第三章:白き悪魔
1975年(昭和50年)、初夏。 霧島山麓に建設された「第一地熱発電所」は、稼働開始からわずか半年で、奇妙な静寂に包まれていた。
「出力低下、止まりません。先月の12,000キロワットから、今は8,000を切っています」 中央制御室。まだペンキの匂いが残る新しい部屋で、運転員の報告が重苦しく響く。
剛田源三は、腕組みをしたままモニターを睨みつけていた。 蒸気は出ている。地下の圧力も落ちていない。にもかかわらず、発電機を回す力が日に日に弱まっている。まるで、巨人が徐々に首を絞められているかのようだ。
「タービンを開けろ。中を見るぞ」 源三の指示に、所長が難色を示す。 「しかし剛田さん、定検はまだ先です。今止めると、電力会社への供給義務違反で違約金が……」
「壊れてからじゃ遅えんだよ! 止めろ!」
数時間後。 重厚なケーシングが外され、蒸気タービンの心臓部が露わになった瞬間、作業員たちから悲鳴に近い声が上がった。
「なんだ……こりゃ」
ステンレス製のタービンブレードが、真っ白な「何か」で分厚くコーティングされていた。 それは雪のようにも見えたが、触れると石のように硬く、ガラスのように鋭利だった。羽根の形状が変わってしまうほど付着しており、これでは効率よく回転するはずがない。
「……シリカスケール」 地質学者の杉山が、白い破片をピンセットでつまみ上げ、苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「シリカ……。ガラスの原料か」 「ええ。地下2,000メートル、300度の高圧環境では、熱水は周囲の岩石を溶かし込みます。特にケイ素を大量に含んでいる。それが地上に上がり、圧力が下がって温度が100度以下になった瞬間、水に溶けきれなくなって析出する。つまり、岩に戻ろうとするんです」
源三は配管の断面を覗き込んだ。直径50センチのパイプの内側が、年輪のように白く狭まり、拳一つ分しか隙間がなくなっている。 動脈硬化だ。彼らが掘り当てたのは、純粋な蒸気ではなかった。熱水混じりの湿り蒸気。そこに含まれる化学成分が、発電所の血管を詰まらせ、心臓を止めようとしている。
2
それからの日々は、「掃除」との戦いだった。 発電を止めては配管を外し、ドリルや高圧洗浄機でガリガリと白い石を削り取る。だが、二週間もすればまた詰まる。
「鬼頭との約束が、首を絞めてますね」 杉山がポツリと言った。
温泉組合長の鬼頭兵衛と交わした「全量還元」の約束。使い終わった熱水を川に流さず、全て地下に戻す。環境には優しいが、技術的には地獄だ。温度の下がった熱水は、還元井の中で激しくシリカを析出させる。 地上で詰まるならまだいい。地下深くの岩盤の隙間で詰まれば、その還元井は二度と使い物にならなくなる。一本数億円の井戸が、数ヶ月でただのゴミ捨て場になるのだ。
「中和剤を入れるか? それとも酸で洗うか?」 源三が問うと、杉山は首を振った。「酸を使えば配管が腐食します。この熱水はpHが複雑すぎる。下手にいじれば、今度はカルシウムやヒ素が出てくる。……剛田さん、地熱は『水物』とはよく言ったものです。化学プラント並みの制御が必要です」
現場の空気は荒んでいた。 掘れば出ると思っていた黄金郷は、実際にはメンテナンスコストが膨大にかかる「金食い虫」だった。本社からは「これ以上の追加投資は認めない」という通達が届いていた。
ある夜、源三は還元井のバルブの前で、鬼頭兵衛と鉢合わせた。 鬼頭は、白い湯気を上げる配管をじっと見ていた。
「……苦労してるようだな、剛田」 「ああ。あんたの呪いのおかげでな」 源三が皮肉を言うと、鬼頭は意外にも寂しげに笑った。
「俺たちの温泉パイプも、昔はよく詰まったもんだ。そういう時はな、パイプを竹で叩くんだ。『詰まるなよ、流れろよ』ってな」 「精神論かよ」 「ああ。だがな、地球ってのは生き物だ。機械の理屈だけじゃ御しきれん。……少しは休ませてやれ」
鬼頭はそれだけ言うと、闇の中に消えていった。 翌日、源三は出力を定格の7割に落とす決断をした。無理に全開で回せば温度差でスケールが増える。 なだめすかしながら、長く付き合う。結局それが、当時の技術の限界であった。
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