第一章: 死神と嘘つきな老人

「お待たせしました。冷たいお茶、どうぞ」



陽菜が盆を手に戻ってくると、部屋の空気は再び「親戚同士の穏やかな再会」へと擬態した。源三は苦しげな呼吸を隠すように、無理やり口角を上げていた。



「悪いな、陽菜。航くんは仕事が忙しい中、私のわがままで来てくれたんだ。式までの間、空いている客間に泊まってもらうから、そのつもりでな」



源三は、佐伯の下の名前を親しげに呼んだ。佐伯は一瞬だけ目を伏せたが、すぐに親戚の年長者としての柔らかな表情を作った。



「もちろんだよ! 私、航さんに会えるの、ずっと楽しみにしてたんです。おじいちゃんからよく聞いてたんですよ、すごく優秀な親戚がいるんだって」



陽菜が屈託のない笑顔で「航さん」と呼ぶ。その響きに、佐伯は奇妙な居心地の悪さを感じた。



支援官として「佐伯さん」と呼ばれることには慣れていたが、偽りの血縁として名前を呼ばれることは、彼の計算にはなかった。



陽菜が再び、披露宴の席次表を確認するために隣の部屋へ移動したのを見届け、佐伯は声を低めた。



「……嶋田さん。一つ確認を。陽菜さんには、私のことをどう説明しているのですか」



「私の従兄弟の息子だと言ってある。子供の頃、一度だけ陽菜を抱っこしてもらったことがある、という設定だ。あの子は覚えていないだろうが、そう言えば信じる」



あまりに用意周到な嘘に、佐伯は言葉を失う。源三は続ける。



「あの子の両親が交通事故で死んだ時、陽菜は五歳だった。病院で泣きすぎて声も出なくなったあの子を見て、私は決めたんだ。もう二度と、あんな顔はさせないと。あの子にとっての私は、いつも強くて、元気なじいちゃんでなきゃいかんのだ」



「ですが、結婚式当日、バージンロードを歩くには相当な体力が要ります。あなたの現在の病状では、自立歩行すら……」



「だから、あんたを呼んだんだ」



源三は、カサカサに乾いた手で佐伯の手首を掴んだ。骨の感触がダイレクトに伝わる。



「式の間だけでいい。あんたが私の横で、杖になってくれ。倒れそうになったら、その肩で支えてくれ。客席からは、ただ寄り添って歩いている親戚同士に見えるように……あの子を、新郎の元まで届ける。それができたら、私は翌日、思い残すことなくあの世へ行く」



佐伯は、掴まれた手首に感じる熱を、事務的な思考で振り払おうとした。だが、源三の瞳に宿る執念がそれを許さない。



「……分かりました。今日から私は、あなたの親戚の『航』として、この家に滞在します。そして式当日、あなたが倒れることは、私が許しません」



源三は満足げに頷くと、陽菜が戻ってくる足音を聞きつけ、素早く話を切り上げた。



「航さん、お夕飯は何がいいですか? おじいちゃん、今日は奮発してお刺身にしようって言ってるけど」



襖を開けて顔を出した陽菜に、航は、支援官としての仮面を深く被り直して答えた。



「ああ、何でも嬉しいよ。陽菜さんの得意なものでいい」


名字ではなく名前で呼ばれるたびに、佐伯の心の中にあった「仕事」と「私情」の境界線が、少しずつ、しかし確実に削り取られていくようだった。

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