第2話
その深夜……千一田に連れられて、ぼくは彼のアパートにやって来た。
大学から少し離れた、古い低層マンションだ。階段を上がる途中、すれ違った住人が千一田に気さくに声をかける。
「千一田くん、遅くまで大変だね」
「こんばんは。静かにしますんで、もし何かあればおっしゃってください」
その受け答えは穏やかで、昼間講義室で見る彼と何ら変わらない。
先ほど牛丼屋で佐伯を一瞬で倒した男と、どうしても同一人物だとは思えなかった。
彼の部屋に入ると、意外な光景が広がっていた。
整然と並べられた本棚、手入れの行き届いた観葉植物、壁にはシンプルな絵。
ごちゃごちゃした学生の部屋を想像していたぼくは、拍子抜けする。
「ちょっと待ってて。今、解除するから」
「か、解除?」
ぼくがきくのと同時に、千一田はフローリングの何かを足で遠巻きに踏んだ。
するとぎらりとした銀色の何かが、ぼくたちの目の前を高速でかすっていった。
――それがナイフのついた振り子だと気づくのに、少し時間がかかった。
「泥棒避けだ。頭上に気を付けてな」
そう言うなり、千一田はその殺意たっぷりの振り子をくぐってぼくをリビングに案内した。
恐ろしい光景だったが、あの佐伯を瞬殺した彼ならやりかねない……ぼくもその振り子をくぐって、彼に続いた。
「適当に座って、くつろいでいてくれ」
千一田はウィスキーのボトルを取り出し、グラスにストレートで注いだ。
ぼくには自然と、水を勧める。その仕草も自然で、どこか大人びている。
「さっきのことだが……」
低く心地の良い声で、千一田は切り出した。
「ずっと隠しておくつもりだった。大学のやつらには、内緒にしてほしい」
ぼくはうなずくことしかできなかった。
だがあれを見てしまった以上、もう今までと同じようには付き合えないかもしれない。
「不思議だよな。お前には、話してもいいと思った」
理由を聞きたかったが、言葉が出なかった。
代わりに、彼の言葉を待つ。
「おれは……チー牛として生きてきた」
冗談めかした口調ではない。
彼は、真剣だった。
「目立たず、関わらず、期待されない。そうしてる方が、楽だった。
周りの連中も、それを期待していた」
グラスを傾け、静かに続ける。
「力があるってことは、余計なもんが寄ってくるってことだ。だから、隠す。弱そうに見せる。
それが一番安全に過ごす方法だ」
ぼくは胸の奥が、じんと熱くなるのを感じた。
自分がそうだったからだ。目立たないように、何者でもないふりをしてきた。
「そういうところ含めて、お前とは気が合うと思ったのかもな」
「不良を瞬殺して、自宅にトラップ設置しているお前と、気が合うかは微妙だけど」
千一田はぼくの言葉を聞くと、静かに笑った。
そこからは、取り留めのない話をした。
授業のこと、大学のこと、どうでもいい雑談。
不思議と、心が落ち着いていく。
そのとき、千一田のスマホが震えた。
「……はい」
短い沈黙のあと、彼の表情が引き締まる。
「分かった。すぐ行く」
通話を切ると、ぼくを見る。
「すまん。居酒屋で、またさっきの不良が暴れてるらしい」
さっきの佐伯の顔が、脳裏をよぎる。
「そうなんだ。大変だね……っていうか、何でそんなことがわかるの?」
「ま、そういうことを観てるやつがいるんだよ」
千一田はますますミステリアスなことを言いながら、静かにウィスキーグラスを置いた。
「今から、そいつらを鎮圧しないといけない。悪いが、家で待っててくれるか?
すぐ戻る」
淡々とした口調だが、その目は覚悟を帯びていた。
「……仕事、なんだ」
「そんなもんだ」
立ち上がり、上着を羽織る。
「こういうのは何だが……お前も来るか?」
一瞬、迷った。
怖い。巻き込まれたくない。
でも――。
「……行く」
口から出た言葉に、自分で驚く。
千一田は、ほんの少しだけ笑った。
「わかった。無理はするなよ」
そう言って、彼は玄関のドアを開ける。
ぼくはその背中を追いかけた。
謎の強さを誇るチー牛と一緒に、深夜のクリスマスに不良たちを倒しに行く――これほど刺激的なクリスマス、あるだろうか?
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