第3話

ぼくは千一田について行き、近所の居酒屋の方へと速足で向かう……

その現場に着く前から、空気は張り詰めていた。


割れた瓶の音、怒号、路上に転がる椅子。

赤提灯が激しく揺れ、その下で佐伯とその仲間たちが騒いでいる。人数は6人。全員、酒で顔を赤くしていた。


「……やばいよ。6人もいる」


ぼくの声は、情けないほど小さかった。


「なるほど。さっき殴られた腹いせってわけか」


千一田は鼻で笑った。

歩調は変えない。逃げる気配もない。


佐伯が、こちらに気づいた。


「ああ? ――てめぇ……!」


憎悪に歪んだ顔。

一瞬で、さっきの記憶がよみがえったらしい。


「おーい、チー牛野郎!

さっきはどうも!!」


佐伯がそう叫ぶと、残りの5人のチンピラもこちらをぎろりとにらむ。



「おれの仲間にも紹介させてくれや! 逃げんじゃねえぞ!」


千一田は肩をすくめる。


「クリスマスに彼女がいないからって、八つ当たりはよくないよな」


その言葉が、火に油を注いだ。


「おい、こいつがさっき言ってたやつだ! おれたちをバカにしあがったんだ!」


佐伯が半狂乱で叫ぶ。


「あのオタク顔を、原型なくなるまでぶん殴ってやれ!」



6人が、一斉に襲いかかる。

ぼくは思わず目を閉じそうになった。


しかし――千一田は、ゆらりと静かに動いた。


一歩踏み出し、最初の男の拳を受け流す。

肘でその鼻っ柱を迎撃。

骨が折れるような、鈍い音がした。

男が顔面から血を流しながら、崩れ落ちる。


次に現れた不良の蹴りをかわし、今度は相手の足を払う。

転倒。

頭が地面に叩きつけられる。そして千一田は、そいつの顔面を容赦なく踏みつけた。


動きは無駄がなく、静かだった。

叫び声すら、ほとんど上がらない。


「う、うそだろ……」


ぼくの喉から、震えた声が漏れる。


3人目、4人目が同時に飛び掛かる……千一田は止まらない。

攻撃というより、無駄のない「無力化」に近かった。

容赦なく金的を狙い、関節を極め、さらに5人目においては首を締め上げその場に転がした。



ついに最後に残されたのは、佐伯だけとなった。

ここまで、20秒もかかっていない気がする。


「や、野郎! ふざけあがって!!」


佐伯は顔を真っ赤にして、ナイフを抜いた。


「調子に乗るんじゃねえぞ、オタク野郎……てめえ、刃物前にしてまだヘラヘラ笑えるか!?」


佐伯は酒と興奮で、手が震えている。

それでも、突き出された刃は危険だ……刺されたら、最悪命はない。


「……やめとけ。素人が、簡単にナイフなんて手にするものじゃない」


千一田は、ほんの一瞬、ため息をついた。



「それを手にしたら、おれは手加減できないぞ」


その忠告を、佐伯は聞かなかった。


次の瞬間。

佐伯の手からナイフが弾き飛ばされ、地面に転がる。



「おい、待て! 待てって!!」


佐伯は即座に両手を前に突き出して、敵意を喪失したようなポーズを見せた。



「わ、分かった! お前の勝ちだ、お前の勝ちってことでいい!!」



「勝ち? 何の話だ?」


千一田は冷酷な表情をしながら、佐伯に詰め寄った。



「おれにとっちゃどうでもいい。だがな、お前には一つ頼みがあるんだ」


「な……なんだよ?」


「もう黙ってろ」



そして――喉にめがけて、重い一撃。

佐伯は声も出せず、崩れ落ちた。白目をむき、口から透明だが汚い液体が流れ出た。



静寂。



「あの……死んでないよね?」


ぼくはそんな佐伯の様子を見て、静かに千一田に尋ねた。



「まさか。ちょいと痛めつけただけだ」


まあ、と彼は続けた。


「チー牛をバカにしたんで、いらっとしちまった。多分鎖骨は折れてると思う」



遠くで、サイレンの音が聞こえ始める。


「サツだ、行くぞ日戸波」


千一田が、ぼくに合図をした。


「え、警察……逃げるのって、やばいんじゃ?」


「捕まってもすぐに釈放されるが、説明が面倒だ。さっさと行くぞ」


千一田はそう言いながら、ぼくを路地裏の道に案内した。

ぼくlたちは、逃げるように、その場を離れる。

背後で、誰かがうめく声がした。


走りながら、ぼくは何度も振り返りたくなった。

怖さと、興奮と、現実感のなさが、混ざり合う。


気づけば、空が白み始めていた。


夜明けだ。


川沿いの道で、千一田は足を止める。


「千一田。さっきお前、警察に捕まっても、すぐに釈放されるって言ってたけど?」


「サツはおれのことを捕まえられないよ。おれがあいつらを捕まえることはあってもな」


千一田の言葉には、不思議と現実感があった。


「本当に、お前何者だよ」



「気にするな、ただのチー牛だ」


ま、と彼は続けた。


「こんな感じで、おれは仕事をすることがあるわけだ。

ああいう連中をとっちめたり、いろいろな」


いろいろな……その言い方には、いろんなやばい意味合いが内包されているに違いない。



「世間様には誇れない。でも、必要なことだ」


ぼくは、何も返事できなかった。


しばらく沈黙が続き、千一田がこちらを見る。


「これも何かの縁だ。おれの秘密を知ったお前にも、これからはいろいろ手伝ってもらうぜ」


冗談とも本気ともつかない声。


心臓が早鐘のように打つのを感じた。


普通の大学生でいたはずのぼく。

クリスマスの夜、牛丼屋で始まったこの出来事。


今までは、自分の人生に意味がなくつまらないものだと思っていた。

しかしこの千一田といれば――何かが変わるかもしれない!


「……わかった」


短く、うなずいた。


空はすっかり明るくなり、夜の闇を切り裂き冬の太陽が昇っていた。

ぼくの人生も、きっと――もう元には戻らない。



この男――チー牛の千一田牛斗と出会ったことによって。

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チー牛ナイザー 羊乃あい @hitsuji-no-ai

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