18:血の契約が意味するもの

■エヴァ

「えっ?」


 ダミアンの絶叫にキョトンとしていると、さらに追い打ちをかける。


√ 琢磨、走れ、早く!

 尋常じゃないダミアンの叫び声に、少し遅れて体が反応する。


 女子高生を見ながら走り出すと、彼女は一瞬躊躇し、それから……

 追ってきた。


 どういうことだ。

 わけが分からない。

 でも、走らなきゃ。

 正面を向いて全力疾走する。


√ 琢磨、絶対に止まるな! 全力で逃げるのだ!


 全力で逃げろと言われても、ダッシュ出来る距離なんてたかが知れている。


 どれだけ引き離したか、振り向いて確認しようとしたが――


√ 振り向くな。全力だ。死にたくなければ全力で走れ。


 無茶を言うな。

 線路沿いだと言っても、この歩道は起伏が激しい。

 あっという間にバテるに決まっている。


 空は厚い雲に覆われ、周囲はどんどん暗くなっていく。


 んっ……

 死にたくなければってどういう意味だよ!?


「引き離したか?」


√ 2m後ろにいる


「ひぃ~!」


 残りの力を振り絞って全力で走ったが、工事のときに建物を囲うために使う、黄色いガードフェンスの前で、後ろから襟首をがっしり掴まれた。


「ぐわぁ!」


 首が締まる。

 なんて力だ。


 あんなに華奢な体つきだったのに、屈強な男並みの力がある。


 おれは襟首を掴まれたまま、ガードフェンスの隙間から、空き地へと引きずりこまれた。


 フェンスの金網のところには「安全✙第一」と書かれた目隠しが貼ってあり、外から中が見えない。


 家が建っていたであろう空き地は、綺麗に片付けられ、両隣と後ろは空き家のような古い家が建っていた。

 この辺りの家は老朽化が激しそうだ。


 空を見るといつの間にか黒い雲が日光を遮り、かなり暗い。


 冷たい雨が一滴、二滴とおれの頬を濡らす。

 やがて、パラパラと雨が降り始めた。


√ 琢磨、絶対に逆らうな。

 おれは小さく頷いた。


 彼女はおれから手を離すと空き地の入口側に立ち、おれを見てニヤリと笑った。


「ダミアン、やっと見つけたぞ」

 美少女は氷みたいに冷たい視線をおれに向けてきた。


 この子、どうしてダミアンのことを知ってるんだ?


√ 吾輩の言う通り話すのだ。

 おれは小さく頷いたものの、わけが分からない。


√ 元気だったか、エヴァ

「元気だったか、エヴァ」


 ダミアンの知り合いか。

 ということは、こいつは女子高生に憑りついた悪魔?


 てか、ちょっと待て。

 こいつはおれをダミアンだと勘違いしてないか?


 バッグの上のダミアンをチラリと見やるが、美少女はすでに話し始めていた。


「あぁ、元気だとも。お前に恨みを返す機会を、四百年も待っていたのだからな」


 恨みってなんだよ。


√ まだそんなことを言ってるのか? もうお互い水に流そうではないか。

「まだそんなことを言ってるのか? もうお互い水に流そうではないか」


「くっくっくっ……はっはっは! ダミアン、お前は相変わらず面白いやつだな」

 おい、笑っているけど、なんか殺気立ってないか?

 大丈夫なのか?


√ エヴァ、四百年前は本当に悪かった。土下座でもなんでもするから許してくれないか。

「エヴァ、四百年前は本当に悪かった。土下座でもなんでもするから…… っておれが土下座するのか?」


「うん?」


 シマッた。

 女子高生、いやエヴァが美しい顔を歪めて近づいてくる。


「ちょっと待って」

 おれは後ずさりし、エヴァを手で制止しようとしたが、胸ぐらを掴まれた。


「お前、様子が変だな」

 エヴァが首を傾げて、おれの目を覗き込む。


 ひっ。


 エヴァはそのままおれを持ち上げた。つま先が辛うじて地面に触れている状態。

 そして二、三度揺さぶられたかと思うと……


「うわっ!」


 横へ軽々と放り投げられた。


「いててて……」


 いや、痛がってる場合じゃない。

 エヴァを見上げると、驚いた表情でおれの後ろを見ていた。


 その視線の先には尻尾を膨らませ、威嚇の体制をとった一匹の黒猫がいた。


「はっははは! ダミアン、お前…… 猫に憑依したのか?」

 ダミアンは威嚇の姿勢を崩さない。

 エヴァはおれに視線を戻して言った。


「すると、こっちは下僕か。よく教育しているな。調子の良い言いまわしなど、お前そっくりだったぞ。もう少しで騙されるところだった」


「ギィィィィ!」


 ダミアンは言い返したくても、猫の声しかでないようだ。


「それにしても不思議だな。お前たち、どうやってコミュニケーションをとっているのだ?」


「ギゥゥゥ」


 ダミアンがエヴァとおれの間に割って入り、低く唸って威嚇する。


 エヴァはおれ達を交互に見て、やがて吹き出した。


「ぶぁははは! はははは! クックックッ……!」


 ダミアンは、エヴァを警戒したままだ。

 自分を最強だと豪語したこいつが、これほどまでに警戒するエヴァって何ものなんだ。


「ダミアン。お前、憑依してから疲れやすいと思ったことはないか?」


「…………」

 ダミアンは唸るのをやめたが、視線を逸らさず警戒を続けている。


 おれもそうだが、ダミアンもエヴァの言葉の意図をはかりかねているようだ。


「そこの小僧と、血の契約を交わしただろ?」

√ !?


 なぜバレた? いまの一言で、ダミアンが動揺したのは明らかだ。


 エヴァは愉快そうな笑みを浮かべた。


「お前は今回で三度目だったな。知らないなら教えてやろう」


√ ʼn❇÷Ⅴ≡

 何を言っているか分からないが、ダミアンが強く動揺しているのが伝わってきた。


「お前は血の契約を交わした肉体を、ただの血の供給元としか認識していないのだろう?」

√ …………


「経験の浅いものの多くは、そう思っている。だが、それだけではない」


「ひっ……」


 エヴァがおれを見て、なぜかにっこりと笑った。

 雨に濡れた黒髪が艶やかに光る。

 こんな状況じゃなきゃ、こんな美人に微笑みかけられて舞い上がっていただろう。

 だが、今は震えが止まらない。


「契約を交わした肉体は、僅かだが筋力が強化され、疲労回復が早まり、驚異的な自然治癒力を得る。お前が過去二回憑依した肉体が、昼間でも強靭だったのはそのためだ。

 決して憑依したから、肉体が強靭になったわけでも、回復力が増したわけでもない。この意味がわかるか?」


 ゴクリ。ダミアンがつばを飲んだ音が聞こえた。


「つまり、昼間のお前はただの猫だ。猫の体力しかなく、すぐに疲れる。そして何より致命的なことは、怪我をしてもすぐには回復しない、ということだ」


 ポツポツと降っていた雨は、いつの間にか大粒に変わり、空は黒々とした雨雲に覆われていた。

 いつの間にこんな大きな雲が……


 見上げれば、厚い雲はまるでおれ達を中心に広がる巨大な円のようになっている。

 それでも地上が真っ暗にならないのは、円の外が晴れていて、そこからわずかに光が差し込んでいるからだ。


 エヴァは足元の、こぶし大の石を拾い、ニヤリと笑う。


 次の瞬間、ダミアンから強い力が放出されたのを肌で感じた。


「ほう、魔力を纏ったな」


 同時にエヴァからも、ビリビリとした強い力が放たれる。


√ 尻尾を掴め、早く!


 ダミアンが叫んだ。

 おれが慌てて尻尾を掴んだそのとき――


 カーン!


 強烈な衝撃が頭を直撃した。

 少し離れた場所で、硬いものが転がる音が聞こえる。


 一体何が起きたんだ?

 確かに衝撃はあったが、痛みはほとんどない。ただそれだけ。


「動きが速いな」


 音がした方に視線を向けると、さっきエヴァが掴んでいた石が転がっていた。


 ……こいつ、あの石をおれに投げつけたのか?

 それにしてもよく無事だったな、おれ。


√ 尻尾から手を離さず、吾輩を抱き上げろ。


 言われるままにダミアンを抱き上げ、一歩後ずさる。


 やばい、膝がガクガク震えてきた。


「相当な魔力量だな…… 私より多いかもしれん。前回の“ご褒美”が、さぞ大きかったのだろう」


 エヴァが一歩近づく。おれは反射的に一歩下がった。


「だが、こんな状況ではせっかく手に入れた力も、十分に発揮できんな」

 エヴァは鼻で笑い、さらに詰め寄ってくる。


「私は過去一度だけ、憑依した肉体以外の人間と、血の契約を交わした馬鹿を知っている」


 つまり、今のおれ達と同じ状況か。


「そそっ…… そいつは、どっ、どうなったんだ?」


 怖くて仕方ないのに、訊かずにはいられなかった。


「ほう、怯えて震えているだけかと思ったが、話す余裕はあるようだな。いいだろう、教えてやろう」


 ダミアンは微動だにしない。


「その馬鹿は力に頼りすぎた…… 考えの足りない脳筋でな。ダミアン、お前と仲の良い“アドバン”と、そっくりなやつだった」

 ダミアンの体がわずかにこわばる。


「そいつが死んだ理由は……」

 エヴァは一呼吸置き、おれを真っ直ぐに見据えた。


「血の契約を交わした男が、同胞――つまり吸血族に殺されたからだ」


 予想はしていたが、やっぱりそうだったのか。

 つまり、おれも吸血族に狙われるってことなのか。

 ……まぁ、結果が同じなら弱いほうを狙うわな。


「この事実を同胞たちが知ったら、どうなると思う? お前は“人気者”だからな。ふふっ…… 想像しただけでも面白いだろう」


「フギィィィィィィ!」


 ダミアンが絶叫した。

 こいつも相当な危機感を覚えているらしい。


「フハハハハ! 面白い……! 考えただけで笑えるな。

 今日のところはこれくらいにしておこう。せいぜい、その小僧を守ってやるんだな。憑依が定着したら、また会いにきてやる」


 エヴァは片方の口角を上げ、フッと笑うと、歩道の方へと歩き出した。


「……小僧、お前の学校にも、すでに同胞の“息”がかかった者が潜んでいるぞ。用心することだな」


 エヴァが空き地を出て行くのを見届け、おれはその場にへたり込んだ。


 ……どういうことだ?

 学校までバレてるってことなのか?


 ぼんやりと腕に抱いたダミアンと、濡れた学生服を見下ろす。

「……校章か」

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