本編一章後
思い出と朝露
日の昇らない、明かりのない朝。いつからか私にとって当たり前になったそんな朝に、今日も私は目を覚ます。
『……人の家でもこれは変わらないかぁ』
アモンの襲撃後、私が寝泊まりしていたギルドが跡形もなく消し飛んだため、エンシア家に居候させて貰っているのだが、寝床を変えたくらいではこの最低な朝が変わることはないようだった。正直、もう慣れてしまったが、それでも良い気分ではないのは確かだ。
ダンタリオンは今日はゆっくり寝てるようで、私の寝ているベッドの横に敷かれた布団で寝息を立てている。こういうところだけ見れば、あの腹立たしい悪魔も普通の子供に見える。願わくばもうずっとそのまま大人しく寝ててほしいなんて思いながら、私は音を立てないようにベッドから出る。
『水か何か貰いに行こう……』
誰かを起こさないよう、ゆっくりと部屋を出て、階段を下る。そういえば、誰かがいるからなんて気を使うのは久々かもしれない。いつもこの時間は一人だし、なんだか新鮮なような、懐かしいような気分になりながら、私はキッチンへ向かった。
一階のリビングに出ると、ダイニングの方の明かりが付いている。誰かしらが消し忘れたのかと思ったが、そこには一つの人影があった。
『フルーラさん?あれ、起こした?』
『あら、クリジアちゃん。起こされてませんよ。たまたま起きてたんです』
フルーラさんは『おはようございます』と笑う。普段は結んでいる髪を下ろして、緩いワンピースのような服を着ている姿は、私からすると結構珍しい。
『温かいお茶でも飲みますか?』
『え、あー……じゃあ、貰おうかな』
『用意しますね。座って待っててください』
完全に一人だと思っていた故の、妙な気まずさに苛まれながら、私は言われた通りに椅子に腰を下ろす。かちゃかちゃと食器やカップの音が鳴り、それを聞きながら、何をするでもなくフルーラさんがお茶を用意してくれるのを待つ。こんな時間の過ごし方に、懐かしさを感じていた。
小さい頃、俗に言う貴族だった私は、ほとんどは使用人が作る料理を食べていたのだが、たまに母様がお菓子や簡単な手料理を作ってくれる時があった。その時も、私は席に座って、母様の背中を見ながら、音や匂いに心を躍らせて完成を待っていた。もう遠い記憶だが、案外鮮明に覚えているものだ。
『お待たせしました。熱いので気をつけてくださいね』
『ありがと、母様』
言ってからハッとして、フルーラさんの顔を見る。フルーラさんはキョトンとした顔で、自分の分のお茶を乗せたままの盆を持って固まっていた。私は一気に気恥ずかしくなって、手で顔を覆う。
『間違った……』
『ふふ、びっくりしちゃいました』
『あーもう!忘れといて!朝だからぼんやりしてたんだって!』
露骨な照れ隠しをする私を、向かいの席に腰掛けたフルーラさんはクスクスと笑って見ている。私はさらにいたたまれなくなって、淹れてもらった紅茶を口に運ぶが、熱くてほとんど飲めずに机に戻した。行動の全てが恥ずかしさを助長している気がして、より一層気恥ずかしくなってしまう。
『いや、似てたんだよちょっと』
『クリジアちゃんのお母さん、どんな方だったんですか?』
『私の母様?』
フルーラさんが『答えたくなかったら無理しないでくださいね』と、少し慌てた様子で付け加える。実際、普段はあまり家族の話はしないし、良い悪いで言えば最悪の思い出にも関わってくる部分だ。普段なら、私も話すことはしなかったと思う。
『……良い人だったよ。こう、なんていうか、本当に優しい人って感じで』
ただ、今朝は少し、面影がチラついて、懐かしい人のことを思い出したくなった。
『実際フルーラさんにちょっと似てるかも』
『私にですか?』
『うん。おっとりしてる感じとか、あと怒ると怖いとことか。髪は私と同じで銀髪だったけど、目も赤色でさ。改めて考えると本当に似てるとこ似てるや』
母様は、柔らかくて温かい人だった。側にいると安心する、そんな人。フルーラさんも近いものがあるので、どことなく面影が重なるのだろう。まあ、この人はそれ以上に不思議さが勝つところもあるけれど。
『クリジアちゃんの右目と髪はお母さん譲りなんですね』
『そうだね。って言っても髪はみーんなこの色だったから父様かもしんないけど』
そういえば、父様はよく私を母様にそっくりだと言って撫でてくれていた。私はそれが嬉しくて、よく使用人の人たちに自慢していた気がする。あまり愛想の良くない父様が、その時は特に笑ってくれていたのも、幼い私は嬉しかったのだろう。
『……父様は似てる人っていないかもなあ』
『ミダスさんに似てたりはしないんですね』
『ミダスさんは表情しっかり動くじゃん。父様はこう、基本的には無愛想っていうか……笑うと珍しがられる感じだったよ』
『あら、厳しい方だったんですか?』
『いや、優しかった。単純に顔が固いんだよ、多分ね』
話してて、自分でおかしくなって少し笑ってしまう。フルーラさんもそれに釣られるようにして笑った。本当に父様は表情が固くて、母様にもよくもっと笑ってとかいじられていた。今の私が父様に会ったら、私も同じようなことを言うだろう。会うことができるのならだが。
『ミダスさんが寡黙になったら父様に似てるかも。あはは!』
『ミダスさんが寡黙になったら今よりもっと怖がられちゃいますよ』
『それもそっか。父様、顔つきはミダスさんより優しかったからね。兄様も父様に顔つき似てるって言われてたけど、怖くはなかったし』
『お兄さんもいたんですか』
『うん。良い兄様だったよ。結構カッコ良かったし、優しくてさ』
兄様は私の4つ上くらいだった。俗に言う才能人の類で、いろんな大人に可愛がられていたのを覚えている。そんな兄様がいることが私も幼いながらに自慢で、自分でも自覚があるくらいには兄っ子だったと思う。
私はよく、兄様に手を引いてもらいながら、いろんなところに連れていってもらっていた。家の中を探検したり、近くの森に入ったり、ご近所さんのところに一緒に行ったりと、どこに行くにもほとんど一緒にいてくれた。そんな可愛いかった妹は、今や人斬りの傭兵になってしまっているのが、正直未だに申し訳ない。
『今の私見たら引くだろうなぁ皆……』
『どうでしょう、褒めてくれるかもしれませんよ?』
『まさかぁ、人斬りの人でなしだよ?』
『しっかり生きてるじゃないですか。大丈夫、人でなしは家族の話で泣いたりしませんから』
フルーラさんに言われて、はじめて自分の頬に水が伝っていることに気がついた。どうやら随分とセンチメンタルな気分になっていたようだ。朝というのはこれだから嫌いだ。
『子供が可愛くない親はいない、なんてことは言いませんが、きっとクリジアちゃんのご家族はクリジアちゃんのことが大好きでしょうから』
『ごめん今あんまりそういうこと言わないでもらっていい?恥ずかしいから』
思い出が頭の中を走っていく。暗い話も腐るほどあるが、そういえばこんな明るい話もいくつもあった。思い出したら辛くなりそうで、無意識に触れないようにしていたのかもしれない。その答えは自分にもわからないが、家族で笑って過ごした時間は確かにあって、それをちゃんと思い出したのは本当に久しぶりだったのは確かだ。
『私は、自分の親の顔も名前も覚えていませんから。クリジアちゃんはそれを大事にしていくべきだと思いますよ』
『も"〜うるさいよ!わかってるよ!!』
私はしばらくの間、机に突っ伏して、袖をいくらか濡らして呻いていた。多分、紅茶が熱くて火傷でもして、舌が痛かったのだろう。そういうことにしておこう。
『あれ?』
『起きたか、なんでこんなとこで寝てんだお前』
顔を上げると、ダイニングには朝日が差し込んでいて、目の前には冷め切った紅茶と、眠っているフルーラさんがいる。それをいつの間にか起きてきていたミダスさんがリビングのソファに座って見ている状態だ。わりと起きてきてから時間が経っているのか、ミダスさんが持っている情報誌のページが半分くらい進んでいる。
『いや、なんかフルーラさんと話してて、そのまま寝落ちしてたみたいっすね……』
『だからフルーラもそこで寝てんのか……』
ミダスさんが少し呆れた様子でため息を吐く。当事者の私からしても、ミダスさんと同じ反応をしたい状態ではある。泣き疲れて寝たなんて、泥酔しててもやったことがない。幸い、泣いてたこと自体はミダスさんにはバレてなさそうだが。
『よく寝れたか?』
『え、あー……まあ、そうですね。多分最近で一番』
ミダスさんは、視線はこちらに向けず、手元の本を読み進めながら『そうか。良かったな』とだけ言って、自分の時間へと戻っていった。
『……思ったより似てる、かもなぁ』
少しだけ、朝のことが好きになれたような気がする。今日はそんな朝だった。
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