第二章:暴発(ブローアウト)

 約束から二週間後。  現場は限界を迎えていた。予算超過、機材の故障、そして終わりの見えない掘削。

 深度計は1,950メートルを指していた。  ドリラーの若衆たちは、交代制で24時間リグを回し続け、目は窪み、肌は泥と油で黒ずんでいた。

「親方、ビット交換の時期です。もう刃が丸坊主ですよ」  現場主任が泣きそうな顔で訴える。  地熱地帯の岩石は高温で硬い。特に石英を多く含む岩盤は、ダイヤモンドのビットすら数日で鉄屑に変える。  「トリッピング」と呼ばれるビット交換作業は、全長2キロメートルのパイプを全て引き上げ、先端を交換し、また下ろすという重労働だ。これだけで半日が潰れる。

「……いや、待て」  源三はモニターの「掘削速度(ROP)」を見つめた。  今まで時速1メートルだった進みが、急に時速5メートルに跳ね上がっている。

「岩が柔らかくなった? ……いや、違う。落ちてるんだ」  源三の背筋に戦慄が走った。  ドリルが自重で沈んでいる。つまり、地下に巨大な空洞、あるいは亀裂の密集帯がある。

「全員、退避準備! 防噴装置のアキュムレーター圧力を上げろ!」

「えっ? まさか……」

「来るぞ! 逸泥じゃねえ、逆だ!」

 その直後だった。    ドゥンッ!

 地底から、巨人がハンマーで地面を叩き上げたような衝撃が走った。  リグの床が跳ね上がり、積み上げてあったパイプが崩れ落ちる。

「暴発だぁ!!」

 誰かの叫び声がかき消されるほどの轟音。  櫓の頂上、ロータリーテーブルの隙間から、白い柱が空へ向かって突き刺さった。  蒸気だ。 だが、ただの蒸気ではない。地下2,000メートルの高圧で圧縮されていた熱水が、大気圧に解放された瞬間に体積を一気に膨張させ、音速を超えて噴出したのだ。

 シュゴォォォォォォォォォォ!!

 耳をつんざくジェット音。 舞い上がった熱水が雨となって降り注ぐ。「熱ッ! 熱い!」  作業員たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。摂氏100度近い熱湯の雨だ。

「逃げるな! バルブを閉めろ! このままだと井戸が吹き飛ぶぞ!」 源三はヘルメットを被り直し、蒸気の柱に向かって走った。

 視界は真っ白。硫黄の臭いが鼻を焼く。 目の前にあるのは、暴れ狂う地球のエネルギーそのものだ。人間の手で作った機械など、簡単にねじ切ってしまう圧倒的な暴力。その中で、源三は笑っていた。

(これだ……。これを待ってたんだ!)

 石油掘削では、ガス噴出は事故だ。だが地熱では、これこそが「成功」の証なのだ。源三は防噴装置の油圧ハンドルにしがみついた。熱でハンドルが焼けている。皮の手袋が焦げる臭いがする。

「杉山ぁ! お前の言ってた『キャップロック』の下には、とんでもねえ化け物が住んでたぞ!」

 源三は全身の力を込めてハンドルを回した。 油圧ラムが作動し、パイプの周りをゴムパッカーが締め付ける。 蒸気の咆哮が、徐々に唸り声へと変わっていく。

 完全に噴出が止まると、現場には奇妙な静寂が訪れた。 ただ、配管の中を流れる流体の振動だけが、生き物のように脈打っている。

「……止まったか」 源三はその場にへたり込んだ。 空を見上げると、雲の切れ間から星が見えた。噴き上げた蒸気が雲を散らしたのだ。

「社長……やりましたね」 泥まみれの助手が、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で笑っていた。  この一本の井戸から出る蒸気だけで、おそらく数万キロワット――小さな町一つ分の電力を賄える。

 だが、源三は知らなかった。 蒸気が出たことは、これから始まる「30年の冬の時代」への序章に過ぎないことを。地熱の本当の敵は、地下の圧力ではなく、「経済性」という名の冷徹な数字であることを。

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