は遥のドリンクボトルをカバンから出すと、それを台所へ置き、冷蔵庫から牛乳を持ってきた。コップにそれを波々に注ぐと、

「ほら、ストローさしてやったぞ。」

 そう言って遥の前に出した。

「えっ?」

「遥、牛乳嫌いで、俺によくくれたよな。」

「そうだった。今も大嫌い。」

「わがまま言わないで飲めよ、このままなら骨がつかないぞ。」

 遥は仕方なくストローに口をつけた。一気に吸い上げようとしたけれど、途中でどうしても飲み込めなくなった。

「やっぱり、苦手。残りは叶太が飲んでよ。」

 少し笑った遥は、隣りに座っていた小学生の時と、変わらない目をしていた。

「なんにも変わらないな、おまえ。」

 叶太は遥に残りを渡した。

「頑張ってちゃんと飲めよ。」

「無理だって。」


「わー!すごい雨。」

 澄子が帰ってきた。 

「あなた達、ちょうどいい時に試合が終わって良かったね。」

「そんなに?」

 叶太は窓の方に歩いていった。

「さっき、大雨警報が出たみたいよ。遥ちゃん、今日はシチューにするから。」 

 澄子は遥の前に置かれた牛乳パックを見た。

「あら、それ飲んじゃたの?」

「あっ、ごめんなさい。」

 遥は謝った。

「だってそれ、俺が買ってきたやつ。」

「冷蔵庫に入ってたから、買ってこなかったのに、もう一回行って牛乳買ってくるわ。」

「それならカレーにすればいいだろう?」

「だって、一昨日もカレーだったじゃない。」

「俺は別に続いてもいいけど。」

「じゃあ、カレーにしようか。」

 澄子はそう言って、野菜を買い物袋から取り出した。

「ごめん、カレールーがなかった。もう一回買い物に行ってくるわ。やっぱりシチューにしましょう。遥ちゃんの骨が、早くつくようにね。」


 遥と叶太のユニフォームが、並んで除湿機の風に吹かれている。

 

 澄子は遥を脱衣場に呼んだ。

「遥ちゃん、お風呂入っておいで。後ろのホックとるからね。」

「すみません。」

「困ったわね、右手なら。」

「なんとかなります。」

「これ、ホックのない下着だから、遥ちゃんに買ってきたの。お父さんなら、そんな事わからないでしょうから。」

「澄子さん、ありがとうございます。」

「ねえ、新しい学校は楽しい?」

「楽しいです。」

「遥ちゃんも、叶太も大人に振り回されて、たくさん傷ついてるよね。」

「どんな事情があっても、澄子さんにも叶太にも会えたから、結局、良かったんです。」

「遥ちゃん、叶太の事、好きなんでしょう?叶太もきっと好きなんだろうって…。」

「ずっと隣りの席だったし、背も同じくらいで、一緒に並ぶ事が多かったですからね。今の叶太は、すごく大きいですけど。」

「そうね、身長がすごく伸びたわね。実はね、この前、小百合ちゃんが家に来て、それから叶太がちょっとずつ、前みたいに話さなくなってね…。」

「いろいろ考えてるんだと思いますよ、次は何を話そうかって。」

「そっか。遥ちゃん、お風呂入っておいで。頑張って背中は自分で洗える?」

「大丈夫です。」


 叶太の部屋に澄子は布団を敷いた。

「叶太は布団よ。遥ちゃんはベッドの方が起き上がりやすいから。じゃあ、おやすみ。2人で変な気、起こさないでよ。」

「母さん、変な事言うなよ、本当に。」


 澄子が部屋を出ていくと、叶太がベッドに座った。 

「遥、携帯教えろよ。」

「そうだね。」

 遥は携帯を叶太に渡した。

「右手を使えないから、叶太に任せる。」

「ずいぶん、着信あるみたいだな。」

 相手が哲からだという事が遥にはわかっていた。

「いいの、別に。」

「彼氏なんだろう?」

「…。」

 布団に座っている遥は、叶大の膝に左手を置いた。

「叶太が悪いんだよ。あんな手紙くれるから。」

 遥は叶太をまっすぐに見た。

「やっぱり、迷惑だったか?」

「ごめんとか言って謝らないでよ。かえって辛くなるから。本当は転校する前に、ちゃんと叶太と話しをしておけばよかった。」

 叶太はベッドから降りると、遥を布団に押し倒した。

「痛っ、」

「ごめん。大丈夫か?」

 叶太は遥の右の肩をそっと撫でた。

「大丈夫。」

 遥はそう言って少し笑うと、そのまま体を横に向けて丸くなった。

「私がここで寝るよ。ちゃんと1人で起き上がれるから。」

 遥はそう言って目を閉じた。

「おやすみ、叶太。今日の事、全部忘れてね。」

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