15:引き金に触れる前
■タイヤ倉庫の日常 《POV:郷原》
小埠頭のタイヤ倉庫。
最初の猟奇殺人事件が発生した現場に近いこの倉庫で、郷原は自動車用タイヤの搬送を行っていた。
「郷原くん、今日も朝から頑張ってるね」
青い作業着姿の郷原が顔を上げると、やや小太りの初老の男が立っていた。
着崩した郷原とちがい、男は作業着をきっちりと着こなしている。
「そおっすね、田川課長。仕事楽しいんで」
倉庫管理者の田川に声をかけられ、郷原は軽く返事をした。
(ちっ、相変わらず息が酒臭いぜ)
郷原の仕事は、倉庫内でのタイヤ整理と、近くの整備所への搬入。
中学卒業後、暴力事件を繰り返し、親から勘当された郷原を拾ってくれたのが、このタイヤ管理会社だった。
「搬送もあらかた終わったし、一休みしないかい? コーヒーくらい奢ってあげるよ」
(めんどくせぇおっさんだな)
内心ぼやきながらも、普段から世話になっている手前、郷原は無言で頷き、後をついていった。
自販機で買ってきた缶コーヒーを田川から手渡され、倉庫前のベンチに腰を下ろす。
「ありがとうございます」
「いいえ、熱いうちにどうぞ」
田川は赤黒い顔をほころばせ、プルトップを開けた。
(肝臓悪そうな顔だな。心臓も持病があるって言ってたけど、大丈夫かよ、おっさん)
郷原も缶を開け、ぐっと喉に流し込む。
「今日は晴れて良かったね」
「そおっすね」
「郷原くんがうちに来て一年程になるけど、どう? 困ってること無い?」
気にかけてくれるのはありがたい。だが、放っておいてほしい郷原にとっては、少し面倒でもある。
「特に無いっすね」
返事はいつも通り、素っ気なかった。
特に話すこともないので、郷原はタバコを取り出し、火をつける。
倉庫の前の二車線道路では、トラックが行き交っていた。
ちょうど今も、荷下ろしを終えた一台が、高速道路の方へ走り去っていく。
紫煙を勢いよく吐いたとき、歩道を歩く女が目に留まった。
長い髪、整った顔立ち。
西洋人形のような清楚さと聡明さをまとった女。
郷原の周囲にはまずいないタイプだ。
今年の四月頃から、毎朝倉庫前の歩道を通り、中古車を扱う貿易会社の方へ歩いていく姿を目にしていた。
(いい女だ)
郷原は自然と、その後ろ姿を目で追っていた。
「ああいう子が、郷原くんのタイプなのかい?」
田川も、女の後ろ姿に視線を向けていた。
「いい女だけど、タイプじゃないっす」
郷原には好きな女がいる。
いや…… いた、というべきだ。
「君は見かけによらず、身持ちが堅そうだしね」
田川が意味ありげに言うと、郷原は眉をひそめた。
「あぁ? なんであんたに、そんなことが分かるんだよ」
ムッとした郷原は、ベンチにもたれ掛かったまま田川を睨みつけた。
だが田川は気にも留めず、にっこりと笑った。
「私は君のそんなところが好きだよ」
毒気を抜かれ、郷原はため息を吐く。
「好きな子がいるのかい?」
「あぁ」
視線を空へと向ける。
「告白してみたらどうだい」
「もうした。中学んとき」
思い出すのは、学年のアイドル的存在だった、神木心優。
「だめだったのかい」
「あぁ」
あのとき心優は泣きながら、他に好きな人がいると告げた。
誰とは言わなかったが、その後の心優を観察すれば一目瞭然だった。
(寄りにもよって、あんなパッとしない奴を……)
「もう一度してみたらどうだい。状況は変わってるかもしれないよ」
「そおっすね、考えてみます」
郷原は缶コーヒーをぐっと飲み干した。
――――――――――――
■他の吸血族
おれは自室で、柔軟体操に励んでいた。
今日は朝から心優と走り、学校までの軽登山(通学)、さらに体育のサッカーまであった。
普通ならクタクタになるはずなのに、夜になっても疲れはまるで感じない。
むしろ、元気が有り余っているくらいだ。
一方で、ダミアンはというと、相変わらず押し入れの上段にこもってパソコンをいじり、勉学(?)に励んでいる
√ おい琢磨、どうして『一』をニノマエと読むのだ。『二』がシタナガというのも辞書には載ってないぞ。
「お前、そんなのも分からないのか? 数えるとき、一は二の前だろ」
√ はぁ?
「それに二って漢字は、下の横棒が長いじゃないか」
√ ん……
ダミアンは納得いかないようで、険しい表情を浮かべた。
√ それでは貴様が持っている本に、やたらとタカナシという名字が出てくるが、これも辞書には出てこない。小鳥と遊ぶで、どうして『たか』と『なし』になるのだ。
「小鳥遊ってのは、天敵の鷹が居なければ、小鳥は自由に遊べるだろ」
√ …………
「お前、本当に応用力がないな。こんなの漢字とフリガナを見れば、誰だって想像つくだろ」
ダミアンは下を向いてプルプル震えている。よく見ると、ちょっと可愛いな
√ ふざけんな。クイズしてるんじゃないんだぞ! どうして、こんな辞書にも載っていない、いい加減な読み方が普通に使われてるんだ。まったく。
「いいじゃないか。表現力が豊かで」
√ あぁ?
「調子に乗ってごめんなさい」
ダミアンの目が一瞬ギラッと光ったのを見て、即座に謝罪した。さすが悪魔、凄むとマジで怖い。
√ ったく。どうして一つの文字に、いくつもいくつも読み方があるのだ。
「こうゆうやつか?」
おれは押し入れのパソコンに文章を打ち込んでみせた。
『昨日の一月一日は日曜日で、日本では祝日、翌二日は晴れの日です』
√ がぁぁぁ!
あっ、壊れた。
ダミアンは頭の上に何かを持ち上げるようなポーズで、天を仰いでいる。
いや、見えるのは押し入れの天井だけだけど。
√ というか、どうして国名まで読み方が複数あるのだ。ニホンかニッポンかヒノモトかハッキリしろ。訳がわからん……
「ヒノモトって……」
√ 今朝持ってきた本を一通り読んだが、何度もヒノモトと出てきたぞ。
「おれは言語学者じゃないんだから、そういうもんだとしか言えない」
この短時間でラノベだけじゃなく、今朝、心優の母さんから借りた歴史小説も読んだのか。
分厚いのが二十冊くらいあったはずだけど……
やっぱ、悪魔、すげーなぁ。
√ しゃくだが、悪魔の言語と言ったこの宣教師に同意せざるを得ない……
そう言って歴史の教科書の戦国時代のページを、苛立たし気にペシペシ叩いた。
√ クソ、もういい、諦めた。全部丸暗記してやる。
こいつ、悪魔なのに入試直前の受験生みたいに気合が入ってるな。
実際ほんの数日で、ここまで話せるようになるなんて驚異的だけど。
「あのさ、お前の仲間もこうやって日本語を勉強してるのか?」
√ 仲間とは?
きょとんとしたしぐさも可愛いな。
中身が悪魔でなけりゃ、もっと素直にそう思えるんだろうけど。
「他の吸血族だよ」
√ あいつらは仲間ではないぞ。どちらかといえば、生き残りをかけたライバルだな。仲間と呼べる奴はひとりいるが、いつ再会できるやら。
そう言って、ダミアンは二本足で歩きだす。
√ 話がそれたな。他の奴らは勉強などする必要が無いのだ。憑依したときに、宿主の記憶を引き継げるのでな。いきなりネイティブだ。それに比べ吾輩はどうだ……
ダミアンはいきなり押し入れの上の段を、激しく踏み鳴らした。
地団駄を踏んでる猫なんて初めて見たよ。
√ 吾輩が得た初期情報は、ご近所の裏道と残飯の廃棄場所、それに『ニャー』と鳴けば餌をくれるお人よしの人間がどこに住んでいるかという、役に立たんものばかりだ!
呆気に取られていると、
√ 猫に憑依したうえに、宿主以外の人間と血の契約を結んでしまうとは……
√ ……あぁぁぁぁ!
ダミアンは大声で喚いたあと、うずくまってしまった。
なんかおれ、こいつに悪いことをしてしまったのだろうか。
「まっ、そのうち良いことがあるさ」
ダミアンの肩のあたりをポンポンと叩いてやると、上目遣いで睨まれた。
その悪魔みたいな目つきはやめてくれ。
ほんと怖いから。
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