14:山麓公園へ

◇九日目【6月18日(火)】

■山麓公園


ー早朝ー


 ガチャ

 玄関を開けると、髪をポニーテールにし、黄色いTシャツにジョギングパンツ姿の心優が玄関前に座っていた。


「遅い」


 心優は立ち上がるなり、ウェストバッグを腰に巻きながら、頬をぷくっと膨らませる。


「お、おはよう……」


「おっはよう!」


 こんな朝早くから元気だな。

 このテンションの高さにはついていけない。


「どうしたの? めっちゃ眠そう」


「まあな」


 今日もダミアンに、後ろ足で蹴り上げられて起こされたのだから仕方がない。


「たっくん、右のほっぺた赤いよ。小さい丸が二つ……」


 心優が不思議そうに、指でツンツンと突いてくる。

 ダミアンに蹴られた跡だ。

 おれは足元のダミアンを睨みつけた。


「にゃぁ」


「ルナちゃんも、おっはよう!」


 心優はダミアンを抱き上げ、頬ずりを始める。

 こうやって見ると、ただの可愛い猫なんだけどな……


「じゃぁ、行こっか」


「ああ」


 門を出ると、神社の小さな本殿に灯りが点いているのが見えた。

 風が御神木の枝を揺らし、バサバサと音を立てている。


「どこ行くの?」


 心優が小首を傾げるが、行き先なんて決めていない。

 いつもダミアンまかせだからな。


「どこ行こう?」


「コースは決めてないの?」


 頷くと心優は、おれを頼りなさそうな奴を見るように見上げてくる。


 東に10分程行けば先日ヴァンパイアに襲われた甲川。

 西に行けば住宅街。

 いつもはダミアンが行く方向を指図してくるが、今日はだんまりだ。


「私が決めていい?」


「まかせる」


「じゃぁ、こっち!」


 心優はおれの手を引っ張り、東側にある交差点を左に折れて、アンテナ山へ向かった。


√ 優柔不断は女に嫌われるぞ。


「ほっとけ!」


 余計なお世話だと、足元を走るダミアンを睨むと、


「ん? 何か言った?」

 前を走る心優が振り返り、首をかしげる。


「何も言ってない。危ないから、前向いて走れよ」


「ふぅん」

 口を尖らせながら、心優はまた前を向いて走り出した。


 心優はアンテナ山の麓を目指して、坂道を黙々と上っていく。

 規則正しい呼吸を刻みながら、五メートルほど前を走るその背中を、おれはぼんやりと見つめながら追いかけた。

 ペースが速い。

 東の空が白みはじめ、あたりも少しずつ明るくなってきた。


√ おい琢磨。


 足元のダミアンをちらっと見る。


√ 心優のうなじ、色っぽいぞ。


「……」

 こいつ、なに言ってんだ?


√ 脚も細くて綺麗だと思わんか。

「……」


√ 太もものラインがそそるぞ。


 その言葉に引きずられるように、心優の体を視線で追いかける。

  そして、気づいたときには罪悪感が込み上げてきた。


 これが…… 悪魔の囁きってやつか。


√ 脚を動かすたびに、あの腰つきが……… たまらんぞ!


「うるさい、黙れ!!」


「えっ、なになに?」


 心優が立ち止まり、振り返る。

 ヤバイ!!


 おれは慌ててしゃがみ込んだ。


「どうしたの? 気分悪いの?」


 ……思春期男子特有のアレだ。

 とは言えない。


「大丈夫。なんでもない」


 心優もしゃがみ込み、おれの顔を覗き込んでくる。


「たっくん、今日も朝から変じゃない?」

 今日もってなんだよ。


「何も変じゃないぞ」

 当然だろ、思春期男子なら!


 おれは心優から目をそらす。


「そうかなぁ…… なんか、顔真っ赤だよ?」


 あんまりジロジロ見るな、恥ずかしいから。


 心優は不自然なおれの体勢を見て、不思議そうな顔をしたかと思うと、

「あぁ、たっくん、もしかして……」

 息を呑んで、両手で頬を押さえた。


 もしかして……?


「走ってるとき、たっくんの視線が気になってたんだよね。私の腰のあたりを見てたでしょう」


 気づいてたのか!?


「いや、それは」


「しかたないよ。隠さなくたっていいんだよ」


 バレてる……

 最悪だ。

 羞恥心で全身が震える。


「ごっ、ごめん……」


「はい、おにぎりあげる」


「へっ……?」


 心優はウェストバッグからラップに包まれた特大のおにぎりを取り出し、おれの手に乗せた。


「お腹すいてたんでしょ? 違った?」


 心優の顔と手にしたおにぎりを交互に見ながら、おれは小さく礼を言った。


「……ありがとう」

「なぁに、礼には及ばぬよ! わっはっは!」


 おれはおにぎりを受け取り、かぶりついた。


 上り坂を走ってきたはずなのに、不思議と息は乱れていない。

 しゃがんだまま、おれたちは一緒におにぎりを食べた。


 ……これ、大きな米の塊だな。

 興奮が収まって、いや落ち着きを取り戻してから、おれ達は上り坂の突き当たりにある山麓公園まで、一気に駆け上った。

 ここ数日のジョギングの成果か、ほとんど疲れを感じない。

 代わりに、ダミアンが途中で「疲れた」と座り込み、仕方なく抱えて上ってきたくらいだ。


「いい景色だね」


 山麓公園は、アンテナ山と住宅地の境にあり、街や港、さらに東の大都市・西都市のビル群まで見渡せる。


「本当に景色がいいな」


 柵にもたれて隣を見ると、心優の頬を伝う汗が朝日に照らされ、きらきら光っていた。


「たっくん、あんまり汗かいていないね」


「そうか?」


「思ったより疲れてなさそうだし、ちょっと期待外れだったなぁ」

 心優は、口を尖らせる。


「どうゆうこと?」


「疲れてヘロヘロになったたっくんを、からかってやろうと思ってたのに、残念」


 変について来たがると思ったら、やっぱりそういう魂胆だったのか。


「ねぇ、ルナちゃん大丈夫かな?」


「大丈夫じゃないかな」


 思った以上にダミアンは疲れ果てていた。

 しかたがないので、今はベンチの上で寝かせている。

 景色を見る余裕もないようだ。


 猫の短い足で、人間と二十分も走ったんだから、そりゃ疲れるよな。


√ トレーニング始めるぞ


 ベンチの上でぐったりしていたダミアンからお呼びがかかった。


「じゃぁ、ちょっと体を動かしてくる」


「なにするの?」


「キックボクシング」


「ほう、それじゃ見学でもさせてもらおう」


 おれ達は景色のいい場所から離れ、ダミアンがいる芝生の広場へ移動した。

√ ジャブ

「シュッ」


√ 右フック

「シュッ」


√ 右脚ハイ

「シュッ」


「おお、たっくんすごいね」

 心優はベンチに腰掛け、ダミアンを膝に乗せながら、おれのトレーニングを見ていた。


「シュッ」

 ちらっと心優を横目に見ながら、トレーニングに励む。

 と言ってもダミアンの指示通りに動いているだけなんだけど。


「さすがはジムに通ってただけはあるね。ひと月で辞めちゃったけど」


「二ヶ月だ」


「あはは、そうだっけ?」


 辞めてから二年くらい経つけど、それなりに体が覚えているもんだ。

 それに最近、体の動きにキレがある。

 と、自分では感じている。


 数日とはいえ、よく動いたからかな?

 もしかしたら、ダミアンの指導がいいのかもしれない。


√ 左ガード、右ハイキック

「シャッ」


「おぉ、すごいね、たっくん。とても帰宅部とは思えない動きだよ」


 やっぱり心優もわかるのか。

 おれ史上、最強のおれの動きが。


「シュッ、シュッ、シュッシュッ」


 ダミアンの指示が聞こえてこないので、調子に乗って自由に技を繰り出す。

 ほら、もっと褒めてもいいぞ。


√ うん、これはうまい。

 んっ?


「こっちも食べて」

√ こっちは、歯ごたえがたまらんな。


「おい」


 ピシッ

√ いてっ!

 ポリポリとうまそうにキャットフードを頬張るダミアンに、デコピンを食らわせてやった。


「ちょっとたっくん、こんな可愛いにゃんこになんてことするのよ!」


√ 貴様、あとで呪いをかけるぞ。


 物騒なことを言うな……


 でも、この一週間でわかったことがある。

 こいつはおれに手を出せないし、性格も意外とイタズラ好きな性格をしている。


 それに、おれもこの悪魔に慣れてしまった。

 人間の適応力とは凄いもんだ。


「そうだな、ごめんよルナ」

 ダミアンの頭をワシャワシャと撫でてやると、ムカッとしたような顔で睨まれた。


「たっくん、お腹減ってない?」

「減ってない」


「…… 即答だね。実はさ、早起きしてサンドイッチを作ったんだけど」


「心優、お腹へってるだろ。おれに遠慮すること無いぞ」


√ おいっ、失礼だぞ。

 うるさい。なんで悪魔が、そんなこと気にするんだよ。


「お腹減ると思って、たっくんの分も作ってきたんだけど……」


√ 貴様のために作ったって言ってるぞ。

 外野がうるさい。


 心優は下から覗き込むように、おれと目を合わせてきた。

「いらない?」


 ……


√ 受け取れ。


「ありがとう」

 しぶしぶ、態度に出さないよう気をつけながら受け取ると、心優はぱっと笑顔を見せた。だがおれの心は晴れなかった。


「それじゃ、いただきます」


 しぶしぶサンドイッチにかぶりつく。

 ……ポリポリポリ。

 サンドイッチはおれの想像以上のものだった。


「心優、きゅうりって普通スライスしない?」


「普通はそうだけど、お母さんに乱切りを教わってね。ボリューム出るから、試してみたんだよ!」


 たしかにきゅうりの食感をすごく感じる。しかもゴロゴロ入ってるし。

 …… いや、そうじゃなくて。


「ベーコンが入ってる……」


「そうなんだよ。分かる? 実はハムサンドを作ろうと思ったんだけど、ベーコンしか無かったんだよね。ハムもベーコンも似たようなものだし、代用できるかなと思って」


 心優は、自分のアイデアを褒められたと思って、得意げだ。

 ベーコン、火を通してないんだ。そのままでも食べられるらしいけど、火を通してほしかったな。


「パンにバターとか塗らなかったの?」

「えっ、バターとか塗る必要あるの? でも、カロリー抑えようと思ったら、塗らないほうが健康的じゃない?」


 ヘルシーでしょ!

 みたいな顔をするなよ。普段はから揚げをパクパク食べてるくせして。


 それにベーコン、五枚くらい入ってるぞ。

 バターを塗ってないから、この4枚切りくらいの食パンはきゅうりの水分吸って、いやこれは洗ったあと拭いてないな。

 上下ともにパンがびちゃびちゃなんだけど。


「美味しい?」

 自分で食べて、どう思ってんだよ?


√ 美味いって言え、礼儀知らずめ。


「……うん、美味しい」

 顔、引きつってないかな……


「心優、スマホ持ってる?」


「持ってきてないよ」


 だろうな。

 ウエストバッグの中、食べ物でパンパンだったし。

 姉ちゃんに「朝ごはんは、いらない」って、電話しようと思ったけど諦めよう。


 その後、朝の陽ざしの中をのんびり歩いて帰った。

 ダミアンは疲れ切ったのか、心優の胸に顔をうずめたまま、ぐったりして抱かれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る