9:心優と化け猫

■から揚げと化け猫と、嘘の午後


 夕方、心優が学校のプリントを届けにきた。玄関の式台にカバンを置き、次々とプリントを手渡してくる。これ、タブレットで見れるようにすればいいのに。と思うが、うちの学校はまだ紙のままだ。


「ふぁいじょうぶ?」


 たぶん「大丈夫?」って訊いたんだろう。どうしてこいつは、いつも何かを食べてるんだ。


「あぁ、大丈夫」


 呆れながら、心優の手元を見る。


「ん? あっ、食べる? これ美味しいよ」


 心優はコンビニのチーズから揚げを、つまようじに刺しておれの口元へ。

 こいつ、本当にからあげちゃん、好きだな。


「はい、あ~ん」


「いや、いい」


 顔をそらすと、心優はニヤニヤしながら、なおもおれにチーズから揚げを食べさせようと迫ってくる。


「たっくんと私の仲じゃない。遠慮しなくていいんだよ」


「ほんといいから」


 心優は不思議そうな顔をしてから、はっとしたように目を細めた。


「あっもしかして、私が使ったつまようじで食べると、間接キッスだって考えてるでしょう。もう、照れ屋なんだから」


 いや、違う。さすがに彼女でもない女の子に、食べさせてもらうのはちょっと。なんて思っていると、心優は腕にぶら下げたコンビニ袋を開いて、スパイシーから揚げの箱を取り出した。


「こっちに新しいつまようじがついてるから、こっちのを使うね」


 袋の中を覗くと、スパイシー味の他に、しょうゆ味、タルタルソース味の箱が詰まっていた。


「お前、学校の帰りにいつもこんなに買ってるのか?」


「えっ、いや、たまたまだよ。今日はたまたま」


 胸元で違う違うと小さく手を振って否定するが、明らかに毎日買い食いしている。ジトッとした目で心優を見ると、目をそらされた。


「ほら、部活するとお腹すくしさ」


「ああ、そうかもな」


 心優はおっとりした見た目に反して運動神経は抜群だ。ソフトボール部に所属していて、走るのも速いし、遠投も得意なので、中学のときから1番センターが定着していた。


「そんなことより、ほら」


 心優がチーズから揚げに、新しいつまようじを刺したのを見て、


「ほんと、いらないから」

 と、おれは断った。


 心優の頬がぷぅっとふくれる。


「いま食べないと、きっと後悔するよ。一生」


 なんか、すごく機嫌が悪くなってきた。やっぱ、謝って食べとくか。


「ご、ごめ」


「このチーズからあげちゃん、期間限定で今日までなんだからね!」


「へっ」

 そっちかぁ。

 てっきり、私に食べさせて貰うのが嫌なんでしょって、怒るのかと思った。


「それに、私に食べさせてもらうの嫌なんだ」


 めんどくさいことになってきた。


「いや、そういうわけじゃ」


 おれがしどろもどろになってると、


√ んぁ、よく寝た。


 ――化け猫が起きたらしい。二階でドアが開く音がしたかと思うと、化け猫が階段の上からひょっこりと顔を出した。


「あっ、にゃんこだ」


 心優は靴を脱ぎ棄てて、階段の上り口まで駆け寄る。


 化け猫は階段の中段あたりから、ぴょんと心優の胸元に飛びつくと、心優にしっかりと抱きとめられた。


 こいつは姉ちゃんには手を出さないと言ったが、他の人間に手を出さないとは言っていない。


 不安を感じながら、様子を見ていると、


「ねえ、たっくん。この猫、なんて名前?」


 心優は振り向くと、満面の笑みでおれに尋ねた。


「ルナだけど」


「ルナちゃんかぁ。可愛い~」


√ この女の血、美味そう。


 おれは、ぎょっとした。


「やめろ!」


 慌てて心優から化け猫を引き離そうと手を伸ばしたが…… 心優にひょいと避けられた。


 ドンッ!


「なになになに?」


 階段に突っ込んだおれを見て、心優は呆然としている。


√ 心配するな。冗談だ。


 心優から見えないように、大きく口を開けて笑ってるのがむかつく。


√ 安心しろ。この娘を襲ったりせん。


 そういやこいつ、発音は変だけど、昨日に比べると格段に日本語が上手くなってるな。

 というか、本当に言ってることを信じていいのか悩ましい。


 おれが化け猫と睨み合っていると、


「たっくん、今日はなんか変だよ。まあ、変なのはいつものことなんだけど。あはは」 


 笑う心優に、おれは心の中でため息をつく。


 心優、お前…… 何もわかってないから笑ってられるんだぞ。


「ねぇ、何か飲まない? 少し話そっ」


「あぁ」


 心優はおれの手を引きながら、リビングへ入っていった。

 心優は化け猫を床に下ろすとキッチンへ。

 冷蔵庫から麦茶を出すと、コップに注いだ。

 迷わず食器棚の引き出しから、わらび餅を取り出して皿に分ける。


 こいつ、何処に何があるか、おれよりも詳しそうだな。


 心優が椅子に座ると、化け猫がその膝に飛び乗った。そして、まるくなってくつろぎ始める。


「ちなみに、このわらび餅は私が買ってきたものだからね」


「そうなんだ」


 自分ちと勘違いしてるな……


「ルナちゃん、かわいいね」


 心優が頭を撫でると、目を細めて気持ちよさそうにしている。


「そうか?」


 化け猫って知ってるから、素直に頷けない。


「この猫、ブリティッシュロングヘアーって言うんだよ。飼い猫だったのかな?」


 どうだろう。野良猫にしか見えなかったけど。


√ 捨て猫だ。去年の春頃、飼い主が引っ越すときに捨てられた。


「捨て猫だって。引っ越すときに邪魔になって捨てられたらしい」


「へぇ~、そうなんだ。 ……って、なんでそんなに詳しく分かるのよ」


 シマッた。つい化け猫が言ったことを、そのまま口にしてしまった。


「いや、何となくルナがそう言ったような気がして……」


「なにそれ、変なの」


 心優は楽しそうに笑ってる。変にツッコまれなくってよかった。


「あっ、首のところに三日月みたいな模様がある。可愛い~」


 心優はしばらく一人で喋っていたが、話すことがなくなったのか急に黙り込んだ。

 眠そうにあくびをする化け猫の背を撫でながら、心優の瞳が何か言いたそうにおれを見つめている。やがて迷いながらも口を開いた。


「ここ数日ね…… たっくんの様子がおかしかったじゃない」


「そうだったな。心配かけてごめん」


 化け猫とのことは言えない。変なことを言って、こいつの機嫌を損ねるのはまずい。


 おれは素直に謝って、話題を変えようとしたが、心優が先を続けた。


「それはいいんだけど。たっくん、正直に言ってね」


「ああ」


 心優が真剣な顔になる。


「たっくん、危ない人に脅かされたりしてない? お金取られたとか?」


「してない」


 嘘はついていない。危ない猫には脅かされているが、取られるのも金じゃなく血、血液だ。


 もうちょっとで正解だったのに惜しい。当たるわけないけど。当たってても、本当のことは言えないが。


「本当に?」


「心優、嘘は言ってないぞ」


 そう、嘘は言ってないので、やましいところはない。


「ななちゃんがね、すごく心配してたよ。変な事件に巻き込まれてるんじゃないかって」


 正解だな。

 登場人物が化け猫や吸血鬼だなんて、変としか言いようがない。


「ななちゃん、昨日うちに来て、たっくんがおかしくなっちゃったって泣いてたんだよ。化け猫とか吸血鬼なんて変なことばっかり言って、本当のこと話してくれないって」


 姉ちゃん、そんなに……


 本当のことを話したほうがいいのか? 話しても信じてもらえないだろうけど。


「私も心配なんだよ。もし何か困ってるなら、相談してよ」


 心優も心配してくれてたのか。そうだよな。二日連続で怪我をして帰ってきて、化け猫だの吸血鬼だのと言って騒いでるんだ。なにか隠そうとしてるか、おかしくなったって思わないほうが不思議だ。


 普段は陽気な心優が、不安そうにおれを見つめてくる。後ろめたくなってきた……


「あのさ心優。本当のことなん……」


 おれは息を呑んだ。


 化け猫のことを忘れていた。


 心優の膝の上で、大きな口を開けた化け猫が、心優の手首に噛みつこうとしていた。


「ちょっと待て!」


 おれは化け猫を止めようと立ち上がった。勢いよく立ち上がったので、ダイニングチェアーが大きな音を立てて倒れた。

 心優が少し仰け反って驚いた顔をする。


「どうしたのたっくん!?」


 化け猫の牙は、猫のそれよりも長く鋭く、その瞳はとても冷たいものだった。


 鼓動が早鐘を打つ。


「いや、何でもない」


 心優が不安そうにおれを見た。


「それより、本当のことって?」


 倒れた椅子を起こしながら、なるべく平静を装った。


「…… ごめん。全部おれの妄想だわ。こっ、こんなかわいい猫が化け猫なんてことないし。はははっ」


 笑って誤魔化そうとしたのだが。


「そうなの? 笑ってるけど、頬がひきつってるよ?」


 心優はじっとりとした目をおれに向けてきた。

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