第3話 贈り物

 電車で揺られて一時間ほど。最寄り駅からは歩いて十分。天峰高校は地理的に都会のど真ん中にある。ここは原宿とか新宿みたいな街とは違う感じの、静かでただただ道が広い街だった。同じような四角いマンションと緑の街路樹が並び、鏡面仕上げのビルが遠くの方で太陽の光を反射して輝いている。地元の住宅街にも少し分けて欲しいくらい色んなコンビニが目に入る。受験の時に来た以来だからまだ慣れない感じがした。小さい頃、東京はスーツと大きなビルで埋め尽くされているものだと信じ込んでいたからこんな場所があるなんて思ってもみなかった。


 同じ道を行く、同じ赤の制服を着ている人たちを横目に見た。あたりまえだけどみんな頭のよさそうな雰囲気がある。環ちゃんはどこにいるのかな。


「随分とたくさんの人がいるね」


 道の少し先、私の腕を放してくれない幼馴染はたくさんの人が群がっている校門を見て言った。


「やっぱりみんな、ちゃんと入学式らしい場所で写真が撮りたいんだよ」

「奈央は撮りたい?」

「一生に一度だから撮っておきたい。……普通にね、普通に」

「ああ、普通ではない方がいいってこと?それも面白いね」

「やっぱいい。撮らない」


 と言うと春瑠は笑った。私もつられて笑った。


 学校が近づいて人が増えてくると、周りからの視線も増えていくのが分かった。一つの視線がこちらに向くと、また一つもう一つと視線がこちらに向く。名前も知らない人たちはすぐに目をそらすけれど、意味なんて無かった一般的な人と人の距離感に感情が込められて意味が生まれる。


 また始まった。中学に入学した時も私は春瑠の隣にいてこれと同じ光景を見た。春瑠が無意識のうちに人を惹きこむ、あるいは人が無意識のうちに春瑠に惹きこまれる。どちらでもいいけど、またクラスでこいつに取り巻きが発生するのは嫌だなと思った。人の事を春瑠の下僕としか思っていない人たち……。


「写真、帰りに撮ろうか。その方が空いてそうだし」


 と春瑠が言った。私も異論はなかったから小さく頷く。


 校門を通って奥に聳える、一か月前まで通っていたオンボロ公立中学校とおなじ『学び舎』というカテゴリーに分類される綺麗すぎる建物を眺める。他人行儀な感じがするあの校舎にもいつか慣れるんだろうか。


 ふと、視線の中に春瑠に向けられたものではない、私の頭のてっぺんを掠めない視線があることに気づいて足を止める。


「環ちゃん!」


 人の流れの中で、喧騒に負けないように声を張り上げる。やっぱりいた。少し離れたところで驚いた顔をした環ちゃんが見えた。彼女は少し恥ずかしそうに手を振ってこちらに歩いてきた。


 環ちゃんも春瑠と同じくらい制服が似合っている。塾で会った時のクールな私服しか知らないからスカートは新鮮だった。貴族っぽい印象の春瑠と比べると環ちゃんは騎士のような感じがする。それは私の隣で勉強していた時に知性と果敢さが同居していた表情を盗み見てしまったからかもしれなかった。中学生の時と変わっていない黒い髪だったけど少し伸びているような気がした。


「環ちゃん、おはよう。気づいてたんだったら話しかけてくれてよかったのに」

「いや、隣に目立つのがいて近寄りがたかったんだよ」


 と環ちゃんはぶっきらぼうに言った。


「初めまして、目立つのです」

「松尾環。よろしく」


 と言って彼女らは握手した。お互いまだ警戒しているのか、私よりも目測15センチ高い二人は私を緩衝材にして立っていた。


 握手した後、環ちゃんは私の方をじっと見た。まあやっぱり気になるよね、いきなり友達が髪切って染めてきたら。春瑠には似合ってるって言われたけど、普通の友達の評価も気になってしまう。ストレートに言ってくれる子だから隣の目立つのよりは客観的な意見も期待できる。


「奈央、動かないで」


 と環ちゃんが言うと、一歩私の方に体を近づけて手を伸ばす。彼女の月を映す湖のような深い瞳に吸い込まれそうになった。環ちゃんは春瑠とは違う系統の容姿端麗な人だ。レイピアみたいに細い眉やすっと通った鼻梁は力強さを感じさせて、そのせいか、つややかな赤い唇は特別柔らかそうに見える。朝方、春瑠にやられたことを思い出して思わず瞼を閉じてしまう。頭に優しく手が触れた。


「はい、取れた。桜の花がそのまま刺さってた」


 目を開けると、環ちゃんは淡い桃色の最小の春を一輪つまんでいた。ここらへんに桜は咲いていないから、公園のをここまで運んできたのか。


「もったいない、かわいかったのに」


 と春瑠は残念がった。私は隣のうざいのをにらんだ。


「知ってたんだったら取ってよ」

「一人だけ頭に桜咲いてるのも面白いよ」

「間抜けっぽいでしょ」


 と私が言うと春瑠は「ぽい?」と首を傾げた。本当にこいつは……。環ちゃんの方に目を転じると、彼女はまだ私を見つめていた。


「もしかしてまだなんかついてる?」

「いや。イメチェンしたんだなって」

「似合ってる?」

「……悪くない」


 でも、と彼女は続けて私の前髪を右に撫でた。くすぐったい。太陽が一層まぶしくなって、環ちゃんがよく見えた。「やっぱりこっちの方がいいな」と彼女は呟いて、空いている方の手でポケットから小さな白い花のついた髪留めを取り出して私の前髪に付けた。


「頑張った奈央への入学祝い。これで完全体イメチェン完成だ」


 環ちゃんは確かめるようにプラスチックの花弁をなぞった。


「ありがとう。私もプレゼント用意すればよかったね」

「いいよ、私が勝手に用意しただけだから」


 環ちゃんは自嘲気味に笑うと、私のおでこに口づけを落とした。


「プレゼントはこれでいい……って言うのは少しキザすぎるな」


 涼しい顔をしている彼女に、私は急上昇した熱のせいで何も言えなかった。でも何か言えたとして、私が何を言うのか自分のことなのに分からなかった。結局この熱は入学式が始まるまで全く下がってくれなかった。

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幼馴染から離れられない 春景梢 @Kaerume

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