『境界線上のソウルギア』

@Souma_Minemori_

# **◆ 第1話「血の味」**

肺が焼けるようだった。

世界が赤く見えた。



喉の奥が潰れ、息を吸うたびに胸が軋む。

鼓膜の裏で、骨が擦れあうような音が鳴っている。

視界は赤黒く揺れて、世界の輪郭が溶けていく。


「終わりだ、未認証者(イレギュラー)」


空気そのものが一度だけ、冷えた気がした。

凍りついたような声が耳に落ちた。


レイヴン・アークライト。

エデンの《執行者》——無機質な青の瞳が秩序を守る冷たい殺しの手。


白いコートは無垢そのもので、血も泥も通さない。

銀のプロテクターが規律のように整い、青いインナーの光が冷たい。


この男は痛みを知らない。

肉が裂ける感覚も、血の重さも、息が詰まる恐怖も。


だからこそ、俺の首を握る指は機械みたいに正確で、容赦がまったくない。


呼吸が塞がれ、肺が焼ける。

目の奥で炎が弾ける。


(……クソが)


視界が暗転しかけた瞬間、

**あの日の"赤"** が蘇った。


——崩れたビル。妹の白いワンピース。


そして、腕の中で冷たくなっていく小さな手。


**——だが、彼女の意識は、エデンのデータ網に吸い込まれていくのを感じた。肉体は失われたが、魂だけが残されたような、残酷な感覚。**


「お兄ちゃん、ありがとう」


消えていく声。

小さな、あたたかい手の温度が冷たく変わるまでの、永遠みたいな数秒。

——静かに世界が壊れる音だけが残った。


あの時の赤が、今の俺の内側でまた燃え上がる。


胸が焼ける。息がしびれる。


まだ……生きてる。


(ふざけんな……)


喉が潰れかけでも、腹の奥で叫びが暴れ続ける。


「ふざけんなッ!!」


胸の奥が破裂しそうだった。


腕が震え、全身の血が逆流するような感覚に変わった瞬間——


---


「貴様のような欠陥品は、速やかに排除す——」


「……ああ? ガタガタうるせえんだよ、エリートがッ!!」


次の瞬間、右腕に爆ぜるような熱が走った。


皮膚が裂け、赤黒い籠手グラウンド・ゼロ——血を燃やして顕現する力が腕を包む。


血管が浮き出て、血そのものが燃えているようだった。


熱い。

焼けるような痛み。

皮膚が剥がれていく錯覚すらある。


でも、その痛みが——俺を生かす。


拳を叩き込む。


レイヴンの横腹に直撃し、鈍く重い音が響いた。

肉が裂ける。骨が沈む。


レイヴンが初めて、微かに目を見開く。


白い手が喉から外れ、俺は地面へ落ちた。

砂利が背中に刺さり、乾いた血が剥がれていく。


激痛で頭が割れそうでも、立ち上がらなければ死ぬ。


左腕の布——妹の形見が、血を吸って重く揺れる。


(立て……まだ死ねねえだろ)


膝が笑う。


それでも、立つ。


---


レイヴンが青白い光の盾とアーク・イグジス——痛みのない青白い刃を展開した。


秩序を守る剣。

そして、未認証者を切り捨てるためだけの武器。


「貴様は、秩序を理解していない」


「秩序? ……痛みを知らない奴に言われたくねえよ」


二人は同時に動いた。


拳と剣がぶつかり、火花が散る。

衝撃で肩が裂け、血が弧を描く。


剣が肉をえぐるたび、熱が全身を駆け巡る。


だがそれでいい。

痛みがある限り——俺は生きている。


「ぐ……っ!」


剣が腹を貫いた。


内臓がかき混ぜられるような痛み。

膝が折れ、呼吸が止まった。


レイヴンが冷たく告げる。


「秩序なき痛みは無意味だ」


無意味。


その言葉が、血より重く胸に沈んだ。


顔を上げる。

血が視界を赤く染めても構わない。


喉の奥が震えた。

抑えていた何かが切れる。


「無意味……?」


出た声は、獣みたいだった。


「この痛みは、生きてる証だ!!」


地面に落ちた血が蒸気を上げる。


「妹が死んだ証だッ!!」


叫びとともに《グラウンド・ゼロ》が再点火した。


焦げた匂い。

血が熱に泡立つような感覚。

皮膚が裂ける音。


痛みが力に変わる。


「てめえの秩序なんか、知るかよ!!」


レイヴンの青い瞳が、ほんのわずかに震えた。

機械のような規律が、一瞬だけ乱れる。


——彼の中にも、何かがある。


「……貴様」


刃が首元へ滑り込む。


冷たい。

ほんの少し触れただけで皮膚が裂ける。


「終わりだ」


その時——


---


「待ちなさいッ!!」


鋭い声が割り込んだ。


銀髪の女、リーナ。

淡い緑光メモリアル——記憶を光として使う術式をまとい、廃墟に降り立つ。


その隣には、小さな少女。

白いワンピースは泥と血で汚れている。

怯えた瞳が俺を映していた。


「これ以上は、させない」


リーナの目に宿ったのは、怒りでも恐怖でもない。


"痛み"だった。


レイヴンは剣先を下げた。


「……リーナ・フェルト。邪魔をするな」


「あなたは間違ってる」


レイヴンは短く息を吐き、剣を解いた。

光の武器が霧のように消える。


俺を見下ろし——氷の瞳で告げる。


「**境界で待つ**」


言葉の意味が分からない。だが胸がざわつく。

死にかけた脳に、その一言だけが焼き付く。


——現実と情報の狭間。死んだ痛みだけが残る場所。


「**次は、殺す**」


白い残光を残して、消えた。


---


崩れ落ちる。

血が地面に溢れ、熱が逃げていく。


リーナが駆け寄り、小さな少女も震えながら手を伸ばしてくる。


「お兄ちゃん、血……」


妹のことを思い出す。

喉の奥が焼けるように痛む。


「触るな……この痛みは……俺のもんだ」


《メモリアル》の光が俺を包む。

だが、魂が拒んだように弾かれる。


「ごめん……でも、死なせない」


少女が俺の手を握る。

小さな温かさが、血より強く伝わってきた。


視界が暗く沈む。


最後に聞こえたのは——妹の声。


『お兄ちゃん、ありがとう』


そして、レイヴンの声が蘇る。


「**境界で待つ**」


(……境界で決着をつける。逃がさねぇ)


血の味が、舌の奥で脈打つ。

まだ熱い。

まだ、生きている。


---


◆ **第1話「血の味」 了**

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る