# **【境界線上のソウルギア】第3話『痛みの使い方』**

## ◆


ガルドの拳が、腹にめり込んだ。


**——遅い。**


そう思った瞬間には、もう体が吹き飛んでいた。


壁に衝突。

背骨が軋む。

肺が押しつぶされ、呼吸が抜ける。

胃液が逆流し、喉を焼く。


「ッ……が……!」


血が口から溢れ、床に散った。鉄と塩の味。

妹の血と、同じ匂い。


ガルドがゆっくりと歩いてくる。

隻眼が冷たく、どこか悲しい光を宿していた。


「立て」


その一言に、拒否権など存在しない。


足が震える。

それでも立ち上がる。


拳を握り込む。

爪が掌に食い込む。

血が滲む。


《グラウンド・ゼロ》が火花を散らし、

**オレンジの炎が拳を包んだ。**


**熱い。

痛みが、炎になって燃える。**


だが——


「甘い」


ガルドの拳が横から飛ぶ。

視界が回転し、床が迫る。


**頬の皮膚が裂ける。

歯が折れる音がする。

血が霧のように舞う。**


床に叩きつけられる。

口の奥に、鉄の味がじわりと広がる。


妹が最後に抱きついてきた時と同じ味。


(……くそったれ)


拳を床に叩きつける。

《グラウンド・ゼロ》が爆ぜた。

板床が焦げ、熱が散る。


だが、ガルドには一切届かない。


「お前の拳には『意思』がねえ」


ガルドが腕を組むと、銀色の光が全身を包む。

《アイアン・ウィル》。

意志の鎧。


**痛みが装甲になっている。

硬質な輝き。

完全な制御。**


「ただ燃やしてるだけだ。痛みを撒き散らしてるだけだ。」


言葉が、胸の奥の何かを刺した。


「……違う」


立ち上がる。

膝が笑う。

全身の傷が軋む。


胸ポケットから、妹の鉄片を握りしめた。

掌に食い込む。

骨に響く鋭さ。


**痛みが増す。**

それに呼応して、炎が膨らむ。


「妹の痛みを、力に——」


「それが『囚われる』って言うんだ」


ガルドの拳が鳩尾に突き刺さる。


「ぐ……ッ!」


呼吸が奪われ、膝が床に落ちる。

視界が暗く染まる。


「お前は痛みに溺れてる。痛みを浪費してる。」


ガルドがしゃがみ込み、肩を掴む。

その手のひらは、驚くほど温かかった。


**「痛みは燃料だ。だが、制御しなきゃ意味がねえ。」**


隻眼に映るのは、説教でも戦闘指導でもない。


“生きろ”という圧。


「お前の《グラウンド・ゼロ》は、炎を外に逃がしすぎてる。本当は——」


ガルドが拳を握る。

銀光が拳に凝縮する。


「内側に溜めて、圧縮して、一点に叩き込むんだ」


彼の拳が床に触れた瞬間——


**床が砕けた。

亀裂が走る。

空気が震える。**


炎など一切出ていない。

ただの拳だ。

なのに破壊が桁違い。


「痛みを体内で循環させろ。内臓が焼ける感覚を楽しめ。そして——」


ガルドが立ち上がり、言い放つ。


**「拳の一点に、全てを圧縮しろ」**


---


## ◆


もう一度——立つ。


膝が震えようが、息が整っていなくても構わない。

今の俺には、それが必要だ。


拳を構え、妹の鉄片を握る。


掌が裂ける。

血が溢れる。


**痛みが波のように押し寄せる。**


でも——


(逃がすな)


ガルドの声が、脳裏で響く。


**痛みを内側に留める。

巡らせる。

逃がさない。**


《グラウンド・ゼロ》の炎が拳から腕、肩、胸、心臓へと流れ込む。


**熱い。

焼ける。

内臓が悲鳴を上げる。**


「があああああああッ!!」


喉が裂けるほど叫ぶ。


血が口から溢れる。

それでも炎は逃がさない。


体内を巡らせる。

痛みが熱に変わり、熱が力に変わる。


妹の顔が浮かんだ。


血まみれなのに、笑っていた。


「お兄ちゃん……生きて……」


心臓が妙に痛む。

刺すような痛み。

だが、それでいい。


(妹は、俺に生きてほしかった)

(痛みに溺れてほしくなかった)


全部、拳に集める。


**炎が拳に収束し、圧縮され——白く輝いた。**


「来い!」


ガルドが構える。


踏み込む。


**地面が砕ける。**


拳を放つ瞬間、空気が裂けた。


ガルドの拳とぶつかる。


**光が弾ける。

オレンジと銀が混じる。

衝撃波が酒場を揺らす。

棚が倒れる。

グラスが砕ける。**


——ガルドが一歩後退した。


それで十分だった。

俺は膝から崩れ落ちる。


---


## ◆


床に倒れたまま、息を整える。


回復しかけていた傷が全て開き、血が溢れている。


それでも——


胸の奥が、少しだけ軽い。


「……今のが、圧縮か」


ガルドが笑みを浮かべる。


「悪くねえ」


しゃがみ、俺の腕を掴んだ瞬間——


**視界が歪む。**


**知らない景色。

戦場。

炎。

泣き叫ぶ声。

血まみれの少女。

若い頃のガルドの顔——

絶叫。**


「っ!」


視界が戻る。

酒場の天井。


ガルドの顔がわずかに揺れていた。


「……今のは」


隻眼が逸らされる。


「……余計な詮索はするな」


背を向ける。

酒を煽る。


「お前の《グラウンド・ゼロ》は、ただの出力強化じゃねえ。痛みに触れる力だ。他人の痛みにも、な。」


「だから危険なんだ。痛みは伝染する」


ガルドがグラスを置く。


「だが、お前が痛みを制御したら——周りも救える」


そして、静かに続けた。


**「痛みは、共有するもんだ」

「深く、抱きしめることだ」**


その言葉は、傷口よりも深く刺さった。


俺は……

妹の死にしがみついていた。

痛みを武器にしていた。


本当は——

**痛みを抱きしめて、生きるべきだった。**


「……ありがとな」


ガルドが頷く。


「行け」


背を向けたまま、低く言う。


「坊主。

まだ『独りよがり』だ。

だが——」


振り返ると、ガルドが笑った。


「死ぬなよ」


俺も笑う。


「……ああ」


---


## ◆


外に出ると、夕暮れだった。

赤い空。

血の色と同じ。


「お兄ちゃん!」


ミナが走ってくる。

リーナが後ろから追いかける。


ミナが抱きつく。


「血だらけ! 死んじゃうよ!」


頭を撫でる。

血で汚れた手でも、優しく。


「大丈夫だ」


リーナが近づく。

彼女の左腕には深い傷跡。

ケロイドが残っている。


「……それは」


リーナが俯く。


「妹を……守ろうとした時の」


涙が落ちる。


**——リーナも、痛みを抱えている。**


「ごめんね……さっきはひどいこと言った」


「いい」


リーナの手に《メモリアル》が灯る。

優しい緑光。


「これは逃げじゃなくて……妹と生きるための、私なりの方法だから」


光が傷を包む。


「お前は優しいな」


リーナが笑う。

涙が光る。


ミナが横で笑う。


「お兄ちゃん、バカ」


「バカで悪いか」


三人で笑う。

血と涙が混じり、温かい空気が流れる。


**こんな温かさは、妹を抱いた日以来だ。**


リーナが手を伸ばす。


「治療……させて」


少し迷い——

手を差し出す。


リーナの光が流れ込み、

傷がゆっくり塞がっていく。


**痛みは消えない。

けれど、痛みの意味が変わる。**


「ありがとな」


リーナが涙を拭う。


「生きて。

あなたの痛みも、私たちと一緒に抱えるから」


胸の奥で、何かがほどけた。


「ああ。

約束する」


---


## ◆


境界へ向かう。


リーナとミナが手を振る。

俺も振り返す。


——痛みは、俺だけのものじゃない。

ガルドの言葉が響く。


**——でも、抱きしめるのは俺だ。**


拳を握る。

妹の鉄片を胸ポケットにしまった。


(お前に頼るんじゃない……俺が生きる)


《グラウンド・ゼロ》が灯る。

**オレンジの炎。

だが今は違う。**


**内側で燃え、圧縮され、制御されている。**


拳が温かい光で包まれる。


境界の光が揺らめく。


レイヴンが立っていた。


銀色の《アーク・イグジス》。

冷たい青の目。


「来たか、アッシュ」


「ああ」


レイヴンが装甲を展開し、言った。


「お前の妹の死は、無駄だった」


拳が震えた。

怒りがこみ上げる。


だが——


(違う)


一歩前に出る。


「妹の死は、無駄じゃない。

妹は俺に、生きる意味を残した」


レイヴンの目が揺れた。


「お前にも——痛みがあるんだろ」


レイヴンの眉が動く。


「……黙れ」


「リゼを失った痛みが」


レイヴンの装甲が震えた。


「お前に……何がわかる」


「わかんねえよ」


拳を構え、踏み込む。


「でも——」


**拳に全てを込める。

痛みも、記憶も、優しさも、教えも——全部。**


「お前の痛みも、抱きしめてやる!」


レイヴンが動く。

《アーク・イグジス》が唸る。


拳と刃が激突寸前——


**境界が揺れ、光が爆発する。**


**オレンジと銀が混じり、世界が白く染まる。**


その瞬間——


**レイヴンの“痛み”が、流れ込んできた。**


---


(──第3話『痛みの使い方』了)

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『境界線上のソウルギア』 @Souma_Minemori_

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