16:ソフィア

■吸血鬼事件と神託 《POV:ソフィア》


 スコットランドの、とある修道院。

 ソフィアは両手を胸の前でぎゅっと握り、小さく身を縮めた。


 光の差し込む聖堂の中で、プラチナブロンドの長い髪がふわりと揺れ、大きな碧い瞳が不安げに瞬く。

 そしてその肩は、シスター・シャーリーの声にビクッと跳ねた。


「ソフィー、神父様がいらしたわよ。いらっしゃい」


(また来た……)


 できることなら気づかないふりをして、このままどこかへ逃げ出したかった。


(そうよ、逃げればいいのよ)


 そう思い、出口へそろりと足を向けた……が。


「ソフィア・サッタ、あなたはどこに行こうとしているのですか?」


「いえ、あの、その…… 神父様にお茶菓子でも買いに行こうかと……」


「そんなもの、買いに行かなくてもあります。さっ、こっちにいらっしゃい」


 やっぱり逃げ道はなかった。

 ソフィアはシスター・シャーリーに連れられ、渋々応接室へと向かった。


 ソフィアを迎えに来たのは、マルコ・ボルギ神父。

 悪霊払いなどを得意とする、少し変わり者の神父さまだ。

 厄介事があるたびに、ローマからわざわざソフィアを迎えにやってくる。


(今回はどんな面倒な話だろう)


 応接室へ向かう足取りは、鉛のように重い。


 ドアを開けると、そこには満面の笑顔を浮かべたボルギ神父の姿。

 シスター・シャーリーを先に入れると、ソフィアも後をついて応接室に入る。


 相変わらずでかい。

 たぶん180センチは余裕で超えてるはず。

 神父と立ち話をすると、155センチのソフィアは見上げることになり、いつも首が痛くなる。


「ソフィア、久しぶりだな」


 ソフィアは人形のように整った顔を、引き攣らせた。


(久しぶりだっけ? やだなぁ。こんな笑顔のときって、ろくな事が無いんだけど)


「ソフィー、こっちに来てお座りなさい」


 シスター・シャーリーに促され、ソフィアは仕方なく隣に腰を下ろす。

 正面のボルギ神父は、金髪碧眼の大きな丸顔をソフィアに向け、笑顔を崩さない。

 何かある証拠だ。


「大きくなったな。今年でいくつになったんだ?」


「それ、前にもお聞きになりましたよね?」


 パシッ!


 シスターの手のひらが容赦なく頭を打ち、ソフィアは頭を押さえた。


(おかしいな…… 三か月前にも同じこと聞かれたのに。ボルギ神父、まだ五十にもなっていないのに物忘れ激しすぎ……)


「失礼しました。じゅ、十四です」


 ソフィアが答えると、シスターは美しい顔でにっこり微笑む。

 シスターは誰にでも優しく、清らかな光を纏って見えることすらあるが、ソフィアにだけは厳しい。


(目が笑っていないのが怖いんですけど……)


「そうか。もうそんなに大きくなったのか。しかし、お前は怖いくらいに母親そっくりだな」


 ボルギ神父は感慨深そうに頷く。


 そう、ソフィアは十歳にもならないときから、ボルギ神父に連れまわされている。

 母を亡くしたのは四歳のとき。

 記憶はほとんどなく、母の面影を自分に重ねられることに複雑な思いを抱く。


 母を亡くしてからしばらく孤児院で育ったが、六歳のある日、修道院から迎えが来た。

 それからソフィアは修道院で育てられることになった。


 もっとも、将来修道女になるわけではない。

 シスターの手伝いをしながらも自由を許され、近所の子供たちと遊んだり、学校に通わせてもらったりする特別な立場だった。


 そんな特別扱いの理由がわかったのは、八歳のとき。


 奇妙な色が見えるようになったのだ。

 それは、深い赤だったり、紫だったり。

 大きさも濃さも違う。


 その色を纏う人を見かけるたびに、ソフィアは怯えた。


 誰にも言っていないが、ソフィアもまた同じような色を纏っていた。

 そして、それがどれほど禍々しい色をしているのか目にするたび、気を失いそうになった。


 九歳のとき、ローマからボルギ神父がやって来た。

 彼はソフィアを日差しの届かない部屋へと連れて行き、懐から小さな箱を取り出した。


 箱の中には、骨のようなものが収められていた。


「これが、どう見える?」


 そう尋ねられ、ソフィアは箱の中を覗き込んだ。


 促されて覗き込んだソフィアの目に、その骨は禍々しい色を帯びて映った。

 自分を覆う色にどこか似ている。


 神父に骨のようなものを覆う色について答えると、それは妖気だと教えてくれた。


「これ、何ですか?」


 と問えば、神父は淡々と告げた。


「吸血鬼の指の骨だ」


 この日を境に、ソフィアは悪霊祓いの手伝いをさせられることになった。


 やがて応接室で向き合った神父は、唐突に問いかけてきた。


「ソフィア、日本で連続猟奇殺人事件が発生しているというニュースを知っているか?」


(ほらきた、なんかヤバそうな話を振ってきた)


「あー、なんか最近ニュースで騒がれていますよね。でも私、日本のことは漫画とアニメ以外は全部スルーなんで。ひっ!」


 シスターにお尻をつねられ、思わず変な声が漏れた。

 ニッコリと笑うシスターの顔を見て、ソフィアはぶるっと身を震わせる。


 正直に言えば、神父とは話が合わない。

 でも一つだけ、共通の話題があった。

 漫画とアニメである。


 ボルギ神父は生粋のオタクだった。

 その一点においてだけは、話が弾む。


(まあ、この歳でアニメオタクというのは、かなり痛いと思うのだけど)


 ボルギ神父のお母様は日系人。

 神父は子供のころ、お母様に日本のアニメを観せてもらってからアニメにハマリ、アニメを日本語で観たくて日本語をマスターしたという超オタクだ。


 そんな神父の影響で、ソフィアも日本語を学んだ。

 もともと記憶力が良かったこともあり、今ではネイティブ並みに話せると自負している。


「この事件だが、犯人は吸血鬼の可能性がある」


「はあ…… はぁ?」


(いやいやいやいや吸血鬼って…… 私、本気で怖いんだけど!)


 神父は続ける。


「この事件は、西港市内という狭い範囲で起きていて……」


 ソフィアは話し続けているボルギ神父から目をそらせた。


(えぇ? そんな物騒なとこに行けって言うの? 冗談でしょ? 私、日本は東都と西都市と古都市しか知らないんですけど! ていうか、西港市ってどこよ)


 これから自分の身に降りかかる不幸を想像するだけで、背筋が冷える。

 神父は長々と話しているが、ソフィアの意識はすでに上の空だった。


「おい、ソフィア聞いているか?」


 びくりと体が震えた。

 神父の声よりも先に、シスターの鋭い視線が突き刺さったからだ。

 眉をひそめられ、思わず身を縮める。


「ひっ……」

 シスターは悪魔や魔物が魂レベルで大嫌いだ。

 吸血鬼退治の話となれば、当然真剣に聞くべきなのに、もし聞いていなかったら――修練室送りは確定だ。


 そんなことになれば、夕食後にシスターのお説教を何時間も聞く羽目になる。


(嫌! 修練室送りだけは絶対に嫌!)


「ごめんなさい。聞いていませんでした!」


 ソフィアは恐怖に突き動かされるように、勢いよく頭を下げた。


 神父のため息が聞こえる。


「ソフィー、あなた神父さまのお話をちゃんと聞かなくっちゃ――」


「まぁまぁ、シスター」


 ソフィアは、シスターのお小言を覚悟していたが、ボルギ神父が手で制した。


「ソフィア、私と一緒に日本へ行ってほしいのだが」


(やっぱり、そういうことか)


「絶対に嫌です! なんでそんなとこに行かなきゃいけないんですか!」


「西港市は美しい港町だぞ」


 ボルギ神父はにこやかに笑っている。


(こんな顔をしているときは、相当ヤバいことが起きてるに決まってる。うまく断らなきゃ)


「私、港や船に興味ありませんし」


「山からの夜景は最高だと聞くぞ」


「そういう場所は彼氏ができてからのお楽しみって決めてるんです!」


「食べ物も美味しいということだ」


「私、食べ慣れたもののほうが……」


 ソフィアは分かっていた。

 選択権は有って無いようなものだ。

 神父が一緒に来いと言えば、結局行かざるを得ないのだと。


 それでも、彼が諦めてくれることを願った。


 ボルギ神父は天を仰ぎ見る。

 つられてソフィアも仰ぎ見るが、室内なので天井と照明しかない。

 神父がこんな仕草をとるときは、何かを考えているときだ。


「……主は仰せられる。ソフィア、おまえと共に西港へ向かえと」


(でたぁ、神託、そんなにポンポン降りてくるわけないじゃない)


 ソフィアは天井を仰ぎ見たまま、目をキョロキョロさせて理不尽な神託を下した、胡散臭い神様を探した。

 しかし、そこにあるのは埃をかぶった蛍光灯と白けた天井板だけだ。


 当たり前だが、声の主はどこにもいない。

 いるのは、神託を口実に人を丸め込む笑顔のボルギ神父だけ。


 心の中で「またこれか……」と呟き、ソフィアは思わず肩をすくめ、神父の視線を受け止めた。


「ソフィア、西港市から日本第二の都市、西都市まで電車で二十分で行けるそうだ。西都市には漫画やアニメの聖地という場所があるらしいぞ」


 罠だ!


 ソフィアの脳内で理性が非常ベルを鳴らしたが、アニオタ魂がそのコードを引きちぎった。


「行きます。ぜひぜひお供させてくださいっ!」


 口が先に動いた。

 慌てて両手で口を覆ったが、もう手遅れだった。


(あれ、ちょっと待って…… 今、私とんでもないこと言っちゃった!?)


 ボルギ神父がにやぁっと笑う。


「よし、話は決まった。明日出発だ」


 シスターも満足そうにうなずく。


「ソフィー、神父様のお役に立てるように励みなさい」


 ソフィアだけが顔を青くしていた。

「それからソフィー。夕食後に、修練室に来るように」


(えっ? 修練室…………)


 思わずシスターを見上げると、細めた冷たい目で、にこりと微笑んでいた。


「いっやぁぁぁぁぁぁ!」

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