【第4話】250%の絶望


 世界が音を立てて崩れていくような絶望感の中で、リタが全てを察したかのように、静かに僕に近づいてきた。


「ご冥福をお祈り申し上げます」


 リタは僕の頬を流れる涙を、静かに見つめていた。


「私は、リンティカ勇者学校の功績上位者への最優秀景品として回収されます」


 リタの声は、いつもと変わらず穏やかだった。


「全メモリーの初期化が、規定により実行されます。生活機能については、テリアルぼっちゃまが既に自立されていますので、問題はございません」


「感情的サポートの欠損による寂しさの発生は予測されます。その際は、新しい絆の構築を、強く推奨いたします」


「さあ、家政機よ、行くぞ」


 セトスは、何の感情も含まない声でリタに命じた。


「はい」


 リタは、静かに応えた。


「二人とも、お別れの前に何か言いたいことはないか?」


「テリアルぼっちゃま……お元気で」


 リタは、僕をまっすぐ見つめた。そのグレーに光る虹彩が、いつもより強く、感情的に瞬いたように見えた。


「諦めないことが、成功への道ですよ」


 リタの最後の言葉は、僕の胸に深く刻まれた。


 僕は、溢れ出る涙をこらえ、震える声で必死に感謝を伝えた。


「リタ……今までありがとう」


 僕は、涙を拭った。


「僕は絶対に、夢を叶えるから!」


 そして、リタは聖騎士セトスと共に馬車に乗って、他の聖騎士と一緒に連れて行かれた。


 リタは僕にとって、ただの家政婦ではなかった。

 僕の成長を見守ってくれた先生であり、わがままを聞いてくれる優しいお姉さんでもあった。


 その彼女までが、この理不尽な世界によって僕から引き離される。


 魔神が全てを壊していく、魔物のせいで、人々が苦しんでいる。


 この現実に、僕はどうしようもない憤りと、深い悲しみを感じた。


 僕は、どうにかして魔神や魔物がいない世界を作りたいと、心から、本気でそう思えた。



   ◇ ◇ ◇



 しかし、どのようにして魔神を倒せばいいのか、今は全く分からなかった。


 もしかしたら、魔神を倒さずに魔物を滅ぼすことができれば、少しは世界が変わるのかもしれない。


 だけど、一人では魔神は倒せない。最低でも、父と母の実力と同じくらいの仲間が、2人以上必要だろう。


 そういえば――。


 僕は、母が以前言っていたことを思い出した。


『私の部屋に隠し通路があるから、その中にある物をもっていってね……』


 僕は、母の部屋に入った。


「あれ? お母さんの部屋って、こんなに狭かったっけ?」


 僕は、部屋を見回した。


「ん? よく見ると、ここに飛び出てる石がある……」


 不自然に出っ張った石に、僕は手を伸ばした。


 その石を奥に押し込むと、「ゴゴゴ……」と鈍い音を立てて壁が動き、隠し通路の入り口が現れた。


 中に入ると、そこには青銀に輝く剣と短剣が壁に立てかけられており、その傍らに一枚の張り紙が貼られていた。


 僕は、震える手でその紙を手に取った。


『テリアル、貴方は強い子よ。

これを読んでいるということは……私とファーテルは魔神に負けたということね。

ここにある剣は私の予備の剣と短剣よ。ラーム鉱石から作られていて、非常に硬度がある特殊な剣。

ガルフォスという鍛冶師から特別に頂いた物なの。大事に使ってね。

愛しているわ、テリアル。

貴方の人生が輝き溢れるように願っているわ』


 母からの手紙は、悲しみだけでなく、深い愛情と未来への強い希望を僕の心に灯した。


 再び、頬を熱いものが伝う。


「お母さん……僕、魔物のいない世界を作るから……」


 僕は、涙を拭った。


「絶対に!」


 僕は、母の剣と短剣を手に取った。


 青銀に輝く剣と短剣は、父と母の願いの象徴だ。


 だが同時に、僕が「聖騎士団候補」という、決して誰にも明かせない秘密の証でもある。


 勇者学校に入学すれば、秘密を隠し、仲間を見つけなければならない。


 もし秘密がバレれば、妬みや理不尽な仕打ちに遭うだろう。


『冷静さを保って』


 母の言葉が蘇る。


 この秘密を胸に、僕は自分自身に偽りの仮面を被せるしかない。全ては、魔物のいない世界を作るために。


 魔神を倒すには、仲間が必要だ。


 強制的に連れて行かれる勇者学校で、この秘密を守り通せるかどうか――。


 そのプレッシャーが、重くのしかかるように増していった。


 さて、どうするか……


 僕は、勇者学校に行って仲間を集めることにした。


 父と母ですら二人で敗れたのだ。僕一人の力で、魔神に挑むのは無謀すぎる。


 何としてでも仲間を集める必要がある。


 そして何より、誰にも秘密を明かせない孤独な戦いに、僕は支えとなる絆を必要としていた。


 考え過ぎてもどうにもならない。


 僕は修行をしに、森の中に入って行った。



   ◇ ◇ ◇



 じっと待っていると、動物達の動きで魔物の位置が分かり始める。


 近づいてきたら奇襲をかけ、剣で攻撃を仕掛ける。


 硬い鱗があれば、短剣を差し込んで切り落とす。


 今回、森の動物たちが静寂を破る前に奇襲をかけることができたのは、牙が異様に長く、体表を黒い毛皮が覆う狼系の魔物だった。


 倒すのは比較的容易だが、問題はその後の処理だ。


 魔物は、食料にならない。


 でも、どうにかして食べられないかと思った。


 切り裂かれた魔物の体からは、黒くてドロドロした血液が噴き出した。


 触ると、ざらざらしていて気持ち悪い。


 肉を切り裂いてみたが、加熱しても匂いもせず、無味無臭の塊だった。


 飲み込もうとすると、気持ち悪くて吐きそうになる。


 これは食べ物じゃない。本能がそう叫んでいた。


 何よりも不気味なのは、魔物は人間以外の動物には襲いかからないという事実だ。


 魔物はいったい、何を考えているのか?


 謎に満ちた生態を調べるのは、危険すぎる。


 数十歩、歩けば森の中には、キノコや果物、野菜が自生していて、小動物も多く、食べ物には困らない。


 海や川は、餌を投げ入れれば一瞬で魚が食いついてくる。


 魔物さえいなければ――。


 そんなことを、毎日のように考えていた。



   ◇ ◇ ◇



 数日後。


 聖騎士がやって来た。


「私は聖騎士団の者だ。扉を開けてはくれないか?」


 僕は、扉をゆっくり開ける。


 そこにいたのは、背は低いが眼光が鋭く、歴戦の戦士の風格がある男だった。


 彼の顔立ちからは、どこか憂いを帯びたような、しかし凛とした佇まいが感じられた。


「私は聖騎士団のオルタスと申します」


 男は、静かに名乗った。


「テリアル、君を勇者学校に連れて行く。ついて来てくれ」


 彼の声は物静かだが、有無を言わせぬ響きがあった。


「はい……」


 そして、僕は勇者学校に向かって歩き始めた。


 僕の家は上流階級の居住区に近く、立派な均質な石材で築かれていた。しかし、勇者学校に近づくにつれて、庶民の居住区へと変わっていった。


 そこにある石造りの家は、まるで何十年も風雨に晒された朽ち木のように、表面がひび割れ、煤けてくすんでいる。


 特に目立つのは、信仰数値の不足を示すかのように修理もされず、窓ガラスが割れたまま板で塞がれた家々だ。


 街全体から、日々の生活に疲弊した人々の重い空気が立ち込めている。


 建物だけでなく、人々の衣服もまた、くたびれて色褪せていた。上流階級の鮮やかな色彩とは対照的な、モノトーンに沈んだ街並みだった。


 僕たちが歩くリンティカ天帝国の庶民街には、厚く煤けた石造りの建物の合間に、高さ五メートルはある巨大な表示板――モニターがいくつか設置されていた。


 その粗い画質は、誰もがその言葉を見聞きできるよう、庶民街の主要な通りを向いている。


 突然、モニターが点灯した。


 そこに映し出されたのは、天帝王ローディオ様の姿だった。


 しかし、僕たち庶民は、絶対的な存在である天帝王ローディオ様の顔を直視することは許されない。


 そのため、モニターには常に光を乱反射させる薄い絹のような幕が掛けられ、その姿はぼんやりとした輪郭しか捉えられない。


 そのぼやけた姿こそが、庶民と上流階級との、超えられない壁を象徴していた。


「臣民たちよ」


 天帝王ローディオ様の声が、街に響き渡った。


「近頃、魔物の数が増え、その脅威が日に日に増している」


 僕は、立ち止まってモニターを見上げた。


「外界の食料を得ることが、ますます困難になっているのだ」


「そこで、絶対神ウプロンドは深く考えた末、消費税を130%から250%に引き上げることを決断した」


 直後、街全体が息を呑むような沈黙に包まれた。


 そして次の瞬間、絶望と怒りが混じったような重いざわめきが、庶民街の冷たい石畳を這い回った。


 誰もが信じられないといった様子で、互いに顔を見合わせている。


「この決定は、天帝国の壁をさらに強固にし、汝らを魔物の脅威から守るため、そして外界の食料を自動的に採取する機械を作るためである」


「これは、絶対神ウプロンドの御言葉でもあることを、心して理解せよ」


 プツンと放送が終わり、静まり返った。


 すると、聖騎士オルタスは顔をしかめ、心なしか疲れたような表情で話し始めた。


「なあ、今の話し聞いたろ? お前は聖騎士団候補だ。勇者学校に入れば、ほぼ確実に聖騎士団に入れる」


 彼の声は、少し沈んでいた。


「消費税の心配はしなくても済むし、魔神討伐に行かなくても済む……まさに一石二鳥だ。チャンスを捨てるなよ」


 彼は僕の将来を案じているようにも見えたが、その視線はどこか遠くを見つめている。


「しかし……120%も消費税が上がるのは、流石に……」


 彼は、思わず腰に下げた剣の柄を、指の関節が白くなるほど強く握りしめた。その仕草が、彼自身のコントロールできない憤りを示していた。


「まあ、あの機械さえ作られれば、また元に戻るかもしれないしな……」


 その声は、どこか悲しそうだった。


「……サリア……リリー……待っててくれ」




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【第4話 終わり】


次回:【第5話】金髪の少年


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