第3話 【天使は微笑まない】

 視線を落とした先には泥で汚され、  森の枝で引っ掻かれた傷が目立つ私の愛用ブーツ。


 そして猿轡と縄で縛り上げられた汚らわしい悪党が一匹。


 興味を全く唆られぬ男を置き去りに、  翻って焚き火の前に戻り、座る。


 未だに目覚めぬ少女に温かい眼差しを送りながら、  額を撫で、顔を濡れた手拭いで拭き、汚れを落とす。


「可愛いお顔が台無しよ……。」


 拭き終えてもなお、額を優しく撫でつけ、  私にも妹がいればこんなことしてあげられたのに。


 などと愛らしい少女を甲斐甲斐しく愛でた。   「あの……」


 焚き火を囲んで向こう側、私に問いかけるその少年の声で、  私ははたと我に戻る。


 少年の顔を覗き返しながら、  先程まで少女に向けた表情とは、また違う笑顔で少年に声を放る。


「何? ……どうしたの?」


「僕達の村……どうしてあんな事になっちゃたんですかっ?」


「……それに、そいつっ! ……多分……だと思うんですけど……」


 少年が一拍整えて続ける。


「仲間割れした……のか……なんかわかんないですけど……後から飛び込んできて……」


 私は少年の言葉を聞き終わると、聞いた言葉を整理する様に問い返す。   「……君……あの村の子だったの……で……なんでこんな時に女の子と二人で……」


「……って、もう一人の亡くなってた男の人って……賊……だったんだ……」


 ”がくっ”と肩の力が抜け、  拍子抜けした声が、それなりの大きさで森の闇に吸い込まれる。


 私は、この子たちの父親か? と思い、  亡骸をそれなりに丁重に扱って、焚き火の横に寝かせていた。


 賊の一党だったのかと思うと、その時感じていた静謐な気持ちが、  途端に滑稽に思え、喪失感に変わる。


 私の、純真無垢で乙女な気持ちを返してほしい……。  少し視線を流し、を交互に一瞥した。


 それに……忘れかけてた現実を、少年の言葉で思い出しちゃった。  天使の愛らしさで忘れかけてたのにね……。


 罪なき少年に少し苛立ち、恨めしい気持ちを抑え、そっけない態度で告げる。


「私にもよくわかってないの。……何せ、いきなり馬の尻に乗せられて、ここに来ただけだからね」


「……すみません、お姉さん。 ……ゴロツキを倒されて、私達を助けてくださったから、民兵隊ミリシアの人だとばかり思ってしまって……勘違い……でしたか?」


 先程に比べて、少し萎縮した少年を見て私は反省した。  ちょっと膨れ面だったかな……


 この子だって、被害者なのだ。


 心から優しさの欠片をそっと取り出し、  表情に染み込ませてから、少年に答えた。


「そうよ。……弓兵。 ……でも、今日は非番だったし、森で夕飯の材料を取ってこようとしてただけなんだけどね……有無を言わさず連れてこられて、 この有り様。」


 少年に答えながら、ホントに酷い一日だ……と我ながら落胆した。


 少年にどこまで伝えるべきか、そう逡巡する私を見てか、  少年が口を開き、名乗った。


「僕は……僕の名前は、リア……リアム……です。モーゼット村のリアム。で、そこの女の子はリリー……リリーナ。……同じモーゼット村に住んでます。」


「そう。この子、リリーナって名前なのね。……ありがとう、名前教えてくれて。ええっと……リアム。私はシエルよ」


 まだ見ぬ天使の微笑みを、私は出来ることなら、守ってあげたいなと、  拭いきれぬ不安を心の底に押し込められぬまま、天使の頬を撫でていた。


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愚かな怠惰は幻想を抱く 枷秤ナツト @lazy_ciel_verity

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