無機質な部屋のシンフォニー
白い檻のスタジオ
強引な脱走の代償は、一週間の絶対安静という厳しい通告だった。
再び白い天井を見上げる生活に戻ったナツミ。しかし、以前とは決定的な違いがあった。ベッドの周りには、楽譜の切れ端、カノンのノート、そしてユイが持ち込んだ小型のポータブルスピーカーが散乱している。
「ここ、このフレーズ。もう半音高くてもいけるんじゃない?」
面会時間のチャイムが鳴るたび、誰かしらが現れる。
この日はアンが、アンプを通さないエレキギターを抱えて椅子に踏んぞり返っていた。
「無理言わないでよ。今の私の肺活量じゃ、その音域は……」
「出せないんじゃなくて、出すのよ。《失うことを恐れずに》って書いたのはカノンでしょ」
アンはナツミの体調を誰よりも理解しながらも、音楽に対してだけは一切の妥協を許さなかった。それが彼女なりの、ナツミへの「対等な敬意」だった。
境界線上のメロディ
夕暮れ時、一人になった病室でナツミはイヤホンを耳に当てる。
スピーカーから流れるのは、ユイ、アン、リンがスタジオで録音した最新のバッキング・トラックだ。
目を閉じれば、そこにステージが見える。
激しいドラムの振動、心臓を叩くベース、空を裂くギター。
病院の消灯時間は早い。暗闇の中で、ナツミは自分の心臓の音をリズム代わりに、新曲のメロディを口ずさんだ。
《目に映るもの 全てが夢の欠片に見えた》
「……そうだ。欠けてるからこそ、繋ぎ合わせたくなるんだ」
不意に、ナツミの頬を涙が伝った。それは死への恐怖ではなく、こんなにも美しい「生」の音が自分の体の中に流れていることへの、震えるような感動だった。
立ちはだかる「愛」という壁
そこへ、ナツミの母親と主治医が入ってくる。
「ナツミ、もういい加減にしなさい」
母親の目は赤く腫れていた。机の上の楽譜を片付けようとする手に、ナツミは思わず力を込める。
「お母さん、これだけは……」
「音楽があなたを殺そうとしているのよ! ライブなんて、もう二度と許可できません」
主治医も静かに告げる。「次の発作が起きれば、歌うどころか……。ナツミさん、君にとって一番大切なものは何ですか?」
「……命です」ナツミは真っ直ぐに答えた。「だから、歌わなきゃいけないんです。歌わない私の命には、何の意味もないから!」
窓の外の共犯者たち
一触即発の病室。その時、窓の外から微かな音が聞こえてきた。
コツン、コツン。
3階の病室の窓に、庭からリンが小石を投げている。
ナツミが窓の下を見下ろすと、暗闇の中で4人がスマートフォンのライトを掲げていた。
それは、暗い海で航路を示す灯台のようだった。
「ナツミ! 私たちの曲、サビの歌詞を変えたよ!」
カノンがスケッチブックを掲げる。そこには、力強い筆致でこう書かれていた。
『Dream of Life――生きることは、歌うことだ』
「……っ」
ナツミは母親を振り返り、涙ながらに、けれど晴れやかな笑顔で言った。
「ごめん、お母さん。私、最高のバンドを作らなきゃいけないの。それが私の『治療』なんだよ」
宣戦布告
翌朝、ナツミは医師にこう告げた。
「先生。私を最高の状態でステージに送り出すためのメニューを組んでください。それなら、どんな苦しい治療でも受けてみせます」
病院を「檻」ではなく「充電期間」へと変える。
ナツミの逆襲は、ここから加速していく。
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