ep16 とまどい(2)
出発は思ったよりも早く、それから一週間後だった。
“浄化”にぶれが一切なかったからだ。
ぶれが出ない理由は、おそらくセリアスへの想いが影響している。
セリアスを想うほど、大切な人、大切な場所を失った人々への共感につながったからだ。
つまり“心を傷めるほどに力が強くなる”――その方程式に気づいた時、心底、女神が嫌いになった。
「ヒナタ、くれぐれも身体に気をつけて行くのですよ。」
心配そうに目に涙を浮かべる王妃は、少女のように不安そうな顔をしてこちらを見つめていた。
「王妃様、大丈夫。俺、ちゃんと頑張ってくるね。」
「ええ、ええ。ありがとう、ヒナタ。無事に戻ってきたら、“誓約の儀”を整えましょうね。」
噛み締めるように何度も頷く王妃が愛らしい。
セリアスが王妃様似だったのもあって妙に親しみを感じてしまう。
“誓約”の話を聞いて「私を母と思いなさい」ときっぱり言ってくれたのも嬉しかった。
ここの国の人はみんなくすぐったい。
「道中、ヒナタの事を頼んだぞ、セリアス、ルーエン。」
「もちろんです。」
「かしこまりました、陛下。」
そんなやりとりが横目に見えて――現実が胸に迫る。
だからだろう。
揺られる馬車のなか、ぼうっと外を眺めているとセリアスに肩を撫でられた。
気遣わしげなそれに、心配されているのだと知る。
「……ごめん、ちょっと考えてた。」
「聞いても、いいか?」
どこまでも優しい声に、つい本音を漏らした。
「誰かの人生がかかってるって思うと、どんな覚悟でも足りない気がして」
ぽろりと出た本音は意外と重い響きを持っていた。
「あ、違くて――」
しまった、と思っても遅い。
はっと顔を上げて二人を見る。でもその表情には、動揺も戸惑いもなかった。
そうか、と気づいた。
この二人はもう、“命の重さに怯える境界線”なんて、とっくに越えているのだろう。
理不尽よりも、安心の方が勝って、すっと肩の力が抜けた。
「目から光を出してた生徒の言葉とは思えませんね。」
心底からかうようにルーエンが言って、セリアスが吹き出した。
一瞬で変わった空気に、膨れっ面を作りながら安堵した。
「あなたは、あなたのままでいいのです。」
静かに言うルーエンの言葉が、妙に胸に沁みた。
そういうのは恋人の役目ではないのかとちょっと思って、目を向けると――心配が頂点に達していそうな目をした大型犬がそこにいた。
「私も居る。」
今の心境を慮ってくれた結果なのだろう。思わず笑い声がでた。――きっと、一番いいバランスだ。
あえて、あまり気負いするな、と言わない二人の優しさが嬉しかった。
急に心が軽くなったような気がして、軽口が出た。
「二人がいれば、俺って、漫画の主人公にだってなれちゃうかも。」
「……まんが?」
セリアスとルーエンが同時に首を傾げる。その温度差がたまらなくおかしい。
そうだ、今は死地にいく訳でもなければ、地獄に行く訳でもない。
気分は世界を救う勇者だ。
そんなことを思っていただけに、神殿に着くなり微妙な気持ちになった。
勇者といえば。
いわゆる“ワルモノ”を倒すのが仕事だ。
出迎えた目の前の男を見る。
ダルモン神官長と名乗った彼は、神殿のトップだというのに、まるでラスボスみたいな雰囲気だった。
やせぎすの指に違和感を感じるほど大ぶりの宝石をいくつも嵌めて、ぎらついた目は、獲物でも値踏みするようにこちらをなめ回した。
頭からつま先まで、遠慮のないそれが不快だ。
「いやあ、神子さま――ようやくお会い出来ましたな。再三、お目通りの上申はしておったのですが。」
ダルモンがじろりと睨むようにセリアスを見る。
次いで、こちらに向けられたわざとらしい笑顔は、目の奥が笑っておらず気味が悪い。
やっぱりラスボスで、ワルモノに分類されるタイプにしか見えない。
「“お供”も連れておられるようですが……今日は、お一人で礼拝していただきましょう。規則ですのでお二人はご遠慮ください。」
もったいつけた台詞は、セリアスの身分など意に介さないと伝えてくる。
『神殿じゃ、父上の言葉ひとつでおまえなんか――どうとでもなるんだぞ!』
ふと、エルミトの言葉が蘇った。目の前の男ならあり得そうな話だった。神子は流石に難しくとも、他の存在には容赦がなさそうだ。
「ダルモン神官長。“お供”とはいささか無礼が過ぎませんか。国を護る王家をなんと心得ておられる。」
ルーエンの硬い声がさす。
「それは失礼いたしました――神殿も同じく国を護っておりますれば。
神子さまを真っ先にこちらにお連れしなかったのは、神殿への冒涜に他なりません。
そこはどう心得ておられるのか、逆にお聞きしたいものですな。」
悪びれない態度は、火に油を注ぎたいようにしか見えない。
厄介になる前に口を挟む。
「分かった。俺が一人で行けばいいんだろ。」
不躾に聞こえたかもしれない言葉に、ダルモンは少し目を眇めただけで答えた。
「ヒナタ。」
少し硬い声でセリアスが声をかけてくる。
「大丈夫だよ。お祈りするだけ。――ね、これがあるから。」
後半は小声で伝えて、腕飾りを撫でる。
セリアスが躊躇いつつも頷いたのを見て、ルーエンにも目で合図した。
「では参りましょうか――神子さま。」
神官長の背を追って、荘厳な空気の建物を眺める。
白を基調としたどっしりとした石の作りの柱に、ところどころ繊細な彫刻がなされていた。
「我が神殿の歴史は、ナイア神が起こした奇跡の始まりまで遡ります。神話に登場する王家の祖先、青年の――」
くどくどと語る声は何も頭に入ってこない。
たぶん、そんなに重要なことは言ってなさそうなので、気にしないことにした。
長い話が苦手など、神官長相手に言える訳もない。
セリアスと違って押し付けがすごいので対話ができそうにないタイプだった。
話を遮るのも得策ではないのは分かるので、ただ押し黙った。
途中、かすかな声が聞こえる。
資料で見た配置図では、恐らく水が湧いているあたりのところだ。
歩を進めるにつれて、思わず眉を顰めた。明らかに穏やかなざわめきではなく、切羽詰まった声だった。
「神子様。では、まずは我が神殿を順にご案内いたしまして――」
「待って。」
思わず足をとめた。
塀の外から聞こえたのは、明らかに懇願の声だった。
この世界の優しさの根幹を、初めて崩される思いがした。
「外で、水を待っている人がいるなら――まずはそっちが優先だろ。」
この世界のやり方というものがあるのかもしれない。
納得がいく答えがあればすぐに謝るつもりで言った。それなのに。
「ああ――いいのですよ。外にいるのは、水を買う金もない人間です。
どうにか縋ろうとする……神聖な水を得るに値するほどの信仰も足りない、愚かで野蛮な人間どもです。
以前、神子さまが水を配るようにと仰られていたようですが、それは現状をご存知ないからでしょう。
その辺りも、今日十分にご説明いたしましょう。」
――なんだ、こいつ。
怒りが湧く。
たが、怒りとの感情とは別に“悲しみ”が湧いた。
自分のものではないそれ戸惑いを覚える前に、言葉が先に出た。
「ふざけるな。」
吐いた声音が自分ではないような気がして戸惑った。
なにか、混ざったような感覚だ。
耳に届く声も、いつもとどこか違う。
この感情と声は自分のものだけではない、と気づいた。
魔力の高いヒナタ相手にそんなことができる存在など、一つしか思いつかなかった――女神だ。
知らない存在に、好きなように扱われるのは非常に気に食わない。
たが、それでもヒナタ自身の怒りと混ざったそれは制御が効かなかった。
「金がないと言うのなら。お前のその指輪ひとつでどれほどの人民が助かる。」
「は、……」
呆けたような男に腹がたつ。なにも、分かっていない。
「お前が金銭を求めなければ、清い水でどれほどの民が助かり、子供が育つ。」
言った事はまさしく、感じていたものではあったが、流石に初対面相手にここまで突っ込んだ話はしない。
流されている、と気づいて必死に制御しようとするが追いつかない。
さらに意図せず魔力が放出されたことに恐怖を感じた。
これは、完全に操られている。
「本当に愚かなのは誰だ。おまえが間違わなければ――いなければ、」
発した言葉は、もはや自身の言葉ではなかった。
続く言葉が予想できて、喉に力を入れて堪えた。――さすがに言ってはならない。言いたくない。
どうにか言わせようとする力に、悟った。
女神は、この男に深い怒りを抱えている。
抵抗しなければ、この手でこの男を殺そうとしている。
まずい、と思った矢先、唐突に割り込んできたのは、エルミトだった。
「ごめんなさい……っ!」
そうだ、神官長の息子だからここに居てもおかしくはない、と思考の片隅で思う。
呆けたように尻餅をついたダルモンに縋り付いて、ぽろぽろと涙を流している。
「ごめんなさい、ごめんなさい、父上をゆるしてあげて……!」
悲壮げな声に、怒りも霧散して、違う何かの感覚も抜けていった。
「……エルミト。驚かせてごめん。」
ようやく自分自身の声が出て、泣きたいくらいの安堵を覚えた。
操られる感覚なんて、二度とごめんだ。
なんとも言えない気持ちでエルミトの頭を撫でた。
『ヒナタ!大丈夫か?何があった?今、足止めを食っていて……』
手首飾りからセリアスの声が響く。
「セリアス、大丈夫。さっきちょっとおかしかったけど落ち着いた。でも、後で来てもらえる?」
『……できるだけ急ぐが、本殿ではあまり王族や神官としての立場が強くはない。
くれぐれも無理はしないでくれるか。何かあれば強行突破するから、すぐに話しかけてほしい。』
――強行突破は、よくないんじゃないかなあ……。
セリアスやルーエンが慎重に動いているということは、それだけの組織だということだ。その程度は想像がついた。
「ほんとに、大丈夫だよ。またあとで。」
『ヒナタ、本当に気をつけてくれ。』
ありがとう、とお礼を言って、息を吐いた。
どっと疲れた思いがして、それでも、やるべきことは決まっている。
エルミトになるべく優しく話しかける。
「……な。外にいる人たちに水を配ってあげたい。手伝ってくれる?」
泣きながらこくこくと頷いた彼は、すぐに人を集めて神殿中の桶を集めてきた。
エルミトの行動に、どこか抜け切らない怒りの名残も、完全に霧散していった。
「桶を、買うお金もない人たちも、これで大丈夫だと思う。」
泣いて情けない顔をしながらもいうその姿は、父親よりもよっぽど神官長のようにみえた。
「エルミト、すごいな。」
素直に褒めれば、泣き顔が少し和らいで照れたように笑った。
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