夫が機械に同化された話
田島絵里子
第1話
二〇二五年十二月二十二日現在、夫が入院のための準備は完璧に済ませた。ふだんの薬、下着の着替え、スマホ、モバイルルーター、ラジオ、ノートPCなどなど。
十二月二十三日の入院となった。そもそも夫がこんな目に遭ったのは、10月頃末日から11月中旬にいたるまで訴えていた、右肩のこりが原因だった。あまりにも長くこりが続くので、整形外科でレントゲンを撮ってもらったら、首の骨がすり減ってるという。大病院を紹介され、よく聞いてみると、首の
刈り上げて首の皮膚を切ってから骨を削り、その代わりにプレートを入れるそうだ。あの超然とした顔が坊ちゃんになると思うと笑えてくる。
二〇二五年十二月二十三日、夫がついにこの病院へ入院。まずは麻酔科へ通され、そこで夫の過去の手術歴や病歴、アレルギーのある薬などの質疑応答。専門家が相手だと、夫の表現がどんどん専門的になっていき、ドクターとふたりで大盛り上がりになっていた。
家族としては置いてけぼり感がはんぱないが、それがIT技術者というものの割り切り方なのだろう。どのみち手術するのは本人なんだし。と、思いつつもなんだかモヤる。
そのまま病棟へ通され、しばらく担当の看護師に麻酔科の人と同じ質問をされてから、横たわった夫は、身長がベッドギリギリだった。バスケやラグビーの選手は190センチ台だから、ぜったいあふれる。と義母。夫のすね毛が逆向きに生えている。
「4人部屋だよ。ここからの眺めはサイコー」という感想の夫。晴れ渡った大きなガラス窓から、朱と緑の小山が見えている。
思い出したのが昔読んだO・ヘンリーの話。ストーリーはこうだ。
『窓際に陣取った患者が、廊下側の男に、そこから見える景色を教える。行き交う人々の様子や、窓から見える山の冠雪など。
廊下側の男は、ひそかに窓際の男の死を願う。その願いが叶って男は死に、代わりに自分が窓側に。するとその窓は壁がじゃまして、外など全く見えていなかった。窓際の男は、廊下側の男を気の毒に思って、ファンタジーを語って聞かせていたのである』。
わたしと義母は、自宅待機を命じられて午前中に帰宅(手術は二十四日)
夫の昼食は、2年前の心臓の手術で入院した市民病院より美味しく、家よりご飯が多いという。副菜は煮しめ、ツナ和え物、温泉卵、デザートはみかん(大きい)。病室内で食べた。
うちはHotto Mottoの幕の内弁当。御飯がおおかった。塩サバのキレハシと牛のすき煮付き、五目にしめ。明日の昼は病院のレストランで食べる予定。
それから13:50頃、夫は坊ちゃん刈りになった写真(看護師さんに撮ってもらったらしい)をLINEで送ってきて、ひよこがぐるぐる廻っているスタンプを添付してきたので、わたしはLINEのスタンプ『ガンダム』のシャアのセリフを立て続けにスタンプした。
曰く、【認めたくないものだな】【ハハハハハハ】【坊ちゃんだからさ】
それで夫は、【豪雨の中でガーンとなった人】のスタンプを押してきたのであった。
その後、看護師にこのLINEを見せたらどうかという話をしたのだが、夫は気が進まない様子。わたしは鍼の先生にこのやりとりを見せる予定にしている。
夫は、持参してきたラジオが安物のため、電波をとらえられず聴けなかったらしい。そこでわたしは、O・ヘンリーの話をLINEに書いた。
『「最後の一葉」これは有名だから知ってるよね
病気で弱っているジョンジーと元気な親友のスー、そしてふたりの親友で有名な画家になることを夢見ている老画家がいて、ジョンジーとスーは画家を応援していた。
しかしある日スーは気付く。ジョンジーが窓の外を眺めつつ、
『一枚……二枚……また落ちた』
と言っているのを
スーは、「なに数えてるの?」と聞くと、ジョンジーは、
「あの壁の蔦の葉を数えてるの。全部落ちたら、わたしも死ぬんだわ」と。
スーは怒る。「あなたの病気は、気持がシャキッとしてたら治るって医者が言ってたわ! しっかりして!」
それでもジョンジーは、数えるのを辞めない。
老画家に相談すると、画家は怒り狂った。
「ああ、おれになにか出来ることがあれば!」
しかし、彼もまた貧しい画家なので、いい医者を紹介するカネはもっていなかった。
ある晩、とうとう、最後の一葉が壁にはりついていた。
「あれが落ちたら、わたしも死ぬ」弱り切ったジョンジーは呟く
そしてその晩、めちゃくちゃな台風が吹き付け、雷はなり、豪雨が叩きつけた。
翌朝は台風一過、晴れ渡り、日が燦々と照り渡る。
「あれだけ風が吹いたんだから、わたしはもうだめ」
ジョンジーはそっとカーテンを開ける
しかしそこにあったのは、たった一枚の枯れた葉
ジョンジーは、たっぷり十五分、それを見つめていた。
「あれだけの風に負けなかったあの葉のように、わたしも生きなければ」
ジョンジーは元気を取り戻した。そして、みるみる健康になった。
すっかり元気になったのと引き替えに、老画家がずぶ濡れの肺炎で死んだというラジオのニュース
親友はハッと気付いた。
「ジョンジー、気付かなかった? あの蔦は、葉脈までソックリ出来てるけど、風にちっともそよがなかったわ。
あれは、あの老画家の最後の作品なのよ。
あなたのことを知って、ずぶ濡れになりながら、あの蔦のそばに葉を描いたんだわ」
ジョンジーとスーは、お互いに涙を流しあった』
というお話。
そんな話をしたあとで、夫がしばらくラジオを聴いてから、写真で晩ご飯を撮ってくれた。牛肉のすき焼き風にじゃが芋入り、おかずはふろふき大根(味噌)、海藻の酢の物(ヌメッとしてた)、りんご、牛乳。夜もご飯が多い。家では考えられない。これで、低カロリー食で、おやつ禁止だそうだ。
二〇二五年十二月二十四日
大病院の南棟への壁に、人間の歯の飛び出す工作絵がポスターされていた。
待合では、「めくってみんさい」の親知らず抜き方工作ポスターもある。この病院は、ほんとうに庶民的だ。
9時からはじまって12時半に夫の手術。緊急連絡用のPHSを渡された。手術の間、わたしはノンフィクション『ヒロシマの家』(シュモーを学ぶ会出版)を半分まで読了。
看護師さんとほかの患者さんがカーテン越しに雑談していた。
「今日は雨じゃけど、クリスマスじゃねえ。午後のおやつに、ケーキが出るかい?」
と、患者が言うと、看護師さんが患者さんに、
「うちは関係ないわァ。それにあんた、糖尿じゃったんとちがう?」
するどい。
この夜はクリスマスケーキが病院食で出るらしい。メニュー表を眺めつつ、この近所ならケーキ屋はシャトレーゼかもしれない、と考えていた。
窓から見える山の裾野に雲が細くたなびく。デイルームというものがあるというのでお邪魔したら、そこに先にいた車いすの初老人に話しかけられた。
「ここは眺めがええじゃろう。日が昇ると朝焼けが眩しくカキイカダを照らすんよ」
瀬戸内海に点在するカキイカダを眺めるおじさん。
「ここでは長いんですか?」
と聞くと、彼は、
「そうじゃね。膝に人工関節を入れて、もう十日になるのぉ。あと十日で退院じゃ」
そう言いつつ、包帯で包まれた膝を、寝まきをまくり上げて見せてくれた。
広島人は、ほんとにオープンマインドだね……
「たいへんですね。おだいじに」
心からそう言った。わたしも、あと5キロ減量しないと歩けなくなると警告されているのである。
3時間半、なにもすることがなく、一緒にいた義母は夫のベッドに頭を伏せて爆睡していた。夫のベッドには、術後のための準備用品が並んでいたため、わたしまで眠れるスペースはない。ちなみにベッドはパラマウントだった。
仕方なく、『ヒロシマの家』を半分まで読書。ところどころ笑えるし知的に面白い。戦後の広島を知るにはもってこいの貴重なノンフィクションである。問題はわたしにこれを上手に料理する力があるかどうか。
13時半にPHSが鳴り、手術成功が正式に出された。手術室入口で術後のCT写真を見せられる。プレートが夫の首にしっかり入っている。首とプレートが交互に入っていて、IT技術者の夫が文字通り、「同化」されてしまった(洋ドラ「新スタトレ」参参)。
今日彼は1日絶食。栄養は点滴のみ。手術直後だったが、意識があった。医師によると、ほかの人は意識がない場合もあるそうだ。しかも夫とは少し会話もできた。酸素マスクが戦闘機パイロットみたいで声は聞きとりにくかった。
帰宅時に、大病院の歯に関する工作ポスターを再び発見。綺麗な歯並びの完全模型である。この病院は、歯になにか、含むところがあるんだろうか。
14時頃わたしと義母は二号線沿いの食堂屋へ入った(病院のレストランは、すでに終了していた)。
食堂で、焼きさんまとほうれん草の煮浸しとタラの南蛮漬けと豚汁を注文。義母は焼き塩さんまと小鉢ふたつ、豚汁。
さんまの焦げた味がたまらない。「さんまさんま、さんま苦いかしょっぱいか」。佐藤春夫の詩を口ずさむわたし。豚汁もめちゃくちゃ美味かった。ところが、このメニューでふたりで3,000円を超えていた。庶民の食べるレベルじゃない。値上がりの昨今だからって、これはないよと義母と盛り上がっていた。
二〇二五年十二月二十五日、小雨の中、夫の見舞いに行く。面会時間が来るまでレストランで本格プリン(四百円)と本物のマンゴージュース(六百円)をセットで頼んで、セット料金九百円。それだけの価値はあった。この病院の食事は、折り紙付きだ。
ヒゲソリを自宅に忘れた夫はそれを持参するようにわたしにLINEしてきていた。見舞いに行くと夫は立て続けにこう言った。
「昨日から大便が出なくて深夜に看護師を呼び、昨日の分と今日の分をまとめて出すことにした。下痢でおむつから溢れるかと心配だった。
術後だったし、立てるかどうか不安だったが、なんとかよろめいて歩き、股の下でドレイン(生化水と血液の補充と排除用の医療器具)が当たったり、術後の後遺症で身体中が痛くて一睡も出来なかった。だけどトイレは、なんとか間に合った」
青黒い表情の彼の目に隈が出来ている。ベッドに縛られていて、浴衣にはおもちゃの車の柄が入っていた。手のひらにチューブが入っていて、これがドレインだと夫は説明する。
「おかげで術後、上半身のしびれは全くなくなったんだよ。ただし、腰から下がわずかにしびれる。首の後遺症なのか、それとも腰からなのかは経緯観察する必要があるとドクターが言っている。退院時のタイミングはいつになるやら。ドレインは不快だね。血糖値が異様にあがっている」
今晩のケーキはナシかもしれない。わたしらは、昨日の晩ご飯にケーキを食べた。わたしも糖尿病の気があるのに大丈夫なんだろうか。
「今日からおむつじゃなくなったんだよ。でもなんだか妙に居心地が悪い」
夫はブツクサ言っていた。
面会時間は十五時きっかりから十九時まで、ただし面会可能な期間は三〇分間のみ。ひとり語りをしている夫を置いて、そのまま帰った。
義母は検診を受けているため、面会には来れなかった。窓から見える山は、見ているだけで惚れ惚れするほど暖かい微笑みを浮かべている。デイルームに行けば、カキイカダを眺める人もいたが、ほかはみな一様に曇った空を見上げている。
親知らずなど歯に関する大病院の工作ポスターは、ぜんぶ撤去されていた。クリスマスの飾り付けもナシ。ふつーの病院になった。つまらん。
4時頃帰宅して、少し水を飲んだり、検診から帰ってきた義母と話していたら、TELがあった。地域包括ケアの人だ。以前、夫の手術について悩んでいると訴えていたのを思い出した。老いた義母がこの件で落ち込んでないかと彼は心配していたが、なにも変わってないと返答すると、
「お母さん、強いですね」
しきりに感心していた。女は弱し、母は強し。
明日は、夫のリハビリが本格的に始まる。首にプレートという機械が入り、洋ドラのワンシーンを思い出していた。「われわれはボーグだ、おまえたちを同化する」
首にまかれたコルセットがいつ取れるのかはわからないが、スマホを長時間いじってると、いずれみんな首がこうなりかねないと思ったので、警告の意味でこの記事を投稿する。(了)
夫が機械に同化された話 田島絵里子 @hatoule
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