告白の決意
第23話 病の進行
木曜日の午前、私は宮下さんの家を訪れた。
前回、宮下さんは体調を崩していた。
今日は、どうだろうか。
インターホンを押すと、妻が出迎えてくれた。
今日の妻は、疲れた表情をしていた。
「いらっしゃい。今日もお願いします」
「よろしくお願いします」
私は靴を脱ぎ、リビングに向かった。
宮下さんは、車椅子に座っていた。
前回よりは、顔色がよくなっているように見えた。
「おはようございます、浩二さん」
私が声をかけると、宮下さんはこちらを向いた。
「ああ、井上さん。すみません、前回は心配をかけました」
「いえ、大丈夫ですか?」
「ええ、病院に行って薬をもらいました」
「熱も下がりました」
宮下さんは、小さく笑った。
私は血圧計を取り出し、宮下さんの血圧を測った。
上が百三十五、下が八十五。
前回よりは、落ち着いている。
「血圧も、少し落ち着きましたね」
「そうですか。よかった」
私は、宮下さんの関節可動域を確認し始めた。
でも、今日の宮下さんは身体が硬い。
肩も、肘も、動きが悪い。
「浩二さん、身体が少し硬いですね」
「ええ、最近あまり動けていなくて」
宮下さんの声は、少し弱々しかった。
リハビリを続ける。
でも、宮下さんの様子が気になった。
前回の明るさが、少し失われているように見えた。
「浩二さん、何か心配なことがあるんですか?」
私が尋ねると、宮下さんは窓の外を見た。
「実は、病院で言われたんです」
「病気が、予想より早く進行していると」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「早く、ですか」
「ええ」
宮下さんは、私を見た。
「余命二年と言われていましたが」
「もしかしたら、もっと短いかもしれないと」
宮下さんの声は、震えていた。
「医者は、はっきりとは言いませんでした」
「でも、顔を見れば分かりました」
「そう長くはないと」
宮下さんは、顔を覆った。
私は、何も言えなかった。
ただ、宮下さんの隣に座った。
「井上さん、怖いんです」
宮下さんが、小さな声で言った。
「死ぬことが、怖いんです」
「家族と離れることが、怖いんです」
宮下さんは、涙を流した。
「娘と、もっと話をしたい」
「妻と、もっと一緒にいたい」
「でも、時間がない」
宮下さんの声は、かすれていた。
私は、宮下さんの手を握った。
「浩二さん、あなたは間違っていません」
「怖がることは、当然です」
私は、そう言った。
「でも、あなたには時間があります」
「まだ、家族と一緒にいられます」
「その時間を、大切にしてください」
宮下さんは、私を見た。
「井上さん、あなたがいてくれて、本当によかった」
宮下さんは、涙を拭いた。
「あなたがいなければ、私は家族に話すこともできなかった」
「一人で抱えたまま、死んでいたかもしれない」
宮下さんは、私の手を握り返した。
「ありがとうございます」
その言葉に、私は胸が熱くなった。
リハビリを再開する。
でも、今日は無理をさせないようにした。
宮下さんの身体は、明らかに弱っている。
立ち上がりの練習も、短時間にした。
リハビリを終え、宮下さんを車椅子に座らせた。
「お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
宮下さんは、少し息を切らせていた。
私はカバンを片付け始めた。
その時、宮下さんが話し始めた。
「井上さん、実は、娘と約束したんです」
「娘さんと?」
「ええ」
宮下さんは、窓の外を見た。
「来月、一緒に建築の展覧会に行くことにしました」
「私が若い頃に設計した建物の写真が展示されるんです」
宮下さんの声は、少し明るくなった。
「娘が、見たいと言ってくれて」
「お父さんが作った建物を、ちゃんと見たいと」
宮下さんは、涙を流した。
「嬉しかったんです」
「娘が、私の仕事に興味を持ってくれて」
宮下さんは、私を見た。
「井上さん、私は幸せです」
「家族に本当のことを話して、よかった」
「残された時間を、ちゃんと一緒に過ごせています」
その言葉に、私は頷いた。
宮下さんは、正しい選択をした。
家族に話すことで、残された時間を大切にできている。
それは、とても尊いことだった。
「また、月曜日に来ますね」
「はい。お願いします」
宮下さんは、穏やかに笑った。
玄関で靴を履いていると、宮下さんの妻が声をかけてきた。
「井上さん」
「はい」
妻は、少し迷うような顔をした。
「主人の病気が、進行していると医者から聞きました」
「はい」
私は、頷いた。
「どれくらい、時間があるのでしょうか」
その問いに、私は答えられなかった。
医者ではない私には、分からない。
「医者に、聞いてみてください」
「でも、大切なのは時間の長さではなく」
「その時間をどう過ごすかだと思います」
妻は、涙を流した。
「そうですね」
「主人と、たくさん話をします」
「娘と、たくさん思い出を作ります」
妻は、涙を拭いた。
「ありがとうございます、井上さん」
「主人が、井上さんに出会えてよかったと言っています」
その言葉に、私は胸が詰まった。
「こちらこそ、浩二さんに出会えてよかったです」
私は、そう答えた。
私は、宮下さんの家を出た。
車に乗り込み、エンジンをかけた。
宮下さんの病気が、進行している。
それは、避けられない事実だった。
でも、宮下さんは家族と一緒にいる。
残された時間を、大切にしている。
それが、何よりも大事なことだった。
私は、アクセルを踏んだ。
次の訪問先に向かう。
午後、私は吉岡さんの家を訪れた。
インターホンを押すと、ヘルパーが出迎えてくれた。
「お疲れ様です」
「お疲れ様です。今日の様子はどうですか?」
「今日は、わりと落ち着いていますよ」
私はリビングに入った。
吉岡さんは、ソファに座ってテレビを見ていた。
「こんにちは、吉岡さん」
私が声をかけると、吉岡さんはゆっくりとこちらを向いた。
「あら、井上さん」
今日は、私の名前を呼んでくれた。
「今日は、足のリハビリをしましょうね」
「ええ、お願いします」
私は、吉岡さんの隣に座った。
リハビリを始める。
吉岡さんは、穏やかに私の手に従っている。
「吉岡さん、今日は私のこと、覚えていてくれたんですね」
「ええ、今日はね」
吉岡さんは、小さく笑った。
「でも、明日は忘れているかもしれないわ」
吉岡さんは、窓の外を見た。
「でも、それでもいいの」
「忘れても、また思い出せるから」
その言葉が、胸に響いた。
忘れても、また思い出せる。
それが、吉岡さんの生き方だった。
リハビリを続ける。
今日の吉岡さんは、ベランダを見ていなかった。
夫の話も、していなかった。
それは、夫のことを忘れているからなのか。
それとも、今は思い出していないだけなのか。
私には、分からなかった。
リハビリを終え、吉岡さんをソファに座らせた。
「お疲れ様でした」
「ありがとう、井上さん」
吉岡さんは、私の名前を呼んだ。
私は、嬉しかった。
「では、また月曜日に来ますね」
「ええ。お願いね」
吉岡さんは、穏やかに笑った。
私は、ヘルパーに挨拶をして、家を出た。
車に乗り込み、エンジンをかけた。
吉岡さんは、今日私の名前を呼んでくれた。
でも、明日は忘れているかもしれない。
それでも、いい。
吉岡さんが、穏やかに暮らせていれば。
それが、何よりも大事なことだった。
私は、アクセルを踏んだ。
家に帰る。
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