第10話「第四の終わり方は“消されている”」

 夜の校舎は、昼の残り香を持っている。

 ワックスの匂い。濡れた雑巾の匂い。廊下の隅に溜まったほこりの匂い。全部が薄い。薄い匂いの中で、喉の奥に焦げだけが残る。焦げはどこにもないはずなのに、俺の中にある。

 医務室から出たあと、彼女は教師に囲まれた。

 囲まれた空気が、彼女を「守っている」形をしている。形だけだ。守る形は、回収の形にも似ている。似ている形の中で、彼女の右手の手袋だけが黒い記号として残る。

 俺はその場を離れた。

 離れたのは逃げではない。逃げたら終わる。終わり方を増やしたくない。今の俺にできるのは、手順を増やすことだけだ。手順は現実に触れないと作れない。現実に触れるには、情報が要る。

 情報は、ノートにある。

 ロッカーから取り出したノートは、表紙の角が擦れていた。擦れた紙はざらつく。ざらつきは現実の証拠だ。証拠があるなら、上書きの前の層が残っているかもしれない。

 図書室の前の廊下に、誰もいなかった。

 部活の声も遠い。窓の外の街の音が、校舎の壁で薄くなる。薄くなった音の中に、ジ、と短いノイズが混じる気がした。規則的ではない。規則的ではないノイズは、継ぎ目がまだ整列していない証拠だ。

 俺は図書室の端の席に座った。

 灯りは落ちている。非常灯の緑が床を照らす。緑の光は温度がない。温度がない光は、終末の光に似ている。似ているから、焦げが濃くなる。

 ノートを開いた。

 最初のページには、俺の字が並んでいる。

 一回目。二回目。三回目。

 学園消失。都市焼失。彼女が笑って終わった。

 ここまでは、書いた記憶がある。書いたときの手の疲れも覚えている。ペンが紙を引っかく音。インクの匂い。指先についた微かな汚れ。全部が、現実の重さとして残っている。

 四つ目の欄は空白だった。

 空白があるのに、ページの下の方に一行だけ、知らない文字がある。

 知らない字。

 俺の筆跡だ。癖が同じ。払いの角度。止めの強さ。行の傾き。見間違えようがない。なのに、読めない。

 読めないというより、意味が滑る。

 目で追っても、頭に入らない。声に出そうとすると、舌が止まる。止まると喉が乾く。乾いた喉は、焦げを引き上げる。

 俺は指でその一行をなぞった。

 紙がざらついた。

 ざらつきは、インクの盛り上がりじゃない。紙そのものが荒れている。削れたみたいに、繊維が毛羽立っている。毛羽立ちの感触が、皮膚に引っかかる。引っかかりは、誰かがここを削った証拠だ。

 消した。

 それなのに、残っている。

 残ったものが読めない。

 読めないのは、消されているからだ。

 俺の右目が、きしんだ。

 きしみは熱を伴わない。熱を伴わないきしみは、歯車が空回りしている音だ。空回りしているのに、無理に回そうとすると焼ける。

 俺は息を吐いた。

 吐いた息が途中で欠けそうになって、喉の奥で止まる。止まる息のせいで、胸が浅く上下する。浅い呼吸は、考えを急かす。急かされると、言葉が荒くなる。荒い言葉は危ない。危ない言葉は、固定を作る。

 固定は増やしたくない。

 俺はノートを閉じ、もう一度開いた。

 同じ場所。

 同じ一行。

 同じざらつき。

 視線の端に影が動いた。

 廊下の奥の非常灯が、一瞬だけ暗くなる。暗くなると、影が濃くなる。濃い影は、誰かがそこにいる影だ。

「その一行、触るな」

 声。

 静かで、乾いている。音量は大きくない。大きくないのに、空気が従う。従った空気が、俺の背中を押すみたいに冷える。

 生徒会長だった。

 廊下の奥から歩いてくる。足音がほとんどしない。しないのに、距離が縮むのが分かる。分かるのは、空気が変わるからだ。

 会長は俺の斜め前に立ち、ノートを覗き込んだ。

 覗き込む目は、観察の目だ。教師の目ではない。友人の目でもない。記録を扱う目に近い。記録を扱う目は、消す目にもなる。

「思い出そうとすると、痛むだろ」

 会長が言った。

 俺は返事をしなかった。

 返事をしなくても、右目が反応する。反応が答えになる。右目の奥が微かに疼き、視界の端が白く滲む。滲みが来ると、喉の焦げが濃くなる。

 会長はそれを見て、口元だけ動かした。

 笑いではない。確認だ。

「やっぱり」

 やっぱり、という言葉は軽い。軽い言葉で重い事実を扱うのが、会長のやり方だ。軽いまま言うから、周囲が追いつけない。追いつけない側は、誘導される。

 俺は椅子から立たなかった。

 立つと距離が変わる。距離が変わると、空気の層がずれる。ずれが継ぎ目になる。継ぎ目が嫌だ。

「何だよ、それ」

 俺の声は、喉の奥で掠れた。

 掠れた声は、乾きの証拠だ。乾きは焦げを呼ぶ。焦げが来ると、終末が近い気がする。

 会長はノートの端を指で叩いた。

 トン、と音が鳴るはずなのに、音が薄い。薄い音の穴に、ジ、と短いノイズが混じる。規則的ではない。まだ整列していない。なら、まだ間に合う。

「君の記憶は保護されている」

 会長が言った。

 保護。

 優しい言葉だ。優しい言葉は、刃を隠すのが上手い。

「保護?」

「そう。君が思い出したら、彼女が終わるから」

 終わる。

 その言葉が、日常の声で落ちた。

 日常の声で終末を言うと、終末が身近になる。身近になった終末は、逃げ場を奪う。

 俺の右目が熱を持った。

 熱が奥で跳ねる。跳ねた熱は、視界を白くする。白い滲みの中に、彼女の笑顔が浮かぶ。笑顔が引きつる。引きつった笑顔の向こうで、地面が欠ける。欠けた音が途中で途切れる。

 校庭の穴。

 今日の事故。

 あれが、小規模で済んだのは、俺が手を取ったからだ。

 それでも、穴は残った。消えていない。消えていないのに広がっていない。広がっていないのは、手順が通じたからだ。

 手順が通じるなら、保護も手順だ。

 会長の言う保護は、善意の形をしている。

 でも、善意で削るなら、誰が善意を決めた。

「誰が」

 俺は短く言った。

 誰が、の続きが喉で止まる。止まるのは、言葉にすると固定になるからだ。固定は危ない。危ないのに、言葉が要る。

 会長は答えなかった。

 答えないことで、答えを含ませる。含ませた答えは、読む側が勝手に補完する。補完した内容に責任を持つのは、補完した側だ。会長はそれを知っている。

「君のノートにある四つ目」

 会長が言った。

「欠けている終わり方。あれは、欠けているんじゃない」

 会長が、ほんの少しだけ間を置いた。

 間の置き方が、意図的だった。

「消してある」

 消してある。

 誰が。

 会長はまだ言わない。

 右目が疼いた。

 疼きは熱を呼ぶ。熱が来る前に、俺は視線をノートから外した。外すと、焦げが少しだけ薄れる。薄れると、息が通る。息が通ると、喉が鳴らない。

 会長は俺の視線の動きを見ていた。

 見て、また口元だけ動かす。笑いじゃない。計測だ。計測して、次の言葉を選んでいる。

「思い出さない方がいい」

「……何で」

 俺は言った。

 言葉が短い。短い言葉しか出せない。出そうとすると、喉が締まる。締まるのは、縛りだ。記憶の縛り。縛りがあるのに、会長はそれを知っている。

 会長は答えを削った。

「彼女が耐えられない」

 耐えられない、という言葉が曖昧だ。

 曖昧だから、形が変わる。形が変わる言葉は、逃げにもなるし、支配にもなる。

「君が思い出すことで」

 会長は続けた。

「彼女の抑制が崩れる。崩れたら、今みたいな小さな欠けじゃ済まない」

 会長が言う今、という言葉が、今日の穴を指す。

 会長は知っていた。

 事故が起きることを知っていたのか、起きた後すぐに理解したのか。どちらでも、知っている側だ。知っている側は、管理している側に近い。

「会長」

 俺は呼んだ。

 呼んだ声が、少しだけ震えた。震えは感情じゃない。身体反応だ。乾き。浅い呼吸。指先の冷え。冷えた指がノートの端を掴む。掴むと紙がざらつく。ざらつきが現実を引き戻す。

「俺を守ってるみたいに言うな」

 守ってるみたいに、という言い方は遠い。

 遠い言い方をすると、相手も遠い言い方で返せる。会長はそれを利用する。

 会長は少しだけ視線を落とした。

 落とした視線が、俺のノートのざらついた一行に向かう。向かった視線が止まる。止まるのは、そこに答えがあるからだ。

「守ってる」

 会長は短く言った。

 短い言葉は強い。強い言葉は、反論を許さない。許さない形をしているのに、会長の声は柔らかい。柔らかい声は、拒否を鈍らせる。

「でも」

 会長が続ける。

「君を誘導もしている」

 誘導。

 会長が初めて認めた。

 認めたことで、嘘が減る。嘘が減ると信じやすくなる。信じやすくなるのが一番危ない。

「目的は一つ」

 会長は言った。

「彼女を終わらせない」

 終わらせない。

 その言葉は正しい。正しいのに、そのために何を捨てるのかは言わない。

 俺の右目が熱を持ち始めた。

 熱が来る前に、会長が言った。

「見せる」

 見せる、という単語は危険だ。見せると、固定される。固定されると、終わりが近づく。

 会長は俺のノートに指を置いた。

 ざらついた一行の上。

 指先が紙を押さえる。押さえた瞬間、紙が軽く沈む。沈んだ感覚が、校庭の穴の縁に似ている。似ていると、喉の奥が乾く。

「君が本当に知りたいのは、四つ目だろ」

 会長が言う。

 俺は頷かなかった。

 頷けば固定になる。固定は危ない。危ないのに、知りたい。知りたいから、指先がノートの端を強く掴む。掴む力が増えると、爪が白くなる。白い爪は、耐えている証拠だ。

 会長が目を細めた。

「痛むなら、止めろ」

 止めろ、という命令が出るのが意外だった。

 会長は命令しない。誘導する。誘導するはずの会長が、止めろと言うのは、止められないものが近いからだ。

 近い。

 何が。

 右目がきしむ。

 きしみが熱に変わる。熱が奥で跳ねる。跳ねた熱が、視界の端を白く滲ませる。

 滲みの中に、映像の欠片が落ちた。

 短い閃光。

 夜ではない。

 昼でもない。

 白い。

 白い空間。音が薄い。薄い音の中に、呼吸だけがある。呼吸が、俺のものじゃない。彼女の呼吸だ。

 彼女が目の前にいる。

 手袋はない。

 右手の刻印が、赤く脈打っている。脈打ちが弱い。弱いのに、周囲の白が厚い。厚い白は、何かが上書きされている白だ。

 俺が彼女の前に立っている。

 立っているのに、足音がない。足音がないのは、床がないからだ。床がないのに立っている。立っているという感覚だけが残る。

 俺は彼女を守る決断をしている。

 決断、という言葉が頭に浮かぶ前に、体が動く。体が動くのに、声が出ない。声が出ない代わりに、手が伸びる。伸びた手が、彼女の右手を包む。包む手順。包む圧。一定の圧。

 彼女が泣く。

 泣くのに、泣き声がない。泣き声がないのに、涙が落ちる。落ちた涙が途中で音を立てない。音を立てない涙は、世界の外側に落ちている。

 白が濃くなる。

 白が静かに満ちる。満ちるのに、爆発がない。崩壊がない。穴が開かない。穴が開かないのに、白が全部を覆う。覆われると、何もない。何もないのに、終わる。

 終わり方が静かだ。

 静かすぎて、逃げられない。

 閃光が終わった。

 現実が戻る。

 戻った瞬間、俺の右目が焼けた。

 焼けた痛みが一気に来て、椅子の肘掛けを掴んだ。掴んだ手が震える。震えは怖さじゃない。痛みの反射だ。反射で体が固くなる。固くなると息が浅くなる。浅い息が喉を締める。

 会長の声が遠い。

「それが四つ目」

 四つ目。

 欠けていた終わり方。

 欠けていたのは、消されていたからだ。消されていたのは、思い出すと彼女が終わるからだ。終わるのは、世界が静かに白くなる終わり方だった。

 俺は唾を飲み込めなかった。

 喉が乾き、舌が上顎に貼りつく。貼りつく感覚が、さっきの白い世界の薄さに似ている。似ていると、焦げが濃くなる。焦げはないはずなのに、ある。幻臭。幻の匂い。匂いが来ると、終末が近い。

「……消したのは」

 俺は言おうとして、止まった。

 止まったのは、言葉が喉で潰れたからだ。潰れたのは縛りだ。縛りがある。縛りを作ったのは誰だ。

 会長は答えない。

 答えない代わりに、視線を窓へ向けた。

 図書室の窓ガラス。

 外は真っ暗ではない。校門の街灯が、校庭の端を照らしている。照らされた光が窓に薄く映る。映る光の中に、何かが浮いた。

 文字。

 白い線で書かれた文字が、ガラスの内側に浮かぶ。浮かぶ文字は、墨ではない。光でもない。皮膚に触れないのに、目だけが引っかかる。

 式札。

 紙ではなく、ガラスに貼りついた文字。貼りついているのに、風がない。風がないのに、文字の縁が揺れる。揺れる縁は、糸が引かれている合図だ。

 会長の背中の空気が変わった。

 さっきまでの余裕が薄れる。薄れる余裕は、時間がない合図だ。

「来てる」

 会長が言った。

 来てる、という言葉は短いのに、意味が重い。重い意味が、空気を沈める。沈めた空気が冷える。冷えた空気が、俺の指先を冷やす。冷えた指先が、ノートの紙をざらつかせる。

 窓の文字が増えた。

 一つ、二つ。短い線が組み合わさり、図形になる。図形が整列する。整列すると規則が生まれる。規則が生まれると、継ぎ目が固定される。

 固定される前に動かなければならない。

「回収班か」

 俺は言った。

 喉が掠れる。掠れた声は乾きの証拠。乾きは焦げを呼ぶ。焦げが濃くなる。

 会長は首を横に振らなかった。

 否定しないのは肯定だ。

「学園の中だ」

 会長が言った。

 学園の中。

 内通者。

 金属片。

 空棚。

 消された歴史。

 全部が繋がるのに、言葉にすると途切れそうになる。途切れる前に、体が反応する。右目が疼く。疼きが熱に変わる。熱が視界を白くする。

 会長が俺の手首を掴んだ。

 掴む力が強い。強い力は命令だ。命令されると動ける。動けるのは助かる。助かるのに、会長の手の温度が冷たい。冷たい温度は、人間の温度ではない。冷たい温度は、管理側の温度に近い。

「時間がない」

 会長が言った。

 窓ガラスの文字が、ふっと消えた。

 消えるのが一番怖い。見える敵より、見えない敵の方が近い。

 校舎のどこかで、カチ、と小さな音がした。

 鍵の音。

 鍵の音が妙に大きく聞こえる。大きく聞こえるのは、周囲の音が薄いからだ。薄い音の穴に、ジ、と短いノイズ。規則的ではない。まだ整列していない。なら、まだ間に合う。

 会長が言った。

「資料室へ行け」

 資料室。

 空の棚がある場所。

 消された歴史の痕がある場所。

 会長が俺をそこへ誘導している。

 守っていると言いながら、誘導している。誘導しながら、何かを隠している。隠しているのに、時間がないと言う。時間がないのは本当だ。窓の文字が消えた。鍵の音がした。

 俺は選ばなければならない。

 ここで会長を疑って立ち止まるか。

 誘導されてでも動くか。

 動く方が、選択だ。止まるのは終末の側だ。

 俺はノートを閉じて鞄に突っ込んだ。

 突っ込む動作で紙が擦れる音がした。擦れる音が欠けない。欠けない音は、まだ現実が繋がっている証拠だ。

「彼女は」

 俺は言いかけて止まった。

 彼女の名前を言うと喉が締まる。締まるのは縛りだ。縛りがまだある。縛りがあるなら、言葉ではなく行動で守るしかない。

 会長は俺の言葉の続きを待たない。

「今は守られてる」

 会長が言った。

 守られてる、という言い方が曖昧だ。誰に守られているのかを言わない。言わないことで、守りの主体を隠す。隠すのは支配だ。

「でも長くは持たない」

 会長が続けた。

 長くは持たない。

 その言葉で、背中に汗が走った。汗が冷える。冷えが肩甲骨の間に刺さる。刺さる冷えが、校庭の穴の縁に似ている。似ていると、焦げが濃くなる。

 廊下へ出ると、校舎の空気がさらに薄かった。

 薄い空気は軽い。軽い現実は欠けやすい。欠けやすい現実の中で、足音が妙に響く。響く足音は、空間の密度が変わっている証拠だ。

 会長が先に歩く。

 歩く背中がぶれない。ぶれない背中は、迷いがない背中だ。迷いがない背中は、知っている背中だ。知っている背中は、管理側の背中に近い。

 廊下の窓に、外の街灯が流れる。

 流れる光が、一瞬だけ止まった。

 止まった光の縁が、少しだけずれた。ずれた縁は、影が遅れる現象に似ている。似ていると、右目がきしむ。きしみが熱になる前に、俺は息を整えようとした。整えようとすると、喉が乾く。乾くと焦げが濃くなる。焦げは消えない。

 階段を降りるとき、手すりが冷たかった。

 冷たい金属は現実の重さだ。重さがあるなら、まだ落ちない。落ちないうちに、資料室へ。

 会長が振り返らずに言った。

「覚えておけ」

 覚えておけ、という言葉が矛盾している。

 覚えさせないために消したのに、覚えておけと言う。矛盾は、会長の中に二つの役割がある証拠だ。守る役割と、管理する役割。どちらが本当かはまだ分からない。

「君が思い出したら、彼女が終わる」

 会長がもう一度言った。

 同じ文。

 同じ言葉。

 反復は記号になる。記号は手順の合図になる。会長は俺に合図を刻もうとしている。

 資料室の前に着いた。

 鍵はかかっていなかった。

 鍵がかかっていないのが一番怖い。誰かが開けたままにしている。開けた誰かが、中にいるかもしれない。中にいる誰かは、窓に式札の文字を浮かべた誰かかもしれない。

 会長はドアノブに手をかけた。

 握る手が一瞬だけ止まる。止まるのは、会長にも緊張がある証拠だ。緊張があるなら、会長も万能ではない。万能ではないなら、俺の選択が意味を持つ。

「入るぞ」

 会長が言う。

 俺は返事をしなかった。

 返事は固定になる。固定より、動作だ。

 会長がドアを開けた。

 資料室の空気が、さらに冷たかった。

 冷たいのに匂いがない。匂いがない冷たさは、白い終末の冷たさに似ている。似ていると、右目が疼く。疼くと熱が来る。熱が来ると、四つ目の終わり方がまた浮かぶ。

 泣く彼女。

 音のない涙。

 白が静かに満ちる。

 会長が小さく言った。

「……見つけろ」

 何を。

 空棚の正体を。

 消された歴史の痕跡を。

 そして、誰が消したかの方向性を。

 会長の言葉は少ない。

 少ない言葉の中に、支配が混じる。混じる支配の中で、俺が今できるのは一つだけだ。

 彼女を終わらせないために、終わり方を増やさない。

 そのために、消された四つ目の層を、現実の手触りで掴む。

 焦げの匂いが、また少しだけ濃くなった。

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