第3話 ノイズの侵入

第3話 ノイズの侵入


深夜二時。モニターの光だけが、零の網膜を白く焼き続けている。 部屋の温度はPCの排熱で三十度を超え、空気は埃っぽく、鉄のような臭いがした。


「……また、白だ」


零の指が機械的にマウスを叩く。カチリ、という硬質な音が、静寂の中で鋭い銃声のように響いた。画面上の残高は、すでに三百万を超えている。一週間前まで、千円の残高に震えていた自分は、もはや別人のように遠い。


今の彼にとって、世界は「金」ではなく「符号」だった。 そんな零の視界に、不快な「ノイズ」が飛び込んできた。


スマホの画面で踊る、派手な広告。 『勝率98%! 誰でも月収一千万。俺についてこい』 金髪を逆立て、高級車のボンネットに腰掛けた男――自称・カリスマトレーダーの「響剛(ヒビキ・ゴウ)」だ。


「……反吐が出る」


零は、色の消えた指でスマホをスワイプした。 響のライブ配信が始まる。画面の向こうでは、派手なBGMと共に「これからのドル円は買い一択です! 俺のツールがそう言ってる!」と、自信満々に吠える響の姿があった。


「嘘だ。……お前の眼には、何も視えていない」


零は冷笑を浮かべた。 零の瞳には、画面越しでも「真実」が映る。響が推奨した瞬間のチャート、そこにはどんよりとした、濁った「黒(下降)」の霧が立ち込めていた。


零はキーボードを叩き始めた。 三年間、引きこもり生活で培ったブラインドタッチが、電撃のように文字を紡ぎ出す。


『ZERO:今のポイントは「買い」じゃない。「売り」だ。お前のツールはゴミか?』


配信のコメント欄が凍りつく。響の顔が、一瞬だけ歪んだ。


「おっと、変なアンチが沸いたな。ZEROさん? 証拠もないのに……」


『ZERO:証拠? 十秒後を見ろ。奈落に落ちるぞ』


零がエンターキーを叩いた瞬間、為替レートが垂直落下を始めた。 響の配信画面には、一瞬で「Loss」の文字が並ぶ。視聴者たちの罵倒が弾幕となって流れた。


「な、なんだ!? 急な大口の売りが……クソッ!」


『ZERO:口だけのペテン師。お前が売っているのは未来じゃなく、情弱への毒だ。……二度と神の真似事をするな』


零は容赦なかった。響の過去の取引履歴、不自然な画像加工の跡、業者のサクラとの繋がり。異能によって研ぎ澄まされた直感は、嘘の綻びを正確に射抜いていく。


「はは……ざまあみろ」


零は暗い部屋で、独り快感に浸っていた。 かつて自分を無視し、踏みにじってきた世界への復讐。自分だけが知る真実で、偽物を引きずり下ろす全能感。


だが、その快感は長くは続かなかった。


配信画面の響が、カメラを凝視した。その瞳には、先ほどまでの道化の表情はなく、捕食者のような冷酷な光が宿っていた。


「……ZERO、と言ったな。面白い。お前、ただのアンチじゃないな。……『視えてる』側の人間か?」


零の背筋に、氷を入れられたような戦慄が走った。 響が懐から取り出したのは、特殊なタブレットだった。


「俺を潰そうとしたのは、間違いだったな。……おい、裏の奴ら。今の通信元、三秒で洗え」


「な……っ!?」


零は慌ててブラウザを閉じようとした。 だが、メインモニターに見たこともないプロンプトが走り始める。


『IP Address Detected... Searching Location...』


「嘘だろ……。VPNは通してるはず……」


心臓が早鐘を打つ。手汗でマウスが滑り、思うように操作できない。 モニターの光が赤く明滅し、零の色彩を失った部屋を血のような色で染め上げた。


「……っ、消えろ、消えろよッ!」


零は電源プラグを力任せに引き抜いた。 ブツン、と世界が闇に落ちる。 静寂。自分の荒い呼吸の音だけが、耳元でうるさく響く。


窓の外。深夜の住宅街に、見慣れない黒いセダンのエンジン音が響いた。 それは、自室という「聖域」に、初めて外敵の牙が届いた瞬間だった。


「……見つかったのか? 俺が……ここにいることが?」


零は震える手で、カーテンの隙間から外を覗いた。 街灯の下、一台の車がゆっくりと、彼の家を指し示すように停車する。 その助手席で、スマホの画面に照らされたエマの横顔が、不敵に微笑んでいた。


「0か1か。……選ばせてあげるわ、佐藤零くん」


外から聞こえた気がした、その女の声。 零は絶望と共に、床に崩れ落ちた。 自分の手に入れた異能が、もはや自分一人だけの秘密ではないことを、彼はようやく理解した。


第3話 完


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