本編その後

人形屋の忘れ物

世界中を混乱へ陥れた天災から半年。世界最大の貿易都市レゴラメント。その路地裏を抜けた先にある怪しげな通りを一人の男が歩いていた。


この都市には良いも悪いもあまり関係がない。文化にも資源にも善悪はなく、それを手にした者にのみ善悪という付加価値は与えられているのだから、当たり前と言えば当たり前の話。つまり、言い方を変えればここは世界一発展した無法地帯だ。


『どうやったらあの大災害の後にこんだけ立派に光も影も戻ってくんだよこの街は……』


呆れ混じりに感心の声を溢した男は、路地裏にある暗い地下への階段を降っていく。


その先にある怪しげな扉に男は手をかけると、なんの躊躇いもなく開いた。


『来たぞ人形屋!俺も忙しくしてんだ!くだらねえ用事じゃねえだろうな!』


『お待ちしておりました、ミダス様』


『……まああいつが最初から出迎えはしねぇわな』


ミダスは大きなため息を吐きながらガシガシと頭を掻く。ミダスを出迎えた使用人らしい女性は小さく頭を下げると奥へと歩いて行った。


しばらくして、奥からカツンカツンという硬い杖を着くような音と微かな煙管の香りが漂ってきたことにミダスは気がつくと、そちらに視線を向けてもう一度ため息を吐いた。


『よぅく来たねェ、欲深坊や。久しぶりじゃあないかい?』


『特別ここに顔出してえ用事ねえんだよ。言っとくが人形買う気はねえぞ、チー・ドゥよ』


チー・ドゥと呼ばれた女性はくつくつと笑い、煙管の煙をゆっくりと吐き出す。煙管はそこでちょうど燃え尽きたらしく、チー・ドゥは再び煙管を咥えてすぐに物足りなさそうな顔を見せた。

 

その顔を見るが早いか半歩後ろを歩いていた付き人らしき人間が灰の受け皿を用意し、うやうやしい様子で煙管から落ちた灰を受け取り、新たな刻み煙草の塊を流れるような動きで煙管に詰める。

 

『ありがとねぇイー』

 

ミダスはその様子を見て感心するでもなく、怪訝そうに顔を顰める。

 

異国風の服装、怪しさが人の形をとったような主人に、それに従順に従う使用人。その全てにミダスは見覚えがあったが、それ故にミダスの疑問が消えることはなかった。

 

『……物持ちが随分と良いらしいな、お前は』

 

『商人にとって商売道具は命にも等しいものさ。この子たちもそれをよぉくわかっているだけのことだよ』

 

『大事にしてりゃ、十年経っても見た目が変わらねえのか?』

 

『それは企業秘密というやつだよ、坊や』

 

くつくつと笑うチー・ドゥに、ミダスはこれ以上話を聞こうとしても無駄だと悟り舌打ちを一つしてから息を吐く。

 

ミダスがチー・ドゥに初めて出会ったのは幼少の頃。自分を育ててくれた父親代わりの人間と関わりがあったが故に、その延長線で出会ったのが十五年は昔の話である。それから何度か、年に一度顔を見せるかどうか程度の頻度で出会ってはいたが、ミダスが初めて出会ったあの日からチー・ドゥの容姿は衣類を除いて一切の変化がない。

 

さらに言えば、チー・ドゥの周囲にいる人間、使用人の面々も異質だった。連れている顔は何度か変わっていたが、今回隣にいるイーと呼ばれた女と初めて出会ったのも同じく十五年前。初めに自分を出迎えた女性と出会ったのは七年前程のはずだが、そのいずれもチー・ドゥと同じように容姿の変化がまったくない。

 

『……記憶違いじゃなけりゃだが、最初に出迎えたのはスーっつったか?』

 

『ほぅ?この子たちのことも覚えてるのかぃ?凄いじゃないか、正解だよ』

 

『イー、アル、サン、スーって連れがいたのは覚えてる。ガキの頃遊んでもらった奴もいるしな。わからねえのは全員が俺の記憶と全く変わってねえことだよ』

 

『おやまあ吃驚だ。坊やはあんまり人のことは気にしないと思っていたのに。イーも覚えてるだろう?あの刃物みたいな子供が、今やこんなに立派な坊やになったなんて感動してしまうヨ』

 

チー・ドゥはそう言いながらわざとらしいウソ泣きをして、それをイーがよしよしと慰めるというミダスからすれば本当に何を見せられているのかわからないとしか言えない光景が繰り広げられる。

 

ミダスは少しの間呆れ果てた顔で茶番劇としか言えないそれを眺めた後、特大の溜息を吐いて口を開く。

 

『昔話しに呼びつけたならマジで帰るからな。人売りチー・ドゥ』

 

ミダスの言葉に、チー・ドゥはウソ泣きをピタリと止めて、数瞬の間を空けてからぐにゃりとした笑顔を浮かべて言葉を返す。

 

『もちろん昔話だけじゃあないよ除け者ミダス』

 

『じゃあ頼むから早く本題に入ってくれ』

 

『慌てなさんなぁ。情報交換がしたいのと、とっておきの話が一つあるのサ。奥でアルたちがお茶菓子を用意しているから、少しのんびりしてきんしゃい』

 

『……話し終えるまで帰さないってこったな』

 

『よくできました。いやはや、立派に育って鼻が高いネ』

 

嬉しそうにくつくつと笑うチー・ドゥとは対照的に、ミダスは既に疲れきったような顔で大きなため息を一つ吐いた。

 

チー・ドゥはそんなミダスの様子を然程気にすることもなく『さあ、おいで』と手招きをし、ミダスと付き人のイーはその後を追う。足音に混じる杖を突くような音を響かせながら、人形屋の奥へと人影は溶けて消えていった。

 

 

 

 

 

 

人形屋の奥の部屋、客間として設けられた空間にチー・ドゥとミダスがテーブルを挟んで向かい合って座っている。

 

テーブルの上には美しい芸術品のような茶器に加えて、宝飾品にも見えてきそうなほどに華やかな菓子が並べられていた。ぱたぱたと使用人たちが動き回るのをミダスがぼんやりと眺めていると、不意にミダスに声がかかる。

 

『お茶をお入れします。ミダス様』

 

うやうやしく頭を下げた使用人の一人は、見た目には十歳かそこらの少女だった。年齢のわりには随分と礼儀正しく、落ち着いているように見えたが、その表情からは微かに緊張が伝わってきている。

 

ミダスは一瞬面をくらったように固まったが、すぐに平静を取り戻しその少女の顔を少しの間見つめる。

 

『……新顔か?』

 

『はい。リューと申します』

 

『そうか。一応言っとくが、俺相手にゃ緊張せずにやっていいぞ』

 

ミダスの言葉にリューと名乗った少女は一瞬嬉しそうに顔をほころばせる。その直後にチー・ドゥの横に佇んでいるイーから『リュー』と静かに名を呼ばれ、リューははっとしたように元の緊張感を感じさせる真面目な顔つきに表情を戻した。

 

ミダスは肩をすくめて『厳しい教育方針なこった』と言いつつ、紅茶が注がれるのを眺めてからリューに礼を言う。

 

『こらこら、甘やかさないでおくれ坊や。と言っても、坊やのこわ~い顔じゃ小さいリューは嫌でも緊張してしまうだろうケド』

 

『うるせえよ。つか、人増やして接待教えて……人形屋の次は茶屋でも開くつもりかあんた』

 

『まさか。商売に所作は大切ってだけの話』

 

『はっ。奴隷商が所作を説けるんだからこの街はさすがだな』

 

ミダスの嘲るような言葉に、チー・ドゥはやれやれと言うように大きく煙管を吸ってからたっぷりと煙を吐き出す。わざとらしく悲しそうで、心外だということを伝えようとしている表情のままチー・ドゥは煙管でミダスを指すようにして口を開いた。

 

『何度も言っているけどね坊や。うちはホワイトな奴隷商なんだよ?十人売ったら六人からはお礼の手紙が返ってくるほどのね』

 

『残りの四人は?』

 

『買われた品物にこだわってちゃあ商人なんてやってられないだろう?』

 

『結局俺にどう思われてえんだよお前は』

 

ミダスの返しにチー・ドゥはケラケラと笑い、それをイーが窘めて落ち着かせる。

 

こんなやり取りをミダスはチー・ドゥに会うたびにしているが、彼女のことをよく知るミダスからすると面倒ではあっても不快ではない、むしろ心地の良い時間とすら言えた。しばらくの間、なじみ深いやり取りを繰り返した後、チー・ドゥが煙管の種を交換した瞬間に空気がスッと変わる。

 

『さて本題に入ろうか坊や。私が聞きたいのは処刑台の魔女についての話だ』

 

『件の魔女集団か。確かに少しは関わったが、俺よりあんたの方が詳しそうなもんだが』

 

『先の天災でもそれらしき姿を見たって話が多くてねェ。まずはそれが事実かが気になってるんだケド』

 

魔女集団・処刑台の魔女。現状は噂話の類とされており、規模どころか実在すらあやふやな集団とされている組織の名。大半の人間はそれを噂話としか捉えていないが、ほんの一握りの人々はその噂の輪郭を掴み始めている。

 

この組織は各地で迫害や差別、あるいは孤児や捨て子など、表社会では生きていけなくなった魔法の才に溢れた者たちが身を寄せ合ったことが発足の発端となったものだ。組織化したのはおそらく最近で、魔導国家に引けを取らない魔具や魔法知識が裏社会の一部で処刑台の魔女によって流通している。

 

魔女の力を有する者、強力な魔具や魔法を操る者などが多数所属しているとされ、その中でも戦闘技術や能力に長けた者が徐々に表へと露出し始めている。先の天災でも、実際に未確認の魔女や魔具が観測されたとの報告が世界各地でされていた。

 

『天災の時は直に見たわけじゃねえが、おおよそ事実で間違いねえだろうな。あれの魔法技術は実際相当なもんだった』

 

『坊やも接触したことあるんだろう?どんな奴に会った?』

 

『でかい三角帽子を被った錆色の魔女。見た目は少しやつれてたが、ありゃたぶん二十かそこらくらいだろうな』

 

『鉄錆の魔女……こちらと同じだねェ。彼女はたまに粗悪品とか調製品を主に買いにきてたかな』

 

『その商品からの手紙は?』

 

『もちろんないヨ。期待もしてないネ』

 

ミダスは『だろうな』と言って紅茶を口に運びながら考えを巡らせる。

 

おそらく、あの魔女の奴隷の調達は人手不足や使用人が欲しいからではなく研究材料が欲しいからだろう。薬や毒だけではなく、兵器、魔具、魔法の術式など魔法使いが研究するものは多岐にわたるが、人間が使い、人間に使うものは人間で試すのが最も正確で手っ取り早い。

 

当然正式な場では人体実験はほぼ全面的に禁止されているが、人間を金で売買するような裏の社会でそんな決まりなど、初対面の人間との口約束よりも信用できない。それはミダス自身も、チー・ドゥも長く同じ世界に身を置いていた分よく理解している。

 

『ま、そんな話はよくある話さね。気になってるのは別のこと』

 

『別の?』

 

『……処刑台の魔女の、記憶に残らない者に覚えはないかい?』

 

チー・ドゥの質問にミダスは首を傾げる。

 

『記憶に残らねえなら覚えてるわけもねえだろ』

 

『慌てなさんな坊や。奇妙な体験と言い換えてもいい。身に覚えはないかい?ついさっきまで、絶対に誰かと何かを話していたのに、その一切を思い出せないような体験に』

 

ミダスは黙り込み、しばらく考えてから再び口を開いた。

 

『……悪いがやはり身に覚えはねえな。あんた程の人間がそうなるってことを踏まえると俺はその体験すら覚えてないって可能性もあるが』

 

『そうか……いや、大丈夫だよ。ありがとう坊や。それに、坊やはイーたちのことも覚えてたし、記憶力には自信をもって良いだろうさ』

 

『どーだか。興味ねえとすぐ忘れちまうからなぁ』

 

そう言って若干照れくさそうに頭を掻くミダスを見て、チー・ドゥは『もしもその理由で忘れられる程度なら気にしなくてよさそうだ』と言ってケラケラと笑う。

 

ひとしきり笑ってから、チー・ドゥは『ふぅ』と煙を吐くと、まだ煙が昇っている煙管を灰皿に置き、手を組んでミダスを見据える。その目は先程までの真面目さとはまた異なる、人形屋としての目であるとミダスは知っていた。

 

『さて、もう一つの本題だ坊や』

 

穏やかだった空気が全身を刺すような重圧へと一瞬で変貌する。

 

この欲望が全てを支配するような街で、長く大きく裏の商売を続けてきた者が見せる本性とも言うべく独特な圧力と気迫に、ミダスはほぼ無意識に唾を飲み、姿勢を少し正してチー・ドゥの言葉の続きを待つ。

 

『龍狩の血が生んだ最高傑作、血衣姫の遺産に興味はないかい?』

 








血衣姫とは、傭兵などの戦争屋の間で一時話題に上がったとあるはぐれの傭兵の呼び名だ。

 

金の髪を振り乱し、身の丈を越える大鎌で敵を叩き斬る。吹き出た鮮血を笑いながら浴びて、彼女の通り道と彼女自身が真っ赤に染まるその様からついた異名。その名を引っ提げていた女のことをミダスはよく知っている。

 

『……なんで俺にだよ。モノが何かは知らねえがもっといい取引相手いるだろ』

 

『人形屋を甘く見ちゃいけないよ坊や。あのお姫様が流れ着いたのは坊やのとこだろう?』

 

『……なら質問を変えるが、アレの遺産をなんでお前が持ってる?そしてその遺産ってのはなんだ?』

 

チー・ドゥは『まあそう慌てなさんな』と言ってぱんぱんと手を鳴らす。少ししてから使用人の一人がいくらかの書類と何らかの容器を持って机の前まで来る。書類がミダスの方に無言で渡され、ミダスはその書類に軽く目を通した瞬間に目を見開いた。

 

そんなミダスの様子とは対照的に、チー・ドゥ煙管を吸い、リラックスした様子で煙を天井へ向けて吐き出してからゆっくりと話し始める。

 

『順を追って説明していこうかね。遺産の内容はその書類を見ればすぐにわかるだろうが、坊やは経緯の方が気になるだろう?』

 

『気になってんのは真偽のが先だ……!あいつもあいつでなんつーもんに加担してやがる……!?』

 

『真偽かい?ふぅん、まあ、騙すつもりじゃないからそこはさっさと見せてあげようかね。サン、見せておやり』

 

チー・ドゥがそう言うと、書類を持ってきた使用人サンが容器に被せていた簡素な布を取り払う。容器は透明な筒のようなもので、中身はうっすらと色の付いた液体で満たされている。そしてその中に、小さな何かが漂っているのがミダスの目に映った。

 

それは大人から見れば小さいが確かに人の形をしていて、原理はわからないが容器を満たしている液体の中でも生命活動を続けているらしい。自分にも血の繋がった子がいる故に、見間違えるはずもない容器の中に浮かぶ幼児の姿にミダスは思わず『マジかよ』と声を溢す。

 

『さて、あらためて説明するよ坊や。龍狩が奴隷商から見れば金銀財宝も霞む垂涎もののお宝って話は知ってるね?』

 

『戦争の道具に力仕事、ボディーガードや荒事にと引っ張りだこだもんなあの血族は。実際うちでもご指名は多かった』

 

『そういうことさネ。ついでに希少ときたもんだから、まあ~とにかくなかなかお目にかかれない。おまけに捕まえようにも彼ら、名前の通りに竜種でも敵わないような連中だしね。売る側も買う側も滅多にお目にかかれないレア物ってワケ』

 

まともな世界に生きていた人間なら、これだけで気分が悪くなるような内容の話だが、ミダスもチー・ドゥも顔色一つ変えることなく、まるでごく一般の世間話のような調子で話し続ける。

 

『ではここで問題デス。希少なもの、特に生き物でそれを増やそうとした時に最も手っ取り早いやり方はなんでしょ~う?』

 

『……おい、さすがにちょっと想像したくねえぞ』

 

『はい多分坊やの想像でせいか~イ。手元で繁殖させるのが手っ取り早いってわけネ』

 

ここでミダスがさすがに顔を歪める。人間を本当に家畜同様の目線で見ることができる人間というのはそう多くない。例えばいつ、どんな時代でも性奴隷の類は需要があるということ自体は理解できるが、人間を増やすためにそれを使うことを考える者は少ないだろう。

 

人間を手元に置いて労働力にするのではなく、愛玩による性欲の発散や快楽を求めるのでもなく、ただ純粋に商品の生産という観点でだけで同族を見ることができるのはある種の人売りの才能と言える。

 

『ただやっぱり問題があってね。そもそも人間は増えるの遅いし、育つ時間もあるし、十ヶ月くらい待って運が良くても一、二体となるとどーやっても採算がつかないワケ』

 

『お前の倫理観の問題にはあえて触れねえが、そもそも増やすための素も調達できねえだろうしな』

 

『そーいうこと。つがいを捕まえるのは難しい。混血でも普通の人間と比べりゃ相当良い値はつくけど、彼ら手足もぎ取っても体のどこか残ってれば普通の人間くらい殺せちゃうだろうからネ。穴に入れた棒が中で潰されたとか聞いても驚かない自信あるヨ』

 

『困っちゃうネ』とチー・ドゥはおちゃらけた様子で降参のポーズを取り、ミダスはそれを見て隠す様子もなくげんなりとした顔をする。

 

『と、まあそんな調子で困り果ててたお人形屋さんのとこにある日、あの血衣姫が転がり込んできたのさ』

 

『そんときゃ俺の買ったもんじゃねえし文句はねえが、何をしに転がり込んだんだよあいつ』

 

『ちょっと派手に怪我をしたから身を隠せる場所が欲しいって言われてねェ。願ったり叶ったりと思って条件一つで快諾したよ』

 

『その条件ってのがそれか』

 

ミダスは幼児が漂う容器を指さして、チー・ドゥに問う。

 

並大抵の人間ならば、竦んで声も出せなくなるような威圧感と共に投げかけられた問いだったが、チー・ドゥは顔色一つ変えることなく、変わらない調子のまま話を続けた。

 

『そう。命魔法にはこっちもそれなりに詳しいからネ。その筋のヤツと共同で胎児……というか卵の状態で母体の外に引っ張り出して、容器でそのまま育てる栽培式生産。それへの協力と試験っていう条件の結果がこの子』

 

『まああいつならそんくらい気にしねえわな……』

 

ミダスはスライが男女も問わずメンバーを口説こうとしていたことや、夜遊びが激しすぎて余計な厄介事を引っ提げて戻ってきたことなど、ろくでもない記憶を思い出して深いため息を吐く。

 

その時、その瞬間以外にはほとんど頓着がなく、破滅的とも言える快楽主義者。それこそがスライ・アンシーリーというかけがえのないろくでなしだった。

 

『実際気にしてなかったよ。けど、だからこそ坊やのとこに住み着いたって聞いた時は吃驚したねェ。あれは彷徨い続ける獣だと思ったから』

 

『どういう意味だよそれ』

 

ミダスが聞き返すと、少しだけ悩んだ後にチー・ドゥは少し真面目な顔つきに戻って口を開く。

 

『……龍狩は人より獣に近いとアタシは考えてる。彼らは血に飢え、命の奪い合いに生き、世界にすら縛られない。けどその一方で、人間であるが故に飼われることを是としている』

 

『そりゃお前が奴隷商だからじゃねえか?』

 

『普通なら商品にできないよあんな怪物。アタシも今までいくつか龍狩は取り扱ったけど、全員が不思議と反抗しようともしなかった。と言っても反抗しない人は選んでるんだろうし、同業者で頭を果物みたいに潰された奴だって見たことあるけどサ』

 

『にしても、飼われることを是とするってのはわからねえが……人間だろ、あいつらも』

 

『居場所が欲しいんだろうさね。人でもなければ魔物でもない、恐れられ、奇異の目で見られ、それがずっと続くんだから。形はどうでも自分を受け入れてくれる存在に飢えていく。人間なんて特にそういうもんさ。その最たる者みたいな血衣姫が懐いた坊やにだからこそ、ちょいと話してみようと思ったんだ』

 

ミダスは少し唸って考え込む。

 

スライは確かに気に入らなければどうせ出ていくだとか、犬と飼い主みたいなものの方が気楽だろうといったようなことを言っていた。あれが最期、自分たちをどう思っていたのかはわからない。


ただ、ミダス自身スライ本人がこの場所を気に入らないのなら好きにしてくれていいという気持ちも持っていたし、スライを買ったのは役に立ちそうだからの他に、なんとなくここに流れ着いた連中と似たものを感じたからだった。

 

同じ龍狩のソニムも似たような理由でずっと除け者の巣の一員として残っている。ソニムは他人嫌いで不愛想だが、不思議と面倒見がよかったり周囲に好かれていたり、ソニム自身としてよく慕われている。文句は言っているが、あれはあれで嬉しいのだろうという勝手な予感もある。


あの大怪我で傭兵を退いてなお、除け者の巣から離れないのは良い証拠なのかもしれない。

 

『さ、ここで商談だよ坊や。あんた、この子を二百万リルで買い取らないかい?』

 

『得体の知れないガキの面倒を金まで払って見ろってか?』

 

『もちろんうまい話もあるヨ。コレがある程度成熟したら、アタシが三倍の六百万リルで買い戻そうじゃないか。最低限、生きてりゃこの値は変えない。様子を見て色も付けてもあげよう。もちろん買い切って手元に置いても良いケドね』

 

考えるために一瞬口を閉じたミダスに、畳みかけるようにチー・ドゥは言葉を重ねる。

 

『坊やが買わなくてもコレは金の生る木だ。アタシとチーたちで立派な人形には育てるつもり。その場合、坊やはこの話は全て忘れて、アタシと坊やはまた単なる旧知の仲に戻るだけ……この話をするのは今回限りだ。どうする?坊や』

 

くつくつと、人を喰ったような笑みのまま自分を見つめるチー・ドゥを見てミダスは懐かしい記憶を思い返していた。


昔からこの商人は信用の形が酷く怪しいのだ。初めは理解できず、育て親にあんな怪しい奴と話すのは正気じゃないだのなんだのと食って掛かったことがある。今でこそようやく、長い付き合いも加味して最低限の信頼だと理解できるが、自分以外がみたらまず間違いなく信用しないだろう。

 

それに、にぎやかなのは嫌いじゃない。暇になって少しだけ寂しそうな顔をしている龍狩にも心当たりがある。ミダスは大袈裟にため息を吐いて見せてから席を立つ。

 

『二百な。明日用意して受け取りに来る』

 

『おやま。もう少し悩みなよ』

 

『買われたくなかったか?失敗したな人形屋』

 

振り替えることなく出口へと歩いて行くミダスの背を見て、チー・ドゥはやれやれと肩を竦めながら小さく微笑む。そのままミダスが歩いて行き、部屋の出口の戸へと手をかけた瞬間、チー・ドゥがミダスを呼び止める。

 

『坊や。ついでにイーたちのどれかも買わないかい?』

 

チー・ドゥの声に、音もなく六人の使用人が主人の横に規則正しく並ぶ。そのまま微動だにせずミダスを見つめるが、ミダスは少しだけ振り返ってからすぐに踵を返して出口を開けた。

 

『いらねえよ。誰が首輪外してでも帰りてえ家のある犬なんざ飼うか』

 

『それは残念』というチー・ドゥの声と同時に、ミダスが出口の戸を閉める。

 

静まり返った部屋の中に『ふぅ』という吐息の音がゆっくりと溶けていき、煙の香りを微かに残して消えた頃、チー・ドゥはケラケラと天井を見上げて大きな声で笑い出す。


『まったく、良い子に育ったもんだよ。あの濁った目の坊やがねえ』


チー・ドゥは幼児の浮かぶ容器に手を添えると、滅多に見せたことのない優しい眼差しでそれを見つめ、小さく微笑んだ。


『良かったじゃないかクリム。……お前もアタシに、感謝の手紙を送る側になることさね』






後日、とある龍狩の住む家の扉をミダスが叩く。


少しして天を割るのではないかという怒声と、他よりも遅れた産声が響くのはまた別の話。

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エゴエティア・番外 火乃焚むいち @hinotaki61

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