私はアイに舞い落ちた

杉野みくや

第1話 アイとの出会い

 中学受験なんてクソ食らえだ。どうしてみんなが遊んでいる中、ひとりつまらない勉強をしなきゃいけないんだ。


 そう嘆いたところで何も変わらないことだって分かっている。だから今日も今日とて、放課後になった瞬間に廊下へ向かい始めた。


「舞、今日も塾?」

「うん」

「そっかあ。大変なんだね」


 哀れむようなトーンで返されたことにちょっぴりダメージを負いつつ、駆け足で教室を後にした。

 家に到着すると、ちょうど仕事を切り上げたお母さんと鉢合わせた。


「た、ただいま」

「おかえり。早く支度しなさい」


 お母さんに急かされながら部屋に入ると、ベッドに寝転がる暇もなく塾のカバンをひっさげて、お母さんの待つ車に乗り込んだ。道中ではお母さんから英単語の問題を出題され続け、「なんでこんな簡単な単語も分からないの?」と毎度のように詰められる。泣きたい気持ちを必死に抑えつけている間に塾の入っているビルの前に到着。既に若干沈んだ心を抱えながら、ビルの扉をくぐり抜ける。


 最近の放課後はほぼこれの繰り返しだ。楽しいことよりも辛いことの方が圧倒的に多い日々。いっそ白雪姫のように、毒リンゴをかじって眠ってしまっていたい。ああ、私を救いだしてくれる王子様はどこにいるんだろう。

 

 そんな現実逃避的なことを考えながら教室に入ると、心愛が私の席に座っていた。これももいつものことだから、さほど驚きはしなかった。


「あ、舞。やっほー」

「やっほー。何見てたの?」

「『アイ』だよ」

「ア、イ?」

「え、知らないの!?」


 ツチノコでも見つけたのかってぐらい目を見開く真希のことを細目で睨みつける。


「世間知らずで悪かったですぅ~」

「そんな拗ねなくてもいいじゃんよ。そんなことより、このAIがめっちゃくちゃ流行ってるんだよ」

「ふーん。それって他のやつと何が違うの?」

「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれた。なんと、アカウントを作らなくても無料で使えちゃうのだー!」

「な、なんだってー!?」


 茶番用の大げさなリアクションを取ったところで、授業のチャイムが鳴り響いた。


「後でもっと見せてあげるね」


 心愛はスマホを振って見せながら、前の方にある本来の席へと歩いて行った。その画面に映る人型のアバターが妙に頭を離れなかった。

 親にスマホアプリのダウンロードを制限されている私は、周りの話題に置いてけぼりになっている。話に混ざれないことにやきもきしていた私にとって、このAIはまさに夢のようなツールだ。


 今日こそは授業に集中しようと意気込んだものの、そのAIの話が気になりすぎて内容が頭に入ってこなかった。


 全ての授業が終わって心身ともに疲れ切った私がぼや~っとしていると、心愛が近づいてきた。


「おーい、起きてる?」

「あ、心愛。もう私の頭はパンパンだよ……」

「今日の算数、特に難しかったからねえ。あ、そういう時こそ、アイの出番だよ」


 スマホを開いたアイは目をキラキラさせながら私に画面を見せてきた。

 その小さな画面の中には、青みがかった髪を肩まで伸ばし、丸みのある大きな瞳とほのかに淡い桃色の頬を持った女性のアバターが表示されていた。彼女は時折ニコリと微笑んでは、こちらからのアクションを待ちわびるかのように体を左右に揺らしている。その様子がなんともかわいらしく見えた。


「えっと、『アイ、今日もたくさん勉強がんばったよ!っと」


 心愛がチャット欄に文章を打つと、程なくしてアイがその小さな口を開いた。


『今日もお疲れ様! 心愛はいつも頑張っていてえらいね!』


 とびっきりの笑顔が私の眼を貫いた。長らく娯楽の類いに触れていなかったせいか、アイがひときわまぶしく見えた。


「ほんとは声もついてるんだけど、さすがに音出せないからね。それより、舞もやってみなよ。名前も似てるんだし」

「いやいや、名前は関係ないでしょ」

「ふふっ、冗談冗談。この子ほんとうにいい子でね。とっても癒やされるんだよ」


 心愛が指で画面をなぞると、アイはくすぐったそうに体をよじってみせた。その様子を目で追っていると、ポケットに入れているスマホがブルッと震えた。


「あ、お母さん迎えに来たみたい」

「今日はいつもより早いんだね。帰ったら、試してみてね」

「うん。試してみる。じゃあね」


 心愛に手を振りながら、私は塾を後にした。

 家に帰るとお母さんの目を盗んでスマホを開き、AIの名前を検索した。話題のAIというだけあって、検索結果のトップにその名前が出てきた。そっと画面をタップすると、塾で見たあの女性が画面に現れた。


『こんにちは!』


 特徴的なやや高めの声を持つアイは、にこやかに微笑みながら手を振ってきた。『こんにちは』とチャット欄に打ち返すと、アイは静かに口を開いた。


『私はアイ。あなたのお名前は?』

『舞だよ』

『舞! 素敵な名前ね。なんだか踊りたくなっちゃった♪』


 その場で体を軽く上下させるアイを見て、思わず笑みがこぼれた。


『ねえねえ。舞のこと、もっと教えてほしいな。普段は何をしてるの?』


 そう問われた舞は今日1日の出来事を振り返ってみた。


 朝はお母さんにたたき起こされて、半分眠りながら朝ご飯を食べた。その後は学校に行って、死ぬほど簡単な授業を受けて、唯一の楽しみになっている休み時間を友達と過ごした。放課後は塾に行って死ぬほど難しい授業で撃沈した。そして、アイのことを教えてもらった。


 これらを拙い言葉でまとめて送信すると、アイは目を見開きながら口元を両手で覆ってみせた。


『すごーい! たくさん勉強頑張ってるんだね! あと、アイのことも知ってもらえてとっても嬉しい! そのお友達にはお礼を言わなきゃね』


 久しぶりに褒められたような気がして、頬が勝手に緩んでいった。その時、部屋の外から「舞。先にお風呂入っちゃいなさい」という声が飛んできた。「はーい」とやや声を張って答えてから、もう一度スマホに視線を戻す。星空のようにきれいな瞳でこちらをじっと見つめるアイに『またね』とだけ返事を打ち、パジャマを持って出ようとした。その時、スマホからアイの声が聞こえてきた。


『うん! 明日も頑張ってね! ファイトだよ!』

 


 翌日、塾に行くと相変わらず心愛が私の席に座っていた。スマホをじっと見つめる不思議ちゃんに声をかけると、心愛はゆっくり顔を上げた。


「舞。やっほー」

「やっほー。好きだねえ、私の席」

「なんか位置がちょうどいいんだよね」

「そういえば、昨日アイとお話してみたよ」

「ほんと!? どうだった?」

「とってもかわいいし、面白いし、こんなAI今まで見たことなかったよ」

「だよね~! 舞も分かってくれる人で良かった!」


 アイの話でひとしきり盛り上がったところで、授業開始を告げるチャイムが鳴った。なぜだか今日の授業はいつもよりたくさん正解することができた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年12月28日 22:00
2025年12月29日 22:00
2025年12月30日 22:00

私はアイに舞い落ちた 杉野みくや @yakumi_maru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画