綻びゆく五重奏
母親の祈りと、ユイの迷い
ナツミが病室で楽譜と格闘しているその裏で、ベースのユイは一本の電話を受けていた。相手はナツミの母親だった。
「ユイちゃん、お願い……あの子を止めて。このままじゃ、あの子の命が音楽に吸い取られてしまうわ」
受話器越しに聞こえる震える声。幼馴染として、誰よりもナツミの歌を信じてきたユイにとって、その言葉は鋭い棘となって胸に刺さった。ナツミをステージに立たせることは、彼女の寿命を削ることなのか。
ユイは他のメンバーを集めようとしたが、今のバンドにはかつての熱量はなかった。
アンは一人でスタジオに籠り、リンは「練習にならない」と顔を出さなくなり、カノンは沈黙したままペンを止めている。
バラバラになりかけた心を繋ぎ止めるため、ユイは重い足取りで病院へと向かった。
ガラス越しの執念
リハビリ棟の廊下。ユイが目にしたのは、手すりに掴まり、一歩一歩、脂汗を流しながら歩くナツミの姿だった。
足は震え、呼吸は荒い。それでも彼女の口元は、微かに歌のフレーズを刻んでいる。
「……ナツミ」
声をかけようとしたユイの足が止まった。その瞳は、もはや「病気」を相手にしているのではない。見えない観客、そして自分自身の限界を睨みつけていた。
《目に映るもの 全てが夢の欠片に見えた》
ナツミが呟いた歌詞が、無機質な廊下に虚しく響く。
告げられた「現実」
「ナツミ、もういいよ。休もう」
ユイが駆け寄り、崩れ落ちそうになったナツミの体を支えた。
「ユイ……? 来てくれたんだ。ねえ、次の練習、私ライブハウスまで行けそうだよ。リハビリ、順調なんだ」
弱々しく笑うナツミ。しかし、ユイは彼女の目を見ることができなかった。
「……ナツミ、言わなきゃいけないことがあるの」
ユイの声は震えていた。
「今、バンドはまともに動けてない。アンもリンも、あんたがいない場所で何を鳴らせばいいか分からなくなってる。……心が、バラバラなんだよ」
ナツミの笑顔が凍りつく。
欠けたピース
「ライブハウスにも全然参加できてないし、みんな『ナツミ抜き』の音に耐えられなくなってる。お母さんからも言われたわ。あんたを止めてくれって」
ユイはナツミの肩を掴み、叫ぶように言葉を続けた。
「あんた一人が頑張っても、バンドは成立しないんだよ! 私たちが欲しいのは、あんたの命を削った歌じゃない。……あんたと一緒に、生きて鳴らす音なんだよ!」
ナツミは力なく手すりに背を預け、ずるずると座り込んだ。
リハビリ室の大きな窓から差し込む夕日は、眩しすぎて今の彼女には痛かった。
「……みんな、私のせいでバラバラになったんだね」
震える声でナツミが言う。
「最高のバンドを目指してたのに、私が一番、みんなの足を引っ張ってたんだ」
降り積もる絶望
ユイはナツミを抱きしめることしかできなかった。
ナツミの執念が強ければ強いほど、残されたメンバーの不安と罪悪感は膨れ上がり、音を歪ませていた。
《失うことを恐れずに 走り出したあの日》
あの日の情熱は、今や「失うことへの恐怖」に塗り替えられようとしている。
五人の夢を繋ぐはずの「Dream of Life」が、皮肉にも彼女たちの絆を引き裂こうとしていた。
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