第2章 ママからのプレゼント
「テクの持っているもので、一番誇らしいものは何?」
十五歳の誕生日。ケーキを前にして、ママは私に聞いた。ろうそくをつけて、部屋を暗くして、全ての準備が出来て、まさにろうそくを吹き消そうとしている時だった。そんなときにする質問じゃないと思う。私は、質問よりろうそくが消えてしまわないかの方に気を取られて、なんて答えたか覚えていない。ママはここまでしてあげてるのよと、何かしら手応えのある答えを期待したのだろうか。私は、その期待には応えてあげられなかった。今になって思い返してみると、ママは、「ママが誇りだよ」と言って欲しかったんじゃないかと思って、もやもやする。
私の誕生日に、ママは、二人の思い出を作ることを大切にした。まるで未来を予測するかのように。
十六歳の誕生日。朝、私がばしゃばしゃばしゃといつものように洗面台に水を飛ばしながら、顔を洗っているときにママが聞いた。
「テクの一番欲しいものって何?」
私は、正直に答えた。
「痩せる薬かな」
それを私は、猛烈に後悔している。
「ママがいれば、十分だよ」
なぜ伝えることが出来なかったんだろう。それだけ伝えれば良かったのだ。少しの恥ずかしさを乗り越えて、勇気を出せば、感謝も、気持ちも、伝えることが出来たはずなのに、言葉選びはいつも難しい。
私には、あらゆる感情が頂点に達すると、顔を洗うくせがあるように、ママには、ママの感情の爆弾を抱えたときに、必ずらっきょうを食べるくせがあった。甘酢じゃなくて、ピリ辛のほう。発明に行き詰まった時、私がゲームをしていて、ママの話を無視した時、テレビのチャンネル争いでじゃんけんに負けた時、怒りが頂点に達した時に、私を呼んで、叫ぶ。
「ちょっと、テク、らっきょう持ってきて」
野性の勘で、らっきょうというワードが出たら、触らぬ神に祟りなしだと言う事がわかっていた。ママのあやうさを感じ取って、絶対反抗しなかった。らっきょうがなくなると、文句を言いながらでも、買いに行ってあげた。もちろん高いお小遣いをもらって。
十七歳の誕生日。私の行きたがっていたママの大好きなレストランに連れて行ってくれることになった。
「何を食べてもおいしいわ」
といっぱい自慢してくるのに、子供にあまり高級なおいしいものを食べさせて、普通の感覚を忘れてしまったら困るというママなりの意味不明な子育ての方針でこれまで一度も連れて来てもらえなかったお店だ。最高の料理を食べると、次の日からその料理と全ての食べ物を比べてしまうという苦しみが始まるらしいと本で読んだ。十七歳の誕生日で初めてそのお店を訪れた。
ママがシェフとメニューを相談してくれたらしい。着くと、個室に案内された。
「私は、ワイン。この子には、ジンジャーエールにしてください」
と言うだけで、次々の料理が運ばれてきた。
私の大好きなコーンポタージュが出てきて、
「ママ、私の好きなもの知ってた?」
と普通にテンションが上がって言うと、
「当たり前でしょ」
とママが笑い出した。コースのお料理が出てきて、お肉のメインになると、ハンバーグが出てきた。
デミグラスでも、和風の大根おろしでも、にんにくでもなく、チーズがのっているわけでもなく、マスタードソースで食べるハンバーグだった。フォークを入れると、私はびっくりして、声が大きくなった。
「ママ、これ、生だよ」
「騙されたと思って食べてみなさい」
と言われて食べたら、なんとも言えず、口の中に幸せが広がった。
「ママ、このハンバーグを表現する言葉が出てこないぐらい凄いおいしいね」
ママは、得意げだった。帰り道で、ママにまた連れて行ってと言ったら、
「自分のお金で食べに来れるようになりなさい」
って笑われた。それぐらい高いらしい。
十八歳の誕生日の朝、私はママに会えなかった。
日直で、みんなのノートを大量に持って、廊下を歩いていたら、何もないところでつまずいて、派手に転んだ。スカートもめくれてしまった。スカートを直して、ノートを集めていると、その様子を見ていた井脇ユズがノートを集めるのを手伝ってくれた。
「ありがとう」
とお礼を言うと、
「ふっ」
とまた笑われた。顔に血がのぼり、耳まで真っ赤になった。なんで井脇ユズの前でばかりへましちゃうんだろうと落ち込んだ。そんなことがあって、家に帰るまで、自分の誕生日をすっかり忘れていた。
食料品の買い物をして、家に帰ると、台所の台のところに、大きなピンク色のリボンがついた手のひらサイズの箱が置かれていた。
その箱を持って、ママの研究室の扉を開けた。
「ママ、これ、なぁに?」
私へのプレゼントだと確信しながら、聞いた。
「気づいた?そりゃ~、テクへの誕生日プレゼントに決まってるじゃない」
「開けていい?」
「どうぞ、どうぞ」
「ママの発明品?」
リボンをほどきながら言った。
「そうよ。スペシャルなね」
わくわくする気持ちを抑えつつ、リボンをほどき、箱を開けて、ママの顔を見た。
「なにこれ、この黄土色のどろどろしたやつ。気持ち悪いよ」
明らかにがっかりする私に、ママは、誇らしげに言った。
「マジックファンデーションよ」
「ファンデーション?」
「とりあえず試してみなさい。話はそのあとで。化粧の仕方わかる?ほら、こっちを見つめてないで」
「ファンデーションって顔につけるんだよね。べたべたしそう。えっ、ママ、これつけたらいきなり八十歳とかになっちゃわない?」
「もう、騙されたと思って、つけてみなさい。驚くわよ」
ママの顔は、期待で満たされていた。私は、恐る恐る少量だけファンデーションを顔に塗った。塗っている途中も、ママは説明したくて仕方ないようだった。
「ほんとは、ファンデーションは、下地をつけて、塗るんだけど。これは、肌に良い成分も配合してあるし、そのまま単体で使えるのよ。どう?」
「ん?」
「ほら、見なさい。ママを信じなさい」
マジックファンデーションをつけて、ママが渡した鏡の中の私を見た。
「うそー。ママ、これは大発明じゃない?」
「でしょ」
「ついに」
「ついにでしょ」
「痩せるファンデーションだ」
私って痩せたら、こんな顔になるんだと驚いた。びっくりするぐらい変わっていた。十八年間いろんな言葉を言われてきた。
「痩せたらかわいいのにな」
「痩せればモテるかもしれないのにな」
合コンに私だけ誘われなかったり、痩せてるから、なんでも好きな服が着れるとわざと自慢する人の話を作り笑いしながら聞かないといけなかったり、自分での評価もそうだけど、他人からの評価も私を卑屈にした。私が好かれるのは、ママの友達のおじさんたちばかりだった。
「テクは痩せたかったんでしょ」
ママは自分の発明品に自信があるようだった。痩せているママには、絶対に必要のない発明品だった。ママは、私のためだけにこれを作ったのだ。
今回のマジックファンデーションは、さすがにママも開発に苦労したみたいで、一週間ママの姿を見なかった。ママは、研究室にこもった。そのおかげで、私は一人でご飯を食べて、翌朝、夜中にママがシャワーを浴びるたびに着替えた服を大量に洗濯をするはめになった。ママは研究しているときに、ストレッチを何回もして、汗を流し、シャワーを浴びるというルーティンで考えるだからだ。ママは、発明モードになってしまうと、ストレッチ以外は、寝食も忘れて、研究に没頭してしまう。全ては、よりよい商品を作るためだった。
私が通学するときに、車にひかれそうになったと言ったら、物凄く心配して、危なくないように「自動運転自転車」の開発に着手した。ヘルメットに三百六十度が映せるカメラと集音マイクを搭載し、危険物が近づくと、映像と音でいち早く見つけて、止まるという機能を搭載させた。のちに、衛星からの車の動きもわかるようにしてヒットした商品だ。その「自動運転自転車」を発明しているとき、ママがあまりに夢中になっていたために、私は、ママの身体を心配して、おにぎりを持って、研究室に入った。そしたら、ママに凄く怒られた。もうちょっとのところだったのに、集中が途切れたと責められた。それ以来、研究に没頭しているときは、触らぬ神に祟りなしと思って、ほっておく。
二、三日前にも爆発音が聞こえてきたから、何かを夢中で作っているのは、知っていた。これだったのだ。ママは言った。
「人によって効果の多少の誤差はあるけど、塗ってから、五分で十キロから二十キロ痩せられると思うわ。テク、あなたは変わるのよ」
私は、マジックファンデーションをもらって、落ち着かない気分になった。
ママは、発想の段階では誰にも何を作っているか話さない。発明品が完成すると、一番に私に完成したと告げる。秘書の上野さんが、
「私には出来上がって、テクちゃんが使ってからじゃないと絶対に情報を教えてくれないんですよ」
と嘆いていた。ママは、みんなを驚かせるのが好きだった。最近では、より驚くもの、驚くものと自分でハードルを上げてるようなところもあった。
ママは、発明品が完成して、私が喜んでくれる顔を想像しながら、ワクワクしている時間が、発明の一番のモチベーションだと言った。
ママは、いつも発明品が出来上がると、ひたすらに私の帰りを待ちわびていた。学校から帰ってくる私を玄関でにこにこしながら、出迎えてくれる。でも、すぐにはその商品を見せてくれない。何も告げずに、ママは、本当に嬉しそうに鼻歌を歌いながら、レモンサワーを飲んでいた。私は発明品が完成し、最高の出来なのだと確信する。そんなママを見ながら、私も今度は何が出来たのだろうと思いを巡らし、ママのお酒のおつまみを作る時間が楽しかった。家族の幸せな時間が流れていた。
もう一つ、商品が出来たときの決まりごとがあった。発明品を初めて使うときは、必ずママの前で使うことだった。私の表情が、あれ?うそ?マジ?とくるくる変わるのを見ているのがママは好きだと言った。私の反応が鈍いと、ボツになることもある。
「本当は、毎日晩酌したいぐらいなのよ。毎日何かしら生み出しているんだから。だけど、テクが二十歳になるまで、これだけで我慢しているのよ。テクのつまみは最高だわ。二十歳になったら、絶対乾杯しましょうね。だから、テクもママも我慢よ。」
と事あるたびにママは言った。
私もその言葉をすっかり信じていて、平和な二十歳が望んでも、望まなくても、やってくると思っていた。
次の日、学校から帰るとき、私の頭の中は、マジックファンデーションのことでいっぱいだった。
「がつん」
一瞬自分で何が起こったかわからなかった。
「テクちゃん大丈夫?」
と少し離れたところから、カヨさんの声が聞こえて、我に返った。
「いてっ」
私は目の前にあった電信柱に衝突していた。ぶつけたところに痛みが走った。くて~とその場に座り込んだ。
「テクちゃん、考え事してたの?」
と隣の家のカヨさんは、さくらの花びらをはいていたほうきを持ったまま、びっくりした顔でこちらを見ている。
「大丈夫だけど、痛い」
「テクちゃんはおもしろい子ね」
と言って、カヨさんはいつまでも笑っていた。
マジックファンデーションをいつ使おうかと電信柱にぶつかるほど考えたけど、なんとなく気が進まなかった。
私の取扱説明書がないと商品化は出来ない。ママの発明品の取扱説明書は、十四歳の時から私が書いている。初めて取り扱い説明書を書いたのは、アボカドのちょうどいい食べ頃がわかる機械だった。赤外線で中身を感知する通称「ぴったりアボカド」だ。命名も私がした。私はアボカドが大好きで、よく買ってくるが、割ってみると、腐っていたり、黒くなっていたり、まだ固かったり、私が残念な顔をしているのを見たママが発明した。構造のことはよくわからなかったけど、商品化されるまで、何個アボカドを食べたかわからない。商品化されて、完璧なアボカドが出てくる頃には、あまり食べなくなってしまったぐらいだ。私は、どういう風に使うのか、どうなると食べごろなのかということを文章にまとめた。私は、唯一書くことだけは、小学生から褒められた。才能があったのだと思う。子どもの私に書かせるのは、誰にでもわかる説明書にしたいからだとママは言った。子どもにわからなければ、大人にもわからないと。今考えると、私へのママなりの教育だったのかなと思う。
ママは、小言は多かったけれども、奈子の家と比べると、自由だったと思う。
「十時になると、テレビ見せてもらえない」
と奈子は嘆いた。私は、ママにそれを言ったら、
「テレビの時間ぐらい自分で決めて、自制出来なくてどうするの?」
と返された。欲しいものもちゃんと欲しい理由を言えば、買ってくれたし、二人で外食もしたし、買い物にも付き合ってくれた。
パパの昔の写真を見て、私は、ある日伊達メガネをかけた。ママがどんな反応するのか見たかったから。昨夜、小さなけんかをして、ママが嫌がるだろうと思ったけど、意地悪をしたかった。
伊達メガネをかけて、家に帰ると、
「やめて」
とママは言った。でも、私も昨日のけんかのことがあるから、意地になって、
「なんでメガネかけてもいいじゃん」
と返した。
ある日、冗談で、
「そのうち世界がバラ色に見えるメガネを発明してくれる?」
と言ったら、凄く嫌そうな顔をして、
「メガネはだめって言ってるじゃない」
とママは泣きそうだった。理由を言ってくれないママに私は、小さな反抗をしていたかった。
ママは、なかなか私がマジックファンデーションを使わないことにやきもきしているようだった。学校から帰って部屋に入ると勉強机の上に、化粧の仕方の書いてある本と見たことのない化粧ポーチの中に、アイシャドウ、チーク、マスカラ、数種類の口紅が入っていた。
その日のママは、仕事で疲れていたみたいで、早めに寝てしまったようだった。
静けさが、私を寂しくさせた。
もう一度試してみよう。
ぱらぱらと本を読み、書いてある通りの手順で、化粧を始めた。
五分後、私は別人になっていた。
このマジックファンデーションは使える。
ワクワクして、興奮が冷めずに、眠れずに夜を過ごした。
とりあえず奈子に相談してみよう。もう一度電柱にぶつかる前に。
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