存在
白く明るい部屋に、たくさんの木々が、暖かそうに息づいている。
カウンセリングを受けるのは初めてだ。
病院では「とりあえず薬で様子を見ましょう」と言われていた。
確か、花村先生と呼ばれていた女性が、コーヒーかハーブティーかを尋ねてきた。
飲み慣れてはいないが、興味本位でハーブティーを選んだ。
少し甘いような、爽やかな匂いが、植物の香りと混ざり合う。
張り詰めていた神経が、ゆっくりと緩んでいくのが分かる。
「パッションフラワーをベースに、レモンバームとカモミールを混ぜてみました。
不安や焦燥感を和らげる作用がある茶葉なんですよ。」
そう言って差し出されたハーブティーの効能そのもののような笑顔で、先生は微笑んだ。
ハーブティーの香りを、顔全体で感じてから、一口飲んだ。
匂いだけでなく、お腹の奥からも、ホッとする安心感が満ちてくるようだった。
そんな私を、満足そうに見つめていた先生が、ゆっくりと口を開く。
「私はこのクリニックでカウンセラーをしている、花村 灯といいます。
斉藤さん、よろしくお願いしますね。」
私はペコリと頭を下げて返した。
「診断結果が霊だと聞いて、今、どんなお気持ちですか?
正直、信じられないですよね。
でも、どこかで冗談だと笑えない。
そんな感じは、ありませんでしたか?」
首を傾げる。
正直、言われていることがよくわかる。
私の気持ちを、いい当てられていると思った。
「私も最初、御門先生にそう言われて、
『この人はいったい、何を言っているんだろう』って思いました。」
そう前置きしてから、先生は続けた。
「でも、どこかで――
『わかってもらえた』っていう感覚が、確かにあったんです。」
「……花村先生も、患者だったということですか?」
「はい。
御門先生に助けてもらった、一人です。」
そう微笑む先生が、かつて私と同じように苦しんでいたとはとても思えなかった。
(……私も、救ってもらえるのだろうか)
「だから、斉藤さん。
これから心の中に浮かんでくる言葉や、頭で考えてしまうことを、
『ありえない』って思って、飲み込まないでください。」
先生は、まっすぐに私を見て言った。
「どんな言葉でも、私は受け止めます。
そして、聞きたいんです。」
花村先生の声が振動となって、鼓膜から胸へ、そしてお腹へと降りていく。
頭で聞いているのではなく、もっと深いところで受け止めている感覚だった。
「私は……」
目を閉じる。
どんな言葉が出てくるのか、自分の内側に耳を澄ませてみる。
「……泣いている声が、うるさいんです。
『わーん』って……本当に、漫画に“わーん”って文字が書いてあるみたいな、
そんな泣き声が、ずっと聞こえていて……」
言葉を探すように、少し間があく。
「それで、疲れてしまうんです。
泣きすぎて……。
実際には泣いていないのに……」
小さく、息を吐いた。
「……変ですよね。
だから、誰にも話せなかったんです。」
「話したら、気が変になったって思われてしまいそうですもんね。」
「はい。
少しだけ、大学の友達に『なんか泣き声する?』って聞いてみたんです。
そしたら『しないよ。何?怖いなぁ。大丈夫?疲れてるんじゃない?』って言われて。
これ以上話したら、絶対に『何か悲しいことでもあるの?』って心配されると思いました。
でも……ないんです。
泣きたいことなんて……」
「わかります。
どうして泣いているのか、自分でもわからないんですよね。
それなのに、他の人に説明できるわけがない。」
花村先生はそう言って、私の気持ちをなぞるように言葉を重ねた。
その声には、取り繕った同情ではなく、実感のこもった温度があった。
――この人なら。
そう思った途端、胸の奥に溜めていたものが、もう少し外に出てもいい気がしてきた。
私は、もっと自分の話をしたくなっていた。
花村先生が、ゆっくりと瞬きをして言った。
「斉藤さんの中で泣いているのは、子供の霊だと御門先生はおっしゃっていました。
眞子さん、その子を少しイメージしてみてください。
子供がわんわん泣くこと自体は、不思議なことではありませんよね。きっと思い描けると思います。」
(子供……。)
私は目を閉じ、静かに意識を内側へ向けた。
「眞子さん。今、思い浮かんだ子は、どんな子ですか?」
「……男の子です。立って、泣いています。」
「その子は、何か言っていますか?」
「……『助けて。誰か、助けて』って……言っています。」
不思議と、花村先生の問いには迷いなく答えられた。
「他には、何か浮かんできますか?」
しばらく、沈黙が流れる。
もう一度意識を探ってみたけれど、それ以上は何も見えてこなかった。
「……他には、特には……。」
そう答えると、花村先生は小さく頷き、
「ありがとうございます。」
と、穏やかに言った。
「これは私個人の考えですが……
このクリニックに来る患者さんたちは、霊に導かれて来ているのだと思っています。
霊もまた、苦しみから解放されたいと願っている。
だから、生きている人の口や手足、感情を借りて、自分の存在に気づいてほしくて……
その結果として、さまざまな霊障が起きてしまうのだと思うんです。」
花村先生は、私をまっすぐに見つめた。
「今、眞子さんが心の中で描いた子供の姿。
それが、あなたを頼っている霊だと思います。
こうして、自分のことを誰かに伝えたいんです。
このクリニックなら『信じてもらえる』と、霊の方がわかっているからなのかもしれません。」
きっと、他の人がこんな話をしていたら――
疲れているのか、怪しい宗教にでも入ったのかと、その人から少し距離を取ると思う。
でも……。
私は、信じられると思った。
「眞子さん、今日はここまでにしましょう。
すぐに解決してあげられなくて、ごめんなさい。」
花村先生は、申し訳なさそうに微笑んだ。
「少し、その子のことを考えてあげてほしいんです。
『どうして泣いているの?』
『何が悲しいの?』
『一人なの?』
『どうして、助けてほしいの?』」
ひとつひとつ、ゆっくりと。
「そうやって、自分の中に語りかけてあげてください。
できれば、少しお菓子を置いてあげるといいと思います。」
「そうして、何日か語り続けていると……
今とは違う言葉が、聞こえてくるかもしれません。」
花村先生は、私の目をまっすぐに見て言った。
「少しでも、気持ちに変化があったら。
また、ここに来てくれませんか?」
私はうなずく。
深く息を吸い込み、胸の奥に少しだけ光が差し込むのを感じた。
そして、どことなく自分の中に、あの男の子の存在を感じ始めていた。
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