本編三章後

『陽関三畳、花繚之別』




『封楼塔が崩壊した』


そんな報せが、山奥のたたら場なんて辺境にまで飛び込んできた。


知らせを受けて直ぐに俺は酒を、愛弟子は花を携えて、あの陰鬱で陰惨な墓標が突っ立てられた何も無い土地へと向かっていた。


『死体は出てねえようだねぇ』


『助かった……と思っていいんでしょうか』


『わからんなぁ。黒毒の前じゃあ、形の一つも残らねえのは当たり前でもあるからねえ』


『けど、その……腐敗の死体も出てないんですよね?』


『そうさな。俺も良い方向に転んだと思ってる。そう信じてえだけかもしれねえが、悪いことじゃあないさ』


天気は快晴。辿り着く頃には日も沈みきっているだろうが、頭の固いお国の連中が見張ってるだろうことを考えると夜の方が都合が良い。旧友の旅立ちの手向をするにも、こんな野盗か何かのようなことをしなくちゃならないってのは何とも気分が悪い。


『お師匠は、ミリと一緒に居たっていう悪魔の方とお知り合いなんですよね』


『おう。腐敗の方にゃ直接会ったことねえからなぁ。まあなに、旧い付き合いってやつさ』


『良い人だったんです?』


『いや、馬鹿みてえにおっかねえ奴だった』


愛弟子スフィリの『ええ……』という声に笑いながら、旧友の事を思い返す。友人といって良いのかわからない程度にしか話したことはなかったが、俺は少なくとも勝手に友人だと考えている。いや、あるいは同情したという方が正しいのだろうか。


どちらにせよ、俺にあの黒い毒が言った言葉は未だに忘れられないままだ。


『まあ、おっかねえ奴だが悪い奴じゃあねえのさ』


『お師匠がそう言うなら、そうなんでしょうね』


俺たちは笑いあいながら、それぞれの友の思い出が染みた土地へと歩いた。



──時間帯は深夜、俺たちはほとんど歩き通しで山を降り、禁足地と呼ばれる不毛の地まで辿り着いていた。ここまで来れば、封楼塔はもうすぐだ。


『ここは本当になんにもないですね』


『そうさな。死の大地なんて呼ばれるようになって久しいぜ』


『ここ、実際のところ何かあったんですか?普通あり得ないですよねこんなの』


『遥か昔に黒い毒、俺の旧友がここら一帯を呪い殺しちまったのさ。とんでもねえだろ?』


『お師匠たまに御伽噺みたいな話を平気でしますよね』


『おいおい、こいつぁ嘘じゃあねえぞ』


可愛い愛弟子は『はいはい』と生返事をしながら、俺の少し前を歩いていく。そんな様子に溜息を吐きつつ、その後ろ姿を見て苦笑した。


人間と俺たちは時間の長さが違う。俺にとっての『遥か昔』が、スフィリにとっては『御伽噺』になってしまう。ああやって前を走っていって、いつの間にか俺には見えないところに行ってしまうのだろうと考えると無性に寂しくなった。


友人は口癖のように『人は前に進むもの』と言っていたが、俺としては隣にいてくれた方が嬉しいように感じてしまう。あいつがその結論に達した理由は、俺よりも長く生きていたからなのか、はたまた"二度目に辿り着いた"からなのかはわからない。なんにせよ、あいつは俺よりも相当人間が好きで、相当優しい奴だったからこその言葉だったのだろう。


『…‥こんな日にこんな場所だと、感傷的になっちまっていけねえな』


『お師匠?遅いですよ!衛兵いたりしたら面倒だから急ごうって言ったのお師匠でしょ!』


『おーうそりゃそうだ。だがそこまで急足じゃなくてもいいぜおじょーさま』


『何をまた適当いってんですかー!』


『お前さんは師匠に対して遠慮がないねぇ……』


変わらぬ様子の愛弟子を見て、暗い思考を振り払い、先行く背中の横に並ぶためにと足を急がせた。






封楼塔。正確にはその跡地には、瓦礫の山と無数の武器が打ち捨てられたかのように散乱していた。明らかに何かあったのだろうが、調査も何も進んでおらず、おそらくここよりも住人が全滅したらしい近場の街の対処の方にお国は忙しいのだろう。


『本当にめちゃくちゃになってる……』


『何かあったのは間違いねえが……何があったかはわからんね』


『やっぱり、死んじゃったのかな……』


俺は灯りを瓦礫の山へと向け、様子を見る。瓦礫の表面には爆破の焦げ跡や刃物で引っ掻いたような傷がある他に、ところどころに溶けて崩れたような痕跡がある。


『……死体が出てねえのに瓦礫やら武器やらが残るのは考えにくい』


武器の使用者が強襲者だとして、この強襲者に腐敗やあの銀髪が殺されたのだとしたら、おそらく死体が残っている。黒い毒に強襲者が殺されたのだとしたら、その死体が残っていないのは納得するが、あいつはおそらく腐敗を形も残さず殺すような真似はしない。


希望的観測かもしれないが、俺は両方とも生きているか、少なくとも腐敗はどこかで生きているのではないかと思う。そう考えながら、瓦礫の山を照らしながら見回していると、瓦礫の影に隠されるように、少しだけだが片付けられたように見える部分があった。


『こいつぁ……』


スフィリに声をかけ、自分の方へと手招きする。駆け寄ってきたスフィリは『これって……』と呟いてから、小さく笑みを溢した。


『……どうやら、悪い結末ではなかったらしいねえ』


『そう、みたいですね』


そこにあったのは、石片で作られた簡素な墓標だった。名は刻まれておらず、供物ものも一つもない。ほんの数日のうちに、おそらく瓦礫ごと撤去されてしまうであろう粗雑な墓標。


名の代わりに刻まれていたのは、感謝と旅立ちの言葉だ。


『お師匠、お姉は……ミリはまた笑えるでしょうか』


『さぁな。人の機微なぞ俺にゃとんとわからん。だがまあ……願うのは自由だ』


『じゃあいつかうちが叶えられるようにって願っときます』


『はっはっは!主張の強い願い事だねぇ』


スフィリは『いいじゃないですか好きに願って』と頬を膨らませる。俺はその頭をポンポンと叩き、スフィリがそれを軽く払いのけてから、再び墓標に目を向ける。


『お師匠の友人は……』


『この墓が手向だろうさ。なぁに気にすんな。俺たちみたいなのは生き死により大事なもんがあるもんだ』


『そんなもんですか。うちは寂しく感じちゃいますけど』


『残されちまった側は寂しいかもなぁ』


小さな墓を見下ろしながら、きっともうどこにも居ないのであろう友人へと思いを馳せる。あれは本当に恐ろしく、不器用で、優しい呪いだったと思う。


一つ目の生まれだからだろうか。あるいは生来の気質なのだろうか。はたまた、凡ゆるものを呪い続けたからなのだろうか。その真相はもはや誰にもわからない。この墓標の下には死んだ大地があるだけで、彼はもうどこにも居ないのだから。


『……献花と供物をしてやるつもりだったが、やめにしようスフィリ』


『へ?でも持ってきたこれどうすんですか?それにお師匠の友人さんのお墓は……』


『いやなに、アレの愛娘の旅立ちの場所でしんみり垂れてたら呪い殺されちまいそうだからねぇ……。これなら祝い品でも持ってくるべきだったかもしんねぇな』


言いながら、小さな墓標をひょいと拾い上げ、荷を包んでいた袋に壊れないように仕舞い込む。


『処分されちまわないよう持ち帰らせてもらおう。悪いねえ黒毒、お前さんは怒るだろうが、死人に口無しということで許してくれよ』


『え、ちょっとそれ持って帰るんですか!?』


『俺たちの終わりに形が残ってるのは珍しいからよ。万物はいずれ有形から無形になんて言うが、俺ぁ残せる形は残してやりてえ主義だ。それに、この下にもこの中にも、あいつは居やしねえからな』


『まーた屁理屈言う!まあ、確かにどうせここに置いといたら無くなっちゃいますけど』


『そうだろうそうだろう?だったら俺が小さく祭壇でも作って、たまに気が向いた時に何か供えてやる方がいいってもんさ』


思いなんてものが場所に留まるとは思っていない。死後の世界だとか、願えば叶うだとか、そんなものは無慈悲な現実が生み出した幸福な幻想にしかすぎない。それは長く生きていれば阿呆でもわかる。


この墓標も所詮は文字の刻まれたただの石で、この場所もただの壊れた廃墟でしかない。それでも、心というやつに理屈が勝てないことというのは往々にしてあるものだ。


『いつかお前さんの友人が戻った時に、形あるものが残ってるのも悪くないだろう?』


『戻ってくるかもわかりませんけどね!ま、今回はお師匠に賛同しておきます』


『師匠のやる事にケチつける回数のが多い愛弟子にしちゃ珍しいねぇ』


『お師匠が毎回おかしなことばっかするからですよねそれ』


『はっはっは!手厳しい愛弟子だなぁ!』


結局、俺たちは墓標を持ってその場を後にした。


お前はきっと、最悪な気分の生涯を歩んで、最後の最後に少しだけ幸せというやつを味わえたんだろう。俺たち呪いは望まれた形でしか在れないと言っていた癖に、ずいぶん立派なもんだとまで考えて、無意識に笑ってしまった。








『お姉がいつか戻ってきたら渡せるように、髪飾りを作ってあげたいんです』


帰路、スフィリが唐突にそう溢した。


『ほう、いいじゃねえの。どんなのにするんだぃ?』


『お姉、花が好きだったんです。自然の花はいつか枯れちゃいますけど、作り物の枯れない花なら、何があってもきっと残ってくれるかなって』


『そりゃいい。良いもん作ってやれるようにしねえとな』


『はい!』と意気込む愛弟子を見て、ふと一つ思い出す。


『……なあスフィリ、悪いが二つ飾りを作ってやっちゃあくれねえか?』


『へ?いや、全然作りますけどどうしてですか?』


『いやなに、あいつも花が好きだったのを思い出してねえ』


遥か昔、たまたま機嫌でも良かったのか、あるいは何かあって感傷的だったのかは知らないが、そういう話をしてくれたことがあった。


満開の桜でも、一面の花畑でもなく、深く光の届かないような暗い森の中、そんな中で一輪だけ、静かに佇むように咲き誇る小さな花。そんな花が好きだとあれは俺に語ったのだ。


『へえ!お姉とはそこでも気が合ったんですね!どんな色の花が好きとかは?』


『そこまでは聞いてねえなぁ……けどまぁ、そうさな……』


暗い森の中で、静かに咲き誇るその花の色は、きっと何よりも明るく、闇夜すらものともしない花なのだろう。


『……白い花が良いな。あいつにゃ花飾りなんぞとんと似合わんだろうが、朽ちない花だと押し付けてやろう。かっか!どんな顔するかねえ』


きっと、あれは心底怪訝な顔をするだろう。


それを見ることができないのが、少し残念だ。

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