第四章:巨塔の影(1980年〜1985年)
第四章:巨塔の影
1980年代に入ると、風向きは劇的に変わった。第二次オイルショックを経て、日本政府のエネルギー政策は「脱石油」へと大きく舵を切ったが、その主役の座に座ったのは地熱ではない。
原子力。
東京・霞が関。通産省の一室に呼ばれた源三は、担当官の冷ややかな視線に晒されていた。 源三は「第二発電所計画」の稟議書を提出していたが、それは机の端に追いやられていた。
「剛田さん、地熱のポテンシャルは認めますよ。ですがね、桁が違うんです」エリート官僚は、背後のグラフを指差した。 「原発一基で100万キロワット。対して、あなたの地熱発電所は、必死に掘って2万キロワット。原発の50分の1だ。しかも、開発に10年かかり、掘っても当たるかわからない」
「だからこそ、調査予算が必要なんです! 掘削技術さえ上がれば……」
「効率が悪いんですよ」 官僚は言葉を遮った。 「国策として進めるには、コストパフォーマンスが悪すぎる。これからは『規模の経済』です。小さな井戸を無数に掘るより、巨大な原子炉を一つ作る方が、安く安定した電気が作れる。それが国の結論です」
源三は拳を握りしめた。 理屈は正しい。反論できないほどに正しい。円高が進み、原油価格が下落し始めたことも追い打ちをかけた。「命がけで国産エネルギーを作る」という悲壮感は薄れ、経済合理性が全てを支配する時代が到来していた。
さらに、追い打ちをかけるように環境庁の権限が強化された。国立公園法が厳格化され、地熱有望地の8割が含まれる国立公園内での新規開発は、事実上の凍結。
「自然を守るか、エネルギーを取るか。二者択一の時代です」そう告げられた時、源三は自分が時代遅れの「山師」になったことを悟った。
1985年、冬。 霧島の現場を去る日が来た。発電所は細々と運転を続けているが、新規開発チームは解散となった。
源三の息子、洋一が、荷造りをする源三の背中に声をかけた。洋一もまた、父の背中を追って地質学を学び、地熱エンジニアになっていた。
「親父。俺、インドネシアに行くよ」
源三の手が止まった。 「……南か」
「ああ。日本の商社が、ジャカルタで地熱プロジェクトを始める。向こうの政府は開発に熱心だ。規制もない。思いっきり掘れる」 洋一の目は輝いていたが、同時にそれが示すのは日本への失望。
「日本ではもう、俺たちの技術は不要なんだ。技術を腐らせたくない」
源三は振り返り、息子の肩を叩いた。その手は分厚く、無数の傷跡があった。「行け。日本は今、長い冬眠に入る。だがな、洋一。いつか必ず、この国も目を覚ます時が来る。その時まで、腕を磨いておけ」
「……ああ」
洋一は海を渡った。源三は一人、日本に残った。細々と回るタービンの音を聞きながら、老朽化する配管のスケールを削り続ける「守り」の日々が始まった。
それが、日本の地熱産業にとっての「失われた30年」の始まりだった。
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