第3話 人を傷つける刃のような言葉

 ――一度、現状について整理しようと思う。


 玲蘭の記憶によると、この世界は、葉月が生きていた現代よりも、ずっと昔の時代にあるらしい。けれど、月華国という国名に聞き覚えはなかったから、空想上の国なのかもしれない。

 その月華国の後宮に玲蘭はいた。


 とはいえ、玲蘭としてこの世界に生きるようになって以来、一度も皇帝の姿を見ていないので、愛情と位は関係がないのかもしれない。

 葉月の生きる現代でも、仕事の出来と地位は関係ない。周りを上手く使う人や、コネのある人が昇進したり、上役となることもある。今も昔もその辺りは変わらないのだろう。


 後宮ということを考えれば、玲蘭の元に皇帝が通わないのは、葉月にとってラッキーだった。いくら夢の中とはいえ、知らない男性と自分――の意識が入った身体が、営みをするところなんて、想像しただけでも吐き気がする。


 吐き気がするのは、玲蘭の周りへの態度も、だ。

 香の知識があるらしい玲蘭は、その知識を悪事に使っていた。そのせいで、葉月がトラブルの処理をすることもあった。


 今も――。


「で?」

「あ、あの、本日、内廷にて珍しい市が立っており……異国のものなどもありましたので、玲蘭様のお気に召すのではないかと……」


 手に持っているのはかんざしのようだ。銀色の花に青い宝石のようなものが埋め込まれていた。とても綺麗できっと玲蘭の髪に挿せば、似合うに違いない。

 違いない、のだけれど。


 目の前で跪く侍女は、可哀想に、肩を震わせている。

 けれど、葉月は今からもっと彼女を怯えさせなければいけない。


 ――ごめん!


 心の中で必死に謝りながら、葉月は受け取った釵を侍女に向かって投げつけた。


「……ひっ」


 釵は侍女の頬に当たったあと、カシャンと音を立てて床に落ちた。

 釵をぶつけられた侍女は、頬を手で押さえながら呆然と葉月を見つめていた。

 その姿に、胸が痛む。

 けれど、今の葉月は玲蘭だ。玲蘭ならきっと、こうするに違いない。

 葉月は小さく息を吸うと呼吸を整え、それから侍女に冷ややかな視線を向けた。


「泣きたいのなら、部屋の外に出なさい。私の前を汚さないで」


 放たれた言葉は、刃のように室内の空気を切り裂いた。

 少女たちは一斉に深く頭を下げる。少しでも口を開けば、次は自分が叱責されると思っているのかもしれない。身動きひとつしない少女たちの姿は、息をすることさえ恐れているようだった。


 俯いたまま釵を掴んだ侍女の手は、血管が浮くほど力が入っていた。

 その姿に、胸の奥で何かがじくりと痛んだ気がした。

 過去に投げつけられた言葉が、見ないフリをしていたかさぶたを破って血を滲ませる――。


 現代に葉月として生きていたころ、職場であるデパートの香水売り場 で主任が、葉月にミスを押し付けようとしてきたあの日のことを鮮明に思い出す。


『あなたがやったんじゃないの? ほら、あなたそういうことやりそうな顔してるじゃない。ふふ、みんなに聞いてみてもいいけど、誰も味方なんてしてくれないと思うわよ』


 あのときと同じだ。笑っているのに、目だけが異様に冷たい。柔らかな言葉の裏に、心を抉るような感情が隠れている。玲蘭は、あの人に、似てるんだ。

 胸の奥がざわつくのを止められない。全身に鳥肌が立ち、自分が玲蘭であることを拒絶したくなる。

 扇を手に取ると、口元を隠した。少しでも、表情を隠すために。


「も、もう下がりなさい。次は、もう少し愉しませてくれるものを持ってくることね」


 どうにか玲蘭を真似て言うものの、声も、扇を持った手も震えていた。

 ただ、この場から逃げ出したい侍女達は、そんなことを気にしている余裕はないようで、逃げるように部屋を去っていった。扉が閉じられる瞬間、安堵したような表情が見えた気さえした。


 音が消えた部屋に残ったのは、薄く漂う香の薫りと、冷え切った空気だけ。

 あんなひどいこと、よく言えたわね。ただでさえ十分傷ついているのに、さらに傷口を抉るようなことを言うなんて最低。


 心の中でいくら玲蘭を罵ったところで、その言葉を投げつけたのは葉月自身だ。


 葉月がゆるりと立ち上がると、長い袖が床を擦る。鏡台の前に歩み寄り、姿見の中の自分を覗き込んだ。

 黒曜石のような髪が滑り落ち、白い首筋に落ちる。瞳は切れ長で、どこまでも冷たい光を宿している。美しい。けれど、その瞳は不安そうに揺れていた。


「……っ、はぁっはぁっ」


 誰かをいたぶることが楽しいというのがどういう心境なのか、葉月には全く想像がつかない。理解したいとも思わない。

 けれど、中身が違うとバレるわけにはいかない。だから葉月はなんとか玲蘭のフリをしようと、せいいっぱい振る舞っていた 。

 

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