第六章:ジャングルの覇者
インドネシア、ジャワ島中部。ディエン高原。 標高2,000メートル、熱帯の霧が立ち込めるジャングルの中に、巨大な鉄の塊が鎮座していた。
「Yoichi! 3号井のバルブが開かない! 蒸気圧が高すぎる!」 現地人のエンジニアが叫ぶ。 洋一は泥だらけの作業着で駆け出した。スコールのような雨が、体温を奪っていく。
「ビビるな! 圧力が高いのは元気な証拠だ。バイパス弁を少しずつ開けて、タービンへ流せ!」
ここは地熱の楽園だった。掘れば出る。それも、日本の井戸とは桁違いの出力だ。一本の井戸で2万キロワット――日本なら発電所一基分に相当する蒸気が、たった一本の穴から噴き出す。インドネシア政府は、急増する電力需要を賄うため、地熱開発を国家プロジェクトに掲げていた。そこには、かつて昭和の日本にあった「熱気」が生きていた。
洋一は、建設されたばかりのタービン建屋を見上げた。巨大な蒸気タービンには、誇らしげなプレートが打ち付けられている。 『MADE IN JAPAN』 世界最高効率を誇る、日本の技術の結晶。だが、この機械が母国の土を踏むことはない。
「皮肉なもんだな……」洋一は苦笑いした。 日本は、世界最高の道具を作りながら、それを自国で使うことを禁じている。現場には、洋一と同じように日本からあぶれた技術者たちが集まっていた。地質屋、掘削屋、プラント屋。彼らは自嘲気味に自分たちをこう呼んだ。
「地熱マフィア(Geothermal Mafia)」。
国に捨てられたが、地球の熱を愛してやまない、技術の傭兵たち。彼らはアジア、アフリカ、中南米の奥地で、黙々と発電所を作り続けた。
2000年、ジャカルタ。 洋一の娘、舞は、異国のインターナショナルスクールに通っていた。 週末、父の現場に連れて行かれるのが彼女の日常だった。
「パパ、どうして地面から煙が出ているの?」 5歳の舞が尋ねる。
「地球が息をしてるんだよ、舞」 洋一は娘を抱き上げ、噴気を上げるパイプを見せた。 「この地球の呼吸を、電気に変えて、みんなの家を明るくする。パパたちはそのお手伝いをしてるんだ」
「すごいね。日本でもやってるの?」
洋一は一瞬言葉に詰まり、悲しげに笑った。 「……昔はね。でも、今は日本は眠っているんだ。長いお昼寝の時間さ」
舞の記憶の中の父は、いつも泥だらけで、硫黄の匂いがした。 そして、書斎には祖父・源三から送られてくる日本の手紙が積み上げられていた。 『霧島の井戸が枯れた』 『八幡平の予算が切られた』 『仲間がまた一人、廃業した』
手紙の内容は年々、暗くなっていった。 舞は幼心に理解した。父が戦っているのは、岩盤だけではない。「無関心」という、形のない怪物と戦っているのだと。
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