エピローグ: 青い封筒の行方
披露宴の興奮が冷めやらぬ、翌朝。
源三の家は、昨日の喧騒が嘘のように静まり返っていた。陽菜は新郎と共に、源三が「無理に行っておいで」と強く勧めた一泊二日の新婚旅行へと出発していた。
ガランとした和室。昨日のモーニングではなく、いつもの清潔な寝巻きに着替えた源三が、布団の上に横たわっていた。その表情は驚くほど穏やかで、昨日バージンロードで見せたあの鬼気迫る気迫は、もうどこにもなかった。
佐伯は、カバンから一通の書類と、あの「青い封筒」を取り出した。
「……源三さん。準備はいいですか」
源三は、ゆっくりと瞬きをして答えた。
「ああ。航くん、あんたには……本当に世話になった。あの子に、『最高の嘘』をプレゼントできた。これ以上の贅沢はない」
佐伯は無言で、執行のための薬剤を準備する。終焉支援官として、数えきれないほどの最期に立ち会ってきた。だが、指先が微かに震えていることに自分でも驚いていた。
「……源三さん、これに署名を。制度上、最後の意思確認が必要です」
源三は、震える手でペンを握り、ゆっくりと自分の名前を書いた。そして、最後に佐伯の顔をじっと見つめた。
「航くん。……あの子が帰ってきたら、これを渡してくれ」
枕元から差し出されたのは、一通の手紙と、古びた一冊のノートだった。
「これは?」
「向日葵の育て方だ。……あの子は花を枯らすのが得意でな。私がいないと、庭が寂しくなる」
源三は満足そうに目を閉じ、深呼吸をした。
「さあ、やってくれ。陽菜が帰ってくる前に……私は、眠りたい」
佐伯は、静かに薬を投与した。
部屋を吹き抜ける風が、縁側の風鈴をチリンと鳴らした。源三の呼吸が次第に浅くなり、やがて、凪のような静寂が訪れた。
執行完了。
佐伯は時計を確認し、時刻を記録した。
死神、終末支援官としての仕事は、これで終わったのだ。
────。
数日後。
旅行から戻った陽菜が、誰もいなくなった源三の家を訪れた。
佐伯は、庭の向日葵に水をやっているところで彼女を出迎えた。陽菜の目は赤く腫れていたが、その表情には、すべてを理解し、受け入れた者の強さがあった。
「……航さん」
「これ、源三さんからです」
佐伯は、預かっていた手紙とノートを渡した。
陽菜は震える指で手紙を開いた。そこには、源三の不器用な字でこう記されていた。
『陽菜へ。
お前の花嫁姿は、世界で一番綺麗だった。
病気に負けて死ぬのではなく、お前の最高の笑顔を見て、自分の意志で人生を完成させたかった。勝手なじいちゃんを許してくれ。
これから先、辛いことがあったら、庭の向日葵を見ておくれ。
私はいつも、そこにいる。
航くんという男は、私の最後の我儘に付き合ってくれた、恩人だ。
彼に、よろしく伝えてくれ』
陽菜は手紙を胸に抱き、声を殺して泣いた。
佐伯は彼女の肩に手を置くことも、慰めることもしなかった。ただ、源三が命懸けで守った「嘘」が、今、陽菜の中で「永遠の真実」へと変わっていくのを、静かに見守っていた。
一ヶ月後。
佐伯は再び、青い封筒を持って別の街の坂道を上っていた。
終末支援官という仕事は、相変わらず世間から疎まれている。けれど、佐伯の白いシャツの胸ポケットには、一粒の「向日葵の種」が忍ばせてあった。
ふと空を見上げると、あの日見た封筒と同じ、突き抜けるような青空が広がっていた。
佐伯は、もう二度と「航くん」と呼ばれることはないだろう。
けれど、彼が歩く道には、確かに一筋の光が差し込んでいた。
彼はインターホンを押す前に、ネクタイを整える。
死を運ぶ手は、今、ほんの少しだけ温かい気がした。
[完]
(短編) 終末支援官 ─ 佐伯航 ─ 空飛ぶチキンと愉快な仲間達 @sabanomisoni0730
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