# ◆ 第2話「欠陥品」

暗闇の中で、最初に戻ってきたのは**痛み**だった。


鋭いのでも、鈍いのでもない。

腹の底で、じわじわと肉が引き寄せられるような——

**生々しい痛みの糸**が体の内側を縫っていく。


ぐちゅり、と。

肉が擦れ、皮膚が引き寄せられる感覚。


(……また、これか)


目を開ける前にわかる。

これは"治癒"じゃない。


痛みで、生きることを強制されてる。


腹に広がった熱がやがて形を持ち、

"傷口が閉じる"という現象として俺の意識に上がってきた。


——最悪だ。


息を吸う。

喉が焼ける。

乾いた血の匂いが、鼻を突いた。


うっすら目を開ける。


橙に濁った光。

崩れたビルの残骸。

鉄骨の影が、骨のように空を突く。


リアル特区の廃墟。

ここに生き返されたということ自体、悪い冗談に思える。


上半身を起こした。

腹の傷がざくりと広がり、そこにまた痛みの糸が走る。


その痛みが、かえって意識を覚醒させた。


黒いノースリーブの布が血で張り付いている。

左腕に巻いた妹の形見は、吸い込んだ血で重く沈む。

首の錆びた鉄片は、冷たさだけで俺を現実に縫い止める。


(生きてる……のか)


ポケットに硬い感触。

ミナのお守りだ。布の花刺繍。血がまだ乾ききっていない。


——時折、記憶の欠片がよぎる。エデンの白い部屋、父のような影。だが、すぐに消える。


(……誰も待っちゃいねえのに、何で捨てられねえんだ)


その時、声が落ちた。


「……目が、覚めた?」


振り向くと——

埃にまみれた銀髪、少しくすんだ青い瞳。


リーナだ。


けれど彼女は俺の顔ではなく、俺の**腹**を見ていた。


息が震えたように聞こえる。


「……あなた、本当に……人間?」


俺も腹を見る。


傷口が、蠢いていた。

赤黒い肉が盛り上がり、痛みの糸が皮膚を引き寄せる。

骨がぎしりと軋む。


ぐちゅ、ぐちゅ、と生々しい音が内側で鳴った。


(……そりゃ、そう言いたくもなるわな)


リーナは唇を噛みしめていた。

その目は恐怖なのか、哀れみなのか判別できない。


「動かないで、今……」


淡い緑光が彼女の手に宿る。

《メモリアル》。

痛みを和らげる記憶のコード。


光が近づく。


——触るな。


「触るな」


俺は反射的に手を振り払った。


乾いた血が破れ、赤い飛沫が舞う。

リーナの頬に散り、その表情が一瞬止まった。


血の跡の線を涙が流れ落ちる。


「……どうして」


「俺の痛みは、俺のもんだ」


リーナの目が揺れた。

その目は"失った者の目"だった。

俺と同じ色をしていた。


だがそれでも、彼女は踏み込んだ。


「あなた、死にたいの……?」


「さあな」


立ち上がるたびに、傷口が裂ける。

熱い液体が腹を伝う。


(痛い……でも、それでいい)


「お兄ちゃん……」


小さな声。


リーナの後ろからミナが覗く。

白いワンピースは茶色く血で染みている。

震えた手で布を握りしめ、俺の腹を見つめている。


「お兄ちゃん、痛い……の?」


答えられない。

答えれば壊れそうで。


代わりに、喉が勝手に動いた。


「……平気だ」


嘘でも言わなきゃいけなかった。


ミナは泣きそうに笑った。

リーナは沈黙のまま、何かを決めたような顔で袖を捲る。


白い腕に——長く細い傷跡。


「私もね……失ったの」


「妹を」


心臓が一度止まる音がした。

血の味が急に濃くなる。


「……お前も、か」


「うん。三年前。《浄化作戦》で」


リーナの声が震える。


「私はエデン側だった。……だから助けられなかった」


言葉が胸に刺さる。

ミナがそっと俺の布を握りしめる。


リーナの目は真っ直ぐだった。


「だから……わかるの。あなたの痛み」


「でも、その生き方じゃ——妹さんは、喜ばない」


胸が殴られたみたいに息が止まった。


笑顔。

泣き顔。

最期の、赤く染まった顔。


(……わかってるよ)


拳に血が滲むほど力を込める。


リーナが低く問う。


「それでも行くの……?」


「……ああ」


---


そのとき、ポケットの通信機が振動した。


ひび割れた画面に白い文字。


**『今夜だ。境界で待つ』**


レイヴン。


血が逆流する。

あの冷たい青の瞳が脳裏に浮かぶ。


(次は——殺す)


握りつぶす。

破片が掌に食い込み、血が滴った。


「行くの?」リーナが震える声で問う。


「ああ」


「死ぬよ」


「上等だ」


通信機の残骸を叩きつける。

散った破片が血を吸い、赤黒く光った。


「行かないで……」

リーナの声は掠れていた。


ミナが駆け寄り、俺のポケットにお守りを押し込む。


「……生きて」


その言葉だけは、背中に刺さったまま抜けなかった。


「……ありがとな」


俺は歩き始めた。


---


廃墟を進む。

血の跡が点々と続く。

汗が冷え、体温が奪われる。


でも痛みが熱を補うように燃え続ける。


やがて、酒場の黄ばんだ灯りが見えた。


扉の前に——

煙草の紫煙を纏う巨体。


隻眼の男、ガルド。


「……よお」


低い声が夜気を震わせる。


「死に損ないが、酒でも飲みに来たか?」


俺は止まる。

血が足元に落ちる音が聞こえた。


ガルドは一つだけ残った灰色の目で俺を見つめ、ゆっくり笑う。


「生きてたか……バカ弟子」


胸が熱くなる。

痛みの熱なのか、別の熱なのか判別がつかなかった。


「……クソ師匠」


「勝ち方を、教えろ」


ガルドは煙草を捨て、火を踏み消した。

ソウルコードが顕現する。


《アイアン・ウィル》

意志そのものを鎧に変える力。


全身が鈍い金属光に包まれる。


「痛みを武器にしたいなら——」


ガルドは懐から小さな金属片を取り出し、俺へ投げた。


錆び、血の跡がついた鉄片。


「……これは」


「お前の妹が、最期に握ってたモンだ」


握った瞬間、腹の傷より深い痛みが胸に刺さった。


ガルドは言う。


「レイヴンに勝ちてえなら……その痛みを、力に変えろ」


隻眼が光る。


「ただし——痛みに"飲まれんな"」


「痛みを、使え」


俺は息を飲む。

血の味が濃くなる。


「……どうすればいい」


ガルドがニヤリと笑う。


「簡単だろ」


拳を握る音が、夜の廃墟に響く。


「殴り合いだ」


「俺とよ」


---


**──第2話「欠陥品」了**

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