第13話 向き合う勇気
宮下さんの家を出て、私は車の中でしばらく動けなかった。
ハンドルに手を置いたまま、深く息を吐いた。
私は、宮下さんに話してしまった。
坂井さんのことを。
八年間、誰にも話さなかったことを。
でも、話したことで、何かが変わった気がした。
胸の奥にあった重いものが、少しだけ軽くなったような。
宮下さんは、私を責めなかった。
ただ、一緒に抱えると言ってくれた。
それが、どれほど救いになったか。
私は、エンジンをかけた。
次の訪問先はない。
今日の仕事は、これで終わりだ。
でも、私は家に帰らなかった。
代わりに、ある場所に向かった。
三十分ほど車を走らせ、私は墓地に到着した。
ここには、坂井さんの墓がある。
八年前、私は坂井さんの葬儀に参列しなかった。
参列する資格がないと思った。
でも、墓の場所は調べていた。
いつか、来なければならないと思っていた。
私は車を降り、墓地の中を歩いた。
坂井家の墓は、奥の方にあった。
黒い墓石に、坂井修一の名前が刻まれている。
私は、墓の前に立った。
「坂井さん」
私は、小さく声を出した。
「遅くなりました」
墓石は、何も答えない。
当たり前だ。
でも、私は話し続けた。
「私は、あなたを裏切りました」
「あなたが助けを求めたとき、私は逃げました」
私の声は、震えていた。
「家族に伝える責任から、逃げました」
「あなたと向き合うことから、逃げました」
私は、膝をついた。
「ごめんなさい」
涙が、溢れてきた。
「私は、八年間逃げ続けました」
「でも、もう逃げません」
私は、墓石に手を当てた。
「坂井さん、あなたが最期に言った言葉」
「裏切り者、という言葉」
「それを、私はずっと抱えてきました」
私は、涙を拭いた。
「でも、今日、誰かに話しました」
「あなたのことを」
墓石は、静かに立っていた。
「これから、私はちゃんと向き合います」
「患者さんと」
「秘密と」
「自分自身と」
私は、立ち上がった。
「坂井さん、見ていてください」
「私が、変わるところを」
私は、深く頭を下げた。
そして、墓地を後にした。
車に乗り込み、エンジンをかけた。
不思議と、心が軽かった。
坂井さんに、ちゃんと謝ることができた。
それだけで、何かが変わった気がした。
私は、アクセルを踏んだ。
家に帰る。
その夜、私はベッドに横になった。
今日、私は大きな一歩を踏み出した。
宮下さんに、秘密を話した。
坂井さんの墓を訪れた。
それは、八年間できなかったことだった。
でも、今日できた。
なぜなら、田中さんや宮下さん、吉岡さんと出会ったから。
みんな、秘密を抱えている。
でも、それと向き合おうとしている。
田中さんは、私に秘密を話してくれた。
宮下さんも、私に秘密を話してくれた。
吉岡さんも、時々秘密を口にする。
みんな、一人で抱えるのではなく、誰かと一緒に抱えようとしている。
それを見て、私も変わろうと思った。
もう、逃げない。
私は、目を閉じた。
今日は、ぐっすり眠れそうだった。
翌週の月曜日、私は宮下さんの家を訪れた。
インターホンを押すと、妻が出迎えてくれた。
「いらっしゃい。今日もお願いします」
「よろしくお願いします」
私は靴を脱ぎ、リビングに向かった。
宮下さんは、車椅子に座っていた。
「こんにちは、浩二さん」
私が声をかけると、宮下さんはこちらを向いた。
「ああ、井上さん。先日はありがとうございました」
「いえ」
私は、宮下さんの隣に座った。
「井上さん、実は、決めたんです」
「決めた?」
「ええ」
宮下さんは、私を見た。
「家族に、話すことにしました」
「本当のことを」
その言葉に、私は少し驚いた。
「余命のことも、病気の進行のことも」
「全部、話します」
宮下さんの声は、確かだった。
「娘の受験が終わったら、話そうと思っていました」
「でも、それを待つ必要はないと思ったんです」
宮下さんは、窓の外を見た。
「娘は、将来建築を学びたいと言いました」
「私と同じ道を選びたいと」
宮下さんは、涙を流した。
「それを聞いて、思ったんです」
「娘には、本当のことを知る権利がある」
「私が、どれだけ娘のことを大切に思っているか」
「それを、ちゃんと伝える権利がある」
宮下さんは、私を見た。
「だから、話します」
「今週末に」
その言葉に、私は頷いた。
「浩二さん、勇気ある決断ですね」
「いえ、勇気じゃありません」
宮下さんは、首を横に振った。
「ただ、逃げるのをやめただけです」
その言葉が、胸に響いた。
逃げるのをやめる。
それは、私も同じだった。
「井上さん、お願いがあります」
「何でしょうか?」
「家族に話すとき、一緒にいてくれませんか?」
その言葉に、私は少し驚いた。
「私が、ですか?」
「ええ」
宮下さんは、私の手を握った。
「あなたがいてくれたら、私は話せると思うんです」
「あなたは、私の秘密を知っている」
「そして、一緒に抱えてくれると言ってくれた」
宮下さんの声は、震えていた。
「だから、お願いします」
「一緒にいてください」
私は、宮下さんの手を握り返した。
「分かりました」
「一緒にいます」
宮下さんは、涙を流しながら笑った。
「ありがとうございます」
その笑顔は、とても穏やかだった。
でも、同時に不安も滲んでいた。
家族に本当のことを話すのは、怖いのだろう。
でも、宮下さんは決めた。
逃げるのをやめると。
私は、その決意を支えたかった。
一緒にいると、約束した。
だから、一緒にいる。
それが、私にできることだった。
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