第8話 再生
武が口を開いた。
「……。由奈さん、すみません」深々と頭を下げている。
「俺、自分の言動が暴力的だったり弱気だったり、ちぐはぐだし、恥ずかしいんです。みっともない奴だなと感じています」
由奈さんは否定も肯定もせず黙って頷いている。
「でも……俺」と、名帆のほうを向く武。
「俺、通院してきっと良くなるから、赦してほしいよ……名帆。そして、俺とやり直してもらいたい! 俺には名帆が必要だ」
それを聞いた名帆は、ひと呼吸置ききっぱり答えた。
「嫌です。武、あなたがしたことを赦さないし、わたしはあなたを……ごめんなさい、もう愛せません」
三人の間にしばし沈黙が続いた。
窓から見えるこんもりとした緑の森に夕陽のオレンジが輝いている。
三人の麦茶を継ぎ足す名帆。
「武、由奈さんに申し訳ないわ。もう、失礼しましょうよ」
「そうだね、名帆」
由奈さんは「僕は大丈夫だよ、でももう夕方だものね。武さんも名帆ちゃんも疲れているでしょうし、帰ったらいいさ。名帆ちゃん、鼻血はすっかり止まってるんだね?」
「はい、鼻血は止まりましたが念のために外科へ寄ります」
名帆と武は由奈さんの家を出た。
「じゃあ、ここで。名帆……名帆の気持ちはよく分かった。もうしつこく言わないさ。今までありがとう」
あっさりと別れを受け入れた武に驚いたが、他意がないことを感じ取った名帆。
「武、今までありがとう。……さようなら」
それぞれの帰り道を辿った。
翌週……武と別れてから、初めての由奈さんのサービスの日。いつものように家事援助の仕事をこなす名帆。でも、緊張している。
「名帆ちゃん……外科の先生はなんと仰られていましたか? 今日、大丈夫?」
由奈さんがこわばった表情の名帆を心配する。
「ごめんなさい、ご心配おかけして。先週帰りにすぐ外科へ寄りました。骨折などなくわたしは大丈夫です。ケガの理由を話すと先生が意見書を書かれました。何かの時の為に取ってあります。けれど、心配ないです。」
「そうですか。ひと安心だけど、無理はしないでね!」
「はい、ありがとうございます」
黙々と家事をこなす名帆。
そしてお掃除も調理も終わった。今日は由奈さんが焼き魚とお浸しを召し上がりたいとのことで、塩サバを焼き、ほうれん草のお浸しと具沢山のお味噌汁を作り、ご飯を炊いた。
名帆は……大胆にも今日、由奈さんに告白する気でいる。
「ン~、あと20分あるね、名帆ちゃん、紅茶を入れてもらっても良いですか?」
パソコンデスクから離れ、由奈さん。
「はい」
「名帆ちゃん、余計なお世話ですが……武さん、大丈夫ですか? 彼、とても辛そうだった」
「はい。武ならがんばれるはずです。あのあと穏やかに帰って行きました」
「そうですか」
(ン~……紅茶の良き香り。リラックスしてきたわ、ほんの少しだけ、ね)
キッチンテーブルの椅子に腰かける名帆。由奈さんは車椅子にすわり向かい合わせ。
由奈さんの……お顔、本当に端正で美しいな。それでいて滲み出る人間臭さがある、情がある表情。
「由奈さん……」
「はい」
名帆がいつになく、あまりにも緊張したムードだ。由奈さんは少し身構える。
「あたし……武と別れました」
「……あ! そうだったんですね」由奈さんの顔に憂いが滲んだ。
でも、そんな由奈さんに向かって名帆は続けた。
「あ……あたし、由奈さんのこと好きになっちゃったんです……」
「え? 僕を?」驚いている。赤面する由奈さん。
名帆にとっては、ちょっぴり意外な反応だった。だって由奈さんはエスパーだと思っていたから……。
「あ、あの、ぼ……僕、え? どうしよう。僕は……初めて逢ったときから実は、実は名帆ちゃんを スキ、でした!」
(キャ~~~~~~! 恥ずかしい! 嬉しすぎる)
名帆は、武のことを思うと確かに苦しい。でも、自分はしあわせになって良いと思う。
「あ、時間だ! 由奈さん……失礼しました、突然。お仕事中に あたしったらこんな……」
「ううん。嬉しいよ、名帆ちゃん。名帆ちゃん、このあと次のお仕事がありますか?」
「いえ、帰宅するだけです」
「じゃあ、もう少し居てもらっても良いですか……? プライベートで!」
ドキドキ……ドキドキ……。
「はい! 嬉しいです」
名帆は……さらに大胆な行動に出た!
車椅子の由奈さんの横へ近寄り、ひざまずき……そうして彼の肩に頭をのせた。
「ああ、名帆ちゃん……! 少し、離れて!」
(あ……嫌われちゃったかしら、あたし。こんな積極的な事……)
言われた通りに立ち上がり、由奈さんから離れる名帆。
すると由奈さんは、テーブルから車椅子を離し、名帆の正面を向いた。
「名帆ちゃん、もう一度言うよ。愛してる……」
その言葉にガマンできなくなり、もう一度床にひざまずく名帆。
ギュッ! 力強い由奈さんの腕に包まれた。
(ああ! スキでたまんない!)
ふたりは何度も、何度も唇を重ね合わせた。蕩けそうなキス。
――――それから半年。
『さみだれ』の契約者だった由奈さんは、名帆の婚約者になっちゃった!
あの日から数日し……あれだけおひとり様ライフを満喫していた名帆は、なんと! 由奈さんのマンションに押しかけ、引っ越しちゃったのである。
現在同棲中のふたり。
初めは呆れていた上司の北田さんも、今ではふたりの仲を喜んでくれている。
名帆は、ヘルパーの引き継ぎをしっかりとし、仕事を辞めた。まだ花嫁ではないが専業主婦のようなものだ。
初めて由奈さんのお父様、お母様に会った時(この人たちか……)と、由奈さんの悲しい話を聴いていたから、複雑な心境だった。
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