第4話 その先

私の論文が公開されてから1ヶ月が経った。

webから始まり、今では大手メディアでも話題に取り上げ始めた。

もっとも、殆ど全てが懐疑的なものだが。


その一方で、科学の世界では追試験や新たな考察が重ねられている。


「狂牛病は何故沈静化できたのか」


中でもこの話題は私の興味を引いた。

私の試験結果から、物質化した情報が狂牛病の原因である可能性が示唆されたが、この疾病は過去、レンダリング方法の変更で再燃及び沈静化した過去を持つ。


肉骨粉から脳と脊髄を取り除いた結果、発症が収まった狂牛病。

これは脳と脊髄という情報集約器官が肉骨粉に入っていたことで、牛で情報の過剰摂取が生じていたのかもしれない。


この疾患は一度社会から「対処法可能」とされたが、レンダリング企業の作業工程変更に伴い、再び世を騒がせた。


肉骨粉作製時の処理がバッチ法から連続処理法に変わり、オイルショックによる有機溶媒の高騰を起因とした溶媒抽出操作の省略により、再び狂牛病の発生率が上がったのだ。


バッチ法と溶媒抽出により、物質としての情報は意図せず不活化もしくは肉骨粉から除去されていたのであろう。

これらの条件と連続処理法の間に、物質化した情報の性状を解析するヒントが隠されていると推察できる。


そう考えた研究チームは、以下の実験を行った。


[肉骨粉処理方法の効果検討]


目的:

肉骨粉処理の各工程が、物質としての情報に与える影響を調べる


試験方法:

以下に示す5群で試験を行う。


A群:バッチ法と溶媒抽出

B群:バッチ法のみ

C群:溶媒抽出のみ

D群:連続処理法と溶媒抽出

E群:連続処理法のみ

F群:未処理


検体処理後、アミロイドβを尿素処理及び濃縮し、各群10匹のマウスへ接種する。

接種後1ヶ月、臨床症状を観察する。


結果と考察:

A群とD群では全てのマウスで臨床症状は認められなかった。

B群では4/10、C群では2/10、E群では5/10、F群では10/10のマウスで臨床症状が認められた。


この結果から、物質化した情報は、有機溶媒に溶け出す可能性があることが示唆された。


追加解析として、A群とD群の処理後の溶媒を希釈したものをマウスに接種し、同様に観察した。その結果、各群10匹ずつ接種したマウスの内、8匹で臨床症状が認められた。


このことから、脂質除去の為の操作であった有機溶媒処理こそが肝であり、異常プリオン対策の肝と考えられていた熱処理は、あくまで副次的なものと推察される。

熱処理は情報に影響を与えるのではなく、タンパク質構造が変化し、情報が漏れ出にくくなるといった効果であった可能性がある。



物質としての情報は有機溶媒に溶け出す。


この事実は世界を変えた。


物質としての情報があるだけでなく、それが溶解することも確認できたのだ。

有機溶媒への溶解というのもまた、納得がいく。

脳や脊髄といった記憶に関するとされる器官は脂質に富んでいる。

親油性の物質であれば、そういった器官に蓄積していくことが推察される。


では、現在世界で問題になっているこの疾患に対してどのような対処をとれるのか?


1. 新たな情報の蓄積を防ぐため、可能な限り情報を遮断する

2. 情報技術の発展を止め、前世代の技術に戻る

3. 情報病原体と名付けられた物質に対する予防接種もしくは治療薬を開発する


1番簡単なものは選択肢1だ。

デジタルデバイスを手放し、自然の中で生きる。

新たに摂取する情報は不自然に濃縮されたものではなく、人類が享受してきた適切な量の情報のみ。

しかしこれは、今までの人生を否定されることに近しい。

仕事や遊び、全てを放棄しなければならない。

一部の原理主義者のみが、これを選択した。


次に簡単なものは選択肢2。

前世代の技術といっても、問題が生じる前の世代の技術まで戻れば良い。

時代としては10年前の技術に戻るだけで済む。

今と比べて不便はあるものの、ライフスタイルの全てを変える必要はない。


社会はこれを選んだ。


人類は技術の進歩を止めた。


一方、研究者や製薬会社は選択肢3の可能性を捨て切れずにいた。

彼らは人類を、いや、生物を、「赤の女王」の様に止まることは出来ないものと考えた。


進歩を止めた先に待つのは死と絶望だけだ。


彼らは、過剰量の情報を得ることを避け、研究スピードを落としながらも研究を続けた。


現代のスーパーコンピュータを使うことは過剰量の情報摂取による死に繋がると考えた彼らは対策を考えた。

データを紙に手書きした後、その紙をスキャン、スーパーコンピュータで解析というスキームだ。

スキャンから先の過程の確認を放棄し、スーパーコンピュータが吐き出す結果のみを見る事で、情報摂取量を制御した。

それでも生データ転記を原因とする発症者が相次いだ為、研究者達はプログラムを書き、生データを一切見る事なく、図や表のみを得るようになった。


過程を見ることがなくなった科学は、最早呪術や魔法と変わらない。

そう揶揄されるようになっても彼らは人類の未来を信じた。



進歩を止めた世界から、件の疾患は忘れられ始めた。

問題が生じなくなった後、人類は興味を失う。


人類は技術の発展により困難を乗り越えてきた。技術の発展とは新たな情報を得ることと同義だ。

情報摂取が制限されている今、その信念の如何によらず、人類は進歩を遂げることが出来なくなった。

物質としての情報を直接捉えるため、様々な方法が考えられたが、どれも機能しない。


数理モデルの構築を考えるものもいたが、過程を見ることが出来ない今、モデルの補正を行うことが困難となり、作られたモデルはどれもモデル作成に用いたデータにのみ当てはまる不適切なものばかりだった。


科学者達は何年もの間、細々と実験を続けたが、彼らの中に諦めが生まれ始めた。


その結果、人類がこの問題を克服するには、技術進歩をゆっくりと進めるしかないという結論に至った。


ロジックは以下の通り、極めて単純だ。


1. 過去の技術(若者の記憶障害が問題になり始めたころの技術。例えば4g)で過ごし続る

2. 記憶障害が認められなくなったら、次の世代の技術(例えば4g→5g)に進める


物を捉えられない以上、人間本来の免疫機能に頼るしかない。


技術の進歩が早過ぎるため、人体が追いついていなかった。現在では問題が生じないとされている情報量も、過去の人間にとっては過剰量であっただろう。



人類は歩みを止めることはないが、その歩みをゆっくりとしたものに変えた。

人類の進化速度と情報量の関係性について研究が進められた。



選択肢2を選んで進歩を止めていた社会が、再び歩みを再開した。

人類は管理された速度での進化を続けることを選択したのだ。


その社会では、人々は細かくセグメント分けされた。

同じニュースであっても、各セグメントごとに情報量に変化がつけられた。

VRやデジタルデバイスを多用していた者は発症までの閾値が低いため、情報は文字でのみ与えられた。


セグメント化により、個人が受領した情報量を半定量化することができるようになった。以降、発症者が出る度、その情報量は蓄積され、現段階の人類が耐えられる情報量、即ち使用可能な技術レベルが推定された。


個体差があるため、時々発症者は出続けたものの、人類は着実に進歩を遂げ続けた。


そしてついに、治療法に光が見えた。

物質としての情報が有機溶媒に溶出するという特徴を活かし、脳と脊髄から過剰量の情報を抜き取るというものだ。

情報が溶出されたアミロイドは、自然吸収されていくことがモデル動物の実験で明らかになった。


生体に影響が出ない低濃度の有機溶媒を含む培地で脳脊髄液を透析する。


この治療法はモデル動物を使って検討が重ねられ、ついに人体で実験された。


その結果、透析を受けたヒトの症状が緩和されていくことが明らかになった。


脂質で構成するされる脳自体にもダメージが生じるが、発症するよりはマシと希望者が増えた。

脳を溶かしながら疾患を緩和していくその姿はグロテスクだった。

アミロイドや異常プリオンに蓄積された情報は減るが、脳が溶かされ、記憶を失う者も出た。


この治療法は本当に良いのか?

そんな声も出てきたが、新しい技術を追い続けたい者達、発症を防げるなら記憶を失うリスクを意に介さない者達が挙ってこの治療を受けた。


人類は再び、進歩の歩みを早めた。


ただ一点、懸念事項が生まれた。

溶出された情報病原体の処分方法だ。


狂牛病は、有機溶媒への溶出によって解決したが、情報病原体は場所を変えただけで、そのまま残っていた。

実験結果から、一定以上の温度を加えると不活化されることが分かっていたが、完全な不活化は出来なかった。


増え続ける溶出された情報達。

この処分をどうするか。


1. 海に廃棄する

2. 火山に廃棄する

3. 宇宙に廃棄する


1は簡単だが、循環により、再び人類が暴露を受ける可能性がある。

2は指輪物語に着想を受けた者達が唱えたが、火口に有機溶媒を廃棄し続けたことがないことに加え、岩石内に情報が残るリスクを拭いきれなかった。

その結果、3の選択肢が取られることとなった。


溶出された情報及び記憶は、地球外に廃棄された。

高密度に濃縮されたそれは、受信者を求めて暗い空間を彷徨い続けた。



「未知の星からデータを受信しました」


「よし、解析を進めよう」

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情報病原体 ―若年性アルツハイマーの爆発的増加に関する一考察― 鏡聖 @kmt_epmj8t-5

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