第4話 帝国軍千人長への「丁寧な」お断り
城門。
滝のような豪雨が、石造りの門を打ち据えている。
闇に揺れる無数の松明。
雨粒に弾かれ、ジジ、と湿った音を立てる。
照らし出されたのは、濡れた黒鉄の群れ。
帝国の精鋭騎兵部隊だ。
騎士団長アラリックは、若き公王と共に門塔へ登る。
吹き付ける風が、王の隻腕の袖を激しく煽った。
だが、その足取りは濡れた石段を確実に踏みしめている。
眼下。
雨に煙る視界の先、騎兵の列の先頭に一人の男。
帝国の千人長だ。
顔の左半分に走る醜い古傷。
彼は雨に打たれるまま、不敵な笑みでこちらを見上げている。
檻の中の獲物を値踏みする目だ。
「公王は現在、快方に向かっておられる! だが毒気による衰弱が激しく、絶対安静だ!」
副官が声を張り上げる。
雨音に負けじと、喉が裂けんばかりの絶叫。
「よって王太子殿下が、名代として万能薬を拝受する! 門を開ける準備はある、お入り願おうか!」
千人長は、鼻で笑った。
雨越しでも分かる、明確な侮蔑。
「ほう、王太子が。……だが、我が皇帝陛下は『直接』届けるよう仰せだ。万能薬は扱いが難しい。若造に渡して、もし公王の身に何かあれば、それは我が国の責任になる」
若造。
アラリックの頬が引きつる。
鉄の手甲をはめた拳を、骨が軋むほど握りしめた。
この若き主君が、どれほどの血を流し、右腕を代償に国を支えてきたか。
それを知りもしない他国の軍人が。
「……我々は待たせてもらう。公王が目を開けるか、あるいは、我々の我慢が限界に達するまでな」
背後の闇から、ジャリ……と重厚な音が響く。
数百の鎧が擦れ合い、蹄鉄が泥を掻く音。
待っているのだ。
「公王死す」の確証か、あるいは「交渉決裂」を口実にした突入の合図を。
殺気が、冷たい雨と共に城壁へ押し寄せる。
その時。
若き公王が一歩、前に出た。
ズキン。
失った右腕の断面が、焼けた鉄串を刺されたように疼く。
幻肢痛。
脳を揺らすノイズを、奥歯で噛み砕く。
冷たい雨を吸い込み、肺を満たす。
「千人長」
大声ではない。
だが、凍りついた刃のような声が、雨音を貫いた。
「『若造』と言ったな。次期王たる私が、千人長ごときよりも信じられないと、そう申すか」
千人長の笑みが固まる。
隻腕の若者から放たれた覇気が、物理的な距離を超えて肌を刺したのだ。
「それは本当に、皇帝陛下の言葉と捉えていいのか?」
若者の声が温度を失う。
「山を越えたとはいえ、予断を許さない状況だ。もし無理を通して王に会い、その結果何かあれば、我が国は『信頼できない若造が王の国』になる。……それを乗っ取るつもりだ、と捉えていいのか?」
沈黙。
雨が鎧と石畳を叩く音だけが、重苦しく響く。
外交上の「建前」を剥ぎ取り、薄汚い本音を突きつける。
一歩間違えれば宣戦布告。
ギリギリの賭け。
「少し話したいこともあったが」
若者は、興味を失ったように踵を返した。
「そちらがその態度なら、考え直さなくてはいけないな。同盟のあり方を」
千人長の顔から、完全に笑みが消えた。
まさか弱小国の、しかも「若造」と侮っていた王太子から、これほど直截的な脅しが返ってくるとは。
長い沈黙。
やがて、兜の奥で低く、獣が唸るような笑い声が漏れた。
「……くく、面白い。よかろう。我らも誇り高き帝国軍人だ、無礼の謗りを受けてまで門をこじ開ける趣味はない」
千人長は、ゆっくりと馬首を巡らせる。
「だが殿下、覚えておかれよ。信頼とは言葉ではなく、結果で示すものだ。万能薬は預かっておく。日の出までに、公王自らが迎えに来られぬのであれば……我々は『公国は既に他国に支配された』と判断し、独自の行動に出る」
帝国軍が後退する。
矢の届かぬ距離まで。
だが、陣形は解かれていない。
切っ先を喉元に向けたままの「待機」。
◇ ◇ ◇
門塔を降りる。
アラリックは若き主君の横顔を見た。
濡れた黒髪が額に張り付き、顔色は紙のように白い。
だが、瞳の光だけは死んでいない。
「殿下。見事な采配でした。あの千人長を言葉だけで下がらせるとは」
「まだ何も終わっていない」
感情のない、平坦な声。
「日の出まで、あと数時間。それまでに、別の手を打つ」
「別の手、とは」
「セドリック副団長を、私の部屋に呼べ」
アラリックの足が止まる。
濡れた石畳の上、重い足音が途絶えた。
「セドリックを……?」
「リオラの報告では、あいつが帝国に通じている可能性が高い。確かめる」
若者が振り返る。
松明の陰影に彩られた瞳。
友を疑う悲哀などない。あるのは、王としての冷徹な責務だけだ。
「あいつにだけ、こう伝えろ。『王は死んだ。このままだと、あと一時間もしないうちに教皇国に侵食される』と」
「……殿下、それは」
「ブラフだ」
若者の声が、凄みを帯びて低くなる。
「もしセドリックが裏切り者なら、この情報を帝国に流す。『王が死んだ』と聞けば、帝国は夜明けを待つ理由を失う。もし帝国軍が日の出を待たずに動き出したら……その情報源は、セドリックにしか伝えていない嘘だということになる」
アラリックの背筋が凍る。
雨の冷たさとは違う。内側から内臓が凍りつく感覚。
この若者は、かつての戦友を罠にかけようとしている。
生きるか死ぬかの極限状況。
最も信頼すべき部下の忠誠を、嘘という毒で試すのか。
「……承知いたしました」
アラリックは、喉の奥から声を絞り出す。
足が、鉛のように重い。
セドリック。
共に泥水を啜り、背中を預け合った男。
それが、裏切り者?
信じたくはない。だが、公王の判断が間違っていたことは、これまで一度もない。
腰の剣の柄を強く握る。
濡れた革の感触が、無慈悲な現実を掌に伝えてくる。
もし、あいつが本当に「黒」なら――。
その時は、自分の手で斬る。
アラリックは降りしきる雨の中、友を断罪するための重い一歩を踏み出した。
次の更新予定
【1/12完結】隻腕の代理王と、狂った忠臣たちの逆転戦記 ~詰みかけの弱小国を救うため、俺は喜んで『呪い』を喰らう~ @ryoma_
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