発明もってこい

渋紙のこ

第1章 発明

 この扉の向こうにはママがいる。安否を確かめるために、扉に耳を押し当ててみる。冬の扉は冷たかった。耳を澄ますと、ラボの中からかつんというかすかな物音が聞こえて、安心して、ふたたび台所に戻った。

 今日もママは私のことなんか忘れて、発明に没頭している。それでも構わない。私はこれから、A5ランクの厚切りサーロインを朝から焼く。

 焼く前のA5ランクの厚切りサーロインを3D写真で撮る。ミディアムレアを選択する。すると、砂時計が表裏の最高の焼時間を教えてくれる。題して「焼きかたプロ」というママの会社ミクママの商品だ。

 焼き加減のデータは、有名店のシェフにお願いした。とにかくプロのステーキの焼き加減を家庭で再現できるようにと開発された商品だった。職人やベテランプロの知識をAIに学習させることで、人が助かるようにと作られた商品だ。

 家の中には、こういった発明品が溢れている。

 A5ランクの厚切りサーロインは、私の寂しさを少しだけ和らげる。

 ママとは三日会ってない。ママがラボから出てこない。

 でも、私が朝起きると、洗濯機の中には、乱暴に脱ぎ捨てられたママの服が投げ込まれている。また裏返しにはしてくれてない。もちろん洗うのは、私。

 ラボの扉を開けて、小言を言ってやりたいときもあるけど、それをしてしまったら、私もママも気分が悪くなるから、我慢する。そういうことが、大事だってママとの生活で学んだ。ママと私は、なんとか支え合いながらやってきた。

 そんな風に、ママを私が大切に思ってることに気づいていない、と思う。

 口うるさい娘ぐらいと認識しているんだろう、と思う。

 またラボの方が静かなので、A5ランクの厚切りサーロインをアルミホイルに包んで休ませている間に、もう一度、ラボの扉に耳を当てて、様子をうかがう。

 今度は、がっちゃんという物を落とす音が聞こえて、また安心する。

 昨夜のラボからは、どんどんぱっちんという音が深夜になっても聞こえてきていて、私は耳栓をして寝た。それなのに、朝になったら静かだから。

 ママと私は仲良し親子だ、と秘書の上野さんは言うけれど。そんなに親子は甘くない。

 日常に、発明に、時間を取られて、大切な言葉は後回し。そんなもの。当たり前が当たり前のときには、言葉はいつも足りない。そんなもの。

 ママは口を開けば、

「なんでテクは痩せないの?」

 と言い出す。いつも大好きだと思わせてくれとは思わないけど、人が気にしている言葉をわざわざ言わなくてもいい、と思う。

「また、それ」

「だってママは痩せているのに」

 あぁ、私の気持ちのわからないママよ。自分の口から毒を吐き出していると気づかぬ鈍感さよ。私のことなんかほっておいておくれよ。

 私はママには似てない、と思いたい。

 でも、「私なんか」っていうのは、ママの口ぐせでもある。「ママなんか」ってよく聞くから。

 どこか自信のない私たち。

 あぁ、心の豊かさよ。傷つきやすい心に光よ。見つけたい。

 私は、ママがいないと何もできないわけじゃない。いつも奈子の引き立て役というわけでもない。誰かと比べて不幸だとも思わない。

 ママのおかげでお金にも困ってない。

 じゃ、何が不満なのと詰め寄ってくる人とは友達になれない。分かり合えない。

 だって人に失望したり、絶望を感じたりって誰にだってあるでしょ。そういうもの。

 何もないって言うなら、その人は世間知らずか、自分の弱さを認めたくないだけなんだろう。

 私の本当の強さは、ひと息つけば、自分で立ち直れるところ。常識にも負けない。

 ただちょっと小心者。心配性。完璧とはほど遠いよ。とほほ。

 A5ランクの厚切りサーロインを食べてダッシュで学校に走った。

 教室に入って、真っ先に奈子に

「おはよう」

 と声をかけたら、

「顔テカテカだよ」

 と言われて、

「そう?」

 と答えて、笑いがこみあげてきた。

 グッジョブ、A5ランク厚切りサーロイン。

 元気の素を他人に求めるなよ。探していこう。私の強さよ。

 ママはそろそろラボから出てくるだろう。そんな予感がする。

 そしたら、ママに最高のレモンサワーを。

 案の定、私が予想した通り、ママはいつもの席でにこにこしながら、私の帰りを待っていた。

高校から帰ると、ママがいつもの席で、私を待っていた。笑顔だ。

「テク、おかえり」

「ママ、終わったの?」

「そうよ、使ってみる」

「うん。鞄置いて、着替えてくる」

「いや、もうテクの部屋に置いてあるから。上野さんたちに運んでもらった」

「なに?」

「ふふふ。全自動洋服選び機を作ったのよ」

「なに?」

「全自動洋服選び機よ」

「説明を」

 私は、着替えもせずに、鞄だけ置いて、ママにレモンサワーを作って持って行った。

「ああ、私、頑張ったのよ」

 ママがまるで私の子どものように褒め言葉を待ってる。

「いつもご苦労さまです。何作る?」

「そうね。軽いつまみでいいわ」

「わかった。今日、あるもので、作って持ってくるから、休んでていいよ」

「我が娘は、ほんとに気が利くわね」

 私は、冷蔵庫を覗き、キャロットラペとたことセロリのつまみを作った。

 私にもジンジャーエールを用意して席に着いた。

「今回の発明品は、タグをつけるだけで、気温や出かける場面に合わせて、クローゼットから洋服を選んでくれる全自動洋服選び機よ」

「タグは、追加で買えるようにするのね」

「そうよ。さすがよ、テク」

「その方が、儲けが出やすいと思った。これは、タグが光るの?勝手に前に出てくるの?」

「光る方法と上のところが自動で動くようにする方法の二パターン作ったの。その気温を調べる機能を付けるのに、苦労したのよ。いる場所や行く場所で気温が違うでしょう」

「あとはあれだね、私の部屋で使ってみて、いろいろ改良すれば、商品になりそう?」

「ミクママの会社内の何人かにも部屋で使ってもらえるようにするわ」

「それがいいね。あとあれもいいかも。ゆくゆくは洗濯機に入れるときにタグがつけられればいいのかも」

「それは難問だわ。防水ね。でも、いいアイデアよ、テク」

 ママは、発明家なのに、面倒くさがり屋で、どんどん便利にしてしまう。だって全自動洋服選び機の前に作った自動クローゼットは、アイロンまでかけてくれるんだから。

 どんだけ家事をしたくないのよ、ママ。

 私は、ママに聞いたことがある。

「ママは、何やってるときが一番楽しい?」

「そりゃ決まっているわよ」

「決まっているの?」

「そうよ、発明が完成して、テクとこうしてレモンサワーを飲んでいるときよ」

「レモンサワーなんかいつでも飲めるよ」

「違うのよ。テクにはまだわからないわ。頑張ったご褒美をもらうのは、頑張ったって実感してからの方がずっと嬉しいのよ」

「そんなものかな」

「テクにもわかるようになるわ。一つ、まず頑張ってみなさい。わかるから。お酒は、大人になってからだけどね。それに私の助けにいつもなってくれているから、テクにもご褒美が必要かもしれないわね。考えておくわ」

 しばらく休むと、またママは、ラボにこもるようになっていった。

「人って変われると思う?」

 完璧な塩梅のお弁当の鮭をつつきながら、奈子に聞いた。

 奈子は、

「急にどうしたの?」

 と心配そうに私の顔を見た。

「なんでママや奈子みたいになれないんだろう」

「私になりたいの?」

「うん」

「テクはわかってないわ」

「何それ」

「私になるためには、テクは気づかないといけないことがたくさんある。それはきっとテクにとっては、冒険になるのよ」

「そうでしょ。私は、奈子にはなれないでしょ」

「わかってないのよ。だってテクは、自分のこと好きじゃなさそうだもの」

「急所をついてくるね、奈子は」

「テクの目で見えてないものがあるのよ。それは、私が見えてないこともあるってことよ。テクは、誰かに自信を持ってって言われると、どう思う?」

「ああ、私は、自信が足りないのかと思う」

「私は違う。そうしよう、自信を持とうと思うよ。その違いに過ぎないよ」

 そんな熱い話を昼休み中にする私たちの背後から突然声がした。

 国府田だった。

「それもミクママの商品を使ったんだろ」

 と言ってきた。

「そうですけど、何か?」

「内田って、ママの力がないと何もできないのな」

そう言われて、私の顔は真っ赤になった。私は、ひとりじゃ何もできないの?

いつだってそういう思いは自分で打ち消してきたはずなのに、心はやわい。

そうだ、この完璧な鮭も、高い鮭とミクママの商品である「キレイな魚」を使わなければ、こんなにキレイに焼けない。私は何もできないんだ。

 私は、国府田を無視し続けて、もくもくとお弁当を食べた。

 奈子は、何も言わずに、私を見ていて、機嫌の悪い私をほっておいてくれた。みんな奈子みたいにほっといてくれればいいのに。私とママは違うのに。

 体中に充満した怒りの炎が消えなくて、お弁当を食べ終わると、奈子に、

「ちょっとトイレ」

 とキレ気味に言って、一目散に校庭へと走った。

 そして、校庭の水道に到着するとすぐに、ばしゃばしゃばしゃと顔を洗った。いつも学校で気持ちが爆発しそうになると、ここへ来て、そうする。洗った後に、ハンカチを忘れたことに気付いた。もう洗ってしまった後だったので、後悔しても遅かった。仕方なく、誰もいないだろうと、制服のブラウスをまくって、顔を拭いた。視線を感じた。横を見ると、五メートルぐらい先にぎょっとした表情でこちらを見ている井脇ユズがいた。ブラも丸見えだったと思う。私が慌てて、ブラウスを直すと、

「ふっ」

 と笑って、私を残して、井脇ユズは立ち去った。

 井脇ユズは、隣のクラスの男子で、ユズファンクラブまである人気者だ。人当たりが良く、常に男子も頼りにされているらしい。奈子が、井脇ユズと常に一緒にいる小坂くんに恋をしていた時期があったから知ってる。私は、奈子に聞いた。

「奈子は、イケメンは嫌い?」

「どうして?」

「なんで井脇ユズじゃなくて、冴えない小坂くんを好きなのかと思って」

「好みの問題じゃない?テクは、井脇くんがいいの?」

「私とは別世界の人間だと思うから、何の感情もない」

「テクは、恋をする余裕もないのね」

「そんなとこ」

「恋するって楽しいよ」

 そう言った奈子は、小坂くんに彼女がいることが判明して、玉砕しても、また新しい恋を見つけると宣言した。

 私には、いいところもあるはずだ。だけど、隠し玉の感情以外は、いつも自信がない状態で、自分のマイナス面ばかりに注目してしまう。悪い方へ悪い方へと自分で追い込んでいるところもあると思う。

 ママは、私にとって最強のママだ。ママは、私とは別世界に住んでいる。数限りないヒット商品を発明し、世に送り出している。「ミクママ」という会社を経営する社長も務める。主なヒット商品は、私が、学校に行ってる間にお料理できていればいいのにというアイデアからできた太陽の熱で出かけている間にお料理が完成する「太陽光クック」。私が、お風呂の既成の洗剤を使っても、黒カビ予防にならないと嘆いたことから生まれた「常にお風呂ピカピカ洗剤」。変なおじさんにばかり好かれると嘆いてできた「おじさんに嫌われる香水」。夏は暑くて、冬は寒くて、どっちも嫌いだと嘆いたからできた「年中同体感温度クリーム」が発明された。他にも「体温維持毛布」や「体温維持フィルム」も発明した。どれも世間の評価を得ている。

 ママは、発明に行き詰るとこう聞いてくる。

「テクが、今困っていることはない?」

 ミクママの商品が売れれば売れるほど、ママは有名人になったし、裕福にもなった。

 その一方で、ママが世間で注目されればされるほど、私は学校でからかわれることが増えた。私はその状況になじむことができなくて、心を閉ざしていった。私と私以外の世界がわかれた原因の一つだ。

 目立たない人生を歩みたいのに、とママに泣きながら訴えた。注目されることがとにかく嫌だった。

 先生も私が気に入らないみたいだった。外側から見れば、恵まれて見える私の生活は、そういう誰かの嫉妬やねたみみたいなものからは逃れられないみたいだった。

 でも、悪いことばかりではなかったと思えたのは、奈子のおかげだった。

「ミクママは、凄い発明なんだろ。お前も何かこの場で作ってみろよ」

 小学四年生のときだった。私は、下駄箱でいじめられていた。私が、床を見たまま、動けずにいると、

「親は親。テクはテク」

 大きな声でそう叫びながら、校庭の掃除用の竹ぼうきを振り回して、いじめっ子を追い払ってくれたのが、奈子だった。

 本当は、自分に降りかかった火の粉ぐらい自分で払わないといけないのに。

 奈子がいれば、私は学校でも他人の影に隠れることができた。

 誰かにすぐママのことをからかられても、そう、それでいいや。なら、それでいい。これでいいと自分を無理矢理納得させて、すぐ諦めた。奈子がいるし、と言い聞かせて。

 自分の権利を得るために、声をあげることはなかった。

 だから、私のことを知らない人ほど同じことを私に言った。

「やる気がない」

「元気が足りない」

「本当の力を出せてない」

「真面目にやってない」

 他人って本当に勝手だなと思う。世界を理解するためには、言葉が必要だと言うけれども、言葉で決めつけられると、心にまで影響するから、ひどい言葉は聞こえないふりをするのは、大切な私の隠し玉の気持ちを隠したのは、どちらも得策だったのかもしれない。自分の中だけに大切にしまった。

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