ep16 とまどい(1)
珍しくセリアスより早く目覚めたのは、どこかで昂った感情が続いているからかもしれなかった。
寝息を立てる胸の動きを見ていると、昨夜、腕の中で名前を呼ばれた声がふいに蘇った。
あの熱も、密やかな吐息も、まだ指先に残っている。
綺麗な寝顔を愛しく思って、それでも頬を撫でたくなる衝動を堪えた。
身じろぎひとつでもすれば、きっとこの男は起きてしまうに違いない。
いまは、ただ寝顔を眺めていたかった。
昨日、自分から思わず誘うようなことを言ってしまったのは、今思い出しても顔が赤くなる思いだった。
それでも求めたのは、きっとあの被害にあった人々の報告書で気持ちの変化があったせいだろうと思う。
セリアスに守られた優しい日常では気づけなかった生々しい現実。
あのとき、ルーエンに教えられたものとも違う実感が確かに湧いたのだ。
あした、死ぬかもしれない。
あした、セリアスと離れ離れになるかもしれない。
あした。記憶のように能力も突然抜け落ちてしまうかもしれない。
――きっと、そういう不安定な世界だ。
ずっと続く保証なんてどこにもない。
だからこそ――いま目の前にある温もりが、ちゃんと自分の一番そばにあるのだと確かめたくなった。
胸に顔を寄せて、小さな口付けを落とす。
「……ヒナ。」
やっぱり、そんな仕草ひとつでセリアスの瞳がこちらを向いた。
「おはよう」という言葉とともに落とされる口付けは、昨日の朝よりもずっと甘いものになっている気がした。
「……昨日は、忘れられない大切な夜になった。ありがとう。」
臆面もなく放たれた言葉に、顔に熱があつまる。
恥ずかしげもなくよく言う――気障なのが似合う美貌がまた憎らしい。
「今日の君は、いつもより綺麗に見える。」
目を合わせているのが限界になって胸に顔をうずめた。
「そういうの、あんま重ねないで……」
「照れるヒナも、かわいい。」
くすくすと笑う彼は、ひどく大人びている。三歳しか違わないのに、王族という地盤がそうさせるのかもしれない。
「今日の午後、本当に大丈夫か。」
ふと、気遣わしげな視線を向けられた。
「大丈夫。ちゃんと浄化の練習に行くよ。」
「しかし――」
言い募ろうとしたセリアスの唇を塞いだ。
背を伸ばしたことによって、身体の奥ににぶい痛みのような違和感を感じる。
昨夜、身体の負担があるのではと回復の魔式を起動しようとしたセリアスを止めたのは、ヒナタだった。
「初めての痛みくらい、ちゃんと覚えたい。」
昨日の余韻のままにほおを包めば、今度はセリアスが顔を赤くした。
「ヒナタは……ずるいな。」
「そういえば、最初のころもそんな事言ってた。」
セリアスも思い出していたのかもしれない。ふっと破顔して、口付けを落としてきた。
「ああ、そうだな……。ヒナタはずっと、ずるく愛しくて、強くて綺麗なままだ。」
「……セリアスも、変わんないよ。」
「どう変わらない?」
「ないしょ。」
「やはりずるい。」
静かに笑い合う。
こんなに穏やかな朝も、あといくつもないのかもしれない。
本当は、こんな日々が毎日続いてほしいと思ってしまう。
けれど、そのために自分が頑張らねばならないという事も理解できていた。
「セリアス、俺、頑張るね。」
「……なるべく、傍にいる。」
そばにさえいてくれればそれでいい、と思うのは依存に近いかもしれない。
それでも、いま胸に残ってるあたたかさだけは、手放したくなかった。
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