第八章:神話の崩壊(2011年3月11日)

 2011年3月11日、午後2時46分。  ジャカルタのオフィスにいた洋一の携帯が、激しく鳴り響いた。 テレビのニュース映像を見て、彼は凍りついた。

 黒い津波が町を飲み込み、そして――福島の原子力発電所から、白い煙が上がっていた。

「嘘だろ……」

 安全神話の崩壊。絶対的な「ベースロード電源」として君臨していた原子力が、制御不能の怪物と化した瞬間だった。

 翌日から、東京は計画停電の闇に包まれた。ネオンが消え、暖房が止まり、電車が止まる。  「エネルギーがない」という絶望を、戦後初めて日本人が肌で感じた日々。

 洋一は緊急帰国した。 混乱する成田空港から、レンタカーを飛ばして東北へ向かった。源三の安否を確認するためではない。源三から「来てくれ」という短いメールが届いたからだ。


 余震が続く中、洋一がたどり着いたのは、廃止寸前だったあの古い地熱発電所だった。  周囲は停電で真っ暗闇だった。だが、そこだけは、明かりがついていた。

 ゴォォォォォ……。  タービンが回っている。  系統連系からは切り離されていたが、所内電力だけで自立運転を続けていたのだ。

「親父!」

 管理棟の中で、源三はパイプ椅子に座り、配電盤を睨んでいた。 「おう、洋一。遅かったな」 源三は痩せ細っていたが、その目は燃えていた。

「見てみろ。周りの村は全滅だ。送電線がイカれたからな。だが、ここだけは生きてる。俺たちは今、避難所に電気を送ってるんだ。……地熱はな、地震に強いんだよ。地面と一緒に揺れるからな」

 事実だった。東日本大震災において、東北地方の地熱発電所は、ほとんどが数時間以内に復旧し、孤立した地域に電気を供給し続けていた。燃料もいらない。道路が寸断されても、地球が熱を送り続ける限り、電気は止まらない。

「洋一。俺はもう長くない」  源三は、一冊の分厚いファイルを差し出した。ボロボロの大学ノートと、フロッピーディスク。

「これは俺が50年かけて集めた、日本の地下データだ。どこに熱があるか、どこが掘りやすいか。失敗した井戸の記録も含めて、全部ここにある」

「親父、これを……」

「時代が変わるぞ」源三は予言者のように言った。 「原発神話は終わった。日本人は思い出すはずだ。足元に、まだ使っていない宝があることを。……だが、今の日本には、これを扱える技術者がいねえ。お前たちが戻ってくる番だ」

 洋一はファイルを受け取った。ずしりと重い。それは、不遇の時代を耐え抜いた、執念の重さだった。

「舞に……孫に伝えてくれ。『地球は逃げない』とな」

 その一ヶ月後、剛田源三は息を引き取った。  そして、日本政府は再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT)の導入を決定。  長い冬が終わり、雪解けの水が流れ始めようとしていた。

 しかし、雪解けの地面はぬかるんでいる。 30年の空白は、人材とノウハウの断絶を生んでいた。データを読み解ける者がいない。掘削のリグがない。

 物語は、現代へと接続される。 海外で育った「地熱マフィア」の孫娘・舞と、冷徹な投資家・八神慶が出会うことで。

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