第3話 TKG ―全米が泣いた至高の逸品―
TKG。 卵・かけ・御飯。 日本が世界に誇る、簡素にして究極の食文化。なぜこれをアルファベット三文字で呼ぶようになったのかは定かではありませんが、その響きには「伝統」と「革新」が同居しているように感じられます。 白米を最もおいしく食べる方法として、常に私の心のビルボードランキングで首位を争うメニュー。そのあまりの美味しさに、全米が涙するのでございます。……米だけに。
「……ふふっ」
「……何かしら、今の寒気は」
姫子さんが怪訝な顔をしましたが、私は平静を装います。 思えば、これほどまでの高級米と高級卵でTKGを頂くのは、いつ以来でしょうか。胸の高鳴りが止まりません。
「さあ、開けるわよ」
姫子さんの手が、土鍋の蓋にかかります。 ゆっくりと持ち上げられた瞬間。
――ほうっ。
純白のカーテンのような湯気が舞い上がり、部屋中に「お米の幸福」が充満しました。 現れたのは、一粒一粒が真珠のように輝き、ピンと立ち上がった『龍の瞳』。まさに「カニの穴」と呼ばれる、美味しく炊けた証拠の気泡があちこちに開いています。
さっくりとお米を切り混ぜ、織部の器へ。 想像した通り、深い緑の器に盛られた白飯は、まるで雪山の頂のように美しく、眩しい。
私たちは、自然と背筋を伸ばし、食卓に向かい合いました。
「「いただきます」」
まずは、何もかけずに白米だけを一口。 ……甘い。 噛みしめた瞬間、お米の粒が口の中で心地よく弾けます。大粒ゆえの存在感。噛むほどに溢れ出す澱粉の甘み。粘りと弾力のバランスが完璧で、喉を通る瞬間まで豊かな香りが鼻を抜けていきます。これだけでもう、ご馳走でございます。
そして、本日の主役の一角、卵さんの登場です。 私はまず、小鉢に卵を割り入れました。 驚くべきはその色彩。黄身はオレンジを通り越して、沈みゆく夕日のような濃厚な赤みを帯びています。
そして、その傍らにある白くてふわっとした塊――「からざ」。 かつての私は「見栄えが悪いわ」と、無慈悲に取り去っておりました。しかし、姫子さんから「そこにはシアル酸という、美容と健康に大変よろしい成分が含まれているのよ」と教えを受けて以来、自らの無知を深く反省し、今では感謝と共に頂くことにしております。お肌が気になるお年頃。永遠のじゅうななさいでございますからね。
黄身と白身が、完全には混ざり合わない程度に――マーブル模様を描くように、軽く、箸を通します。そこへ、当家自慢の、大豆の旨味が凝縮された生醤油を数滴。
ご飯の真ん中に、小さな、愛らしい「くぼみ」を作り、そこへ黄金の液体を半分ほど流し込みます。 美しい。 黄金の溶岩が、純白の雪渓を流れ落ちるような、芸術的なビジュアル。
私はこれを、あえて全部混ぜるような野蛮なことはいたしません。 お米の食感を残しつつ、卵を「纏わせる」ようにして口へ運びます。 ……。 言葉を失いました。 濃厚な卵のコクが、お米の甘みをさらに引き立て、醤油の塩分が全体を一本の線で結びつける。喉越しは滑らか。しかしお米の粒感はしっかりと残っている。 そこへ豆味噌のお味噌汁を一口。そして乳酸菌の酸味が利いたぬか漬け。 日本の食文化、万歳。私は今、丘の養鶏場と、このお米を育てた農家に心からの敬意を捧げております。
ふと向かいを見ると、姫子さんは私とは異なる「流派」でTKGに挑んでおられました。
彼女はまず、手際よく黄身と白身を分離させました。 そして、白身だけが入った器に猛烈な勢いで箸を入れ、まるでお菓子作りの工程のように泡立て始めるのでございます。
みるみるうちに、白身は空気を抱き込み、雲のようなメレンゲへと変貌を遂げます。 その純白のふわふわを、贅沢に『龍の瞳』の上へデコレーションし、最後に中央へ、醤油と和えた黄身を鎮座させる。
「爆乳姫子流TKG」。 視覚的なインパクトは絶大。まるでご飯の上に、金色の目玉を持つ雲が舞い降りたかのようです。
「あーんして」
姫子さんが、メレンゲと黄身が絶妙に絡まった一口を差し出してきました。 普段なら恥ずかしさに拒絶するところですが、そのメレンゲの誘惑と、姫子さんの圧倒的な包容力の圧力に屈し、私は吸い込まれるように口を開けてしまいました。
「……っ」
食感が……違います。 シュワリと溶ける白身の泡が、お米を一粒ずつコーティングし、そこに濃厚な黄身が絡みつく。これはもはや「飲み物」に近い、しかし至高のデザートのような、未知の食体験。
「美味しい……ですわ」
「うふふ、そうでしょ。私の愛、しっかり味わって」
私たちがそんな秘密の儀式に耽っていた、その時。
「あら、相変わらず仲が良いわね。こんにちは、姫子さん」
背後から、聞き慣れた、しかし今は最も聞きたくなかった声が響きました。 我が母の登場でございます。 「あーん」の現場を完璧に押さえられた私は、石のように固まりました。
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