第7話 不良少年

(見ていられない……)


「辞めて下さい! 由奈さん。危ないからお座りになってくださいっ!」

「へ~、あんた立てたんだ」武の暴言はとどまることを知らない。

 酷過ぎる。


「武さん、見ますか? 私の足の断面を」

(え……由奈さん、なにがしたいんだろう?)


「どうなさったんですか?」名帆が由奈さんに問う。

「名帆ちゃん、僕はね、小学校やなんかに招かれて ” 広告業界について ” スピーチをすることがあるんです。みんな、『義足を履いて居る私の本当の足を見たい』って言うから、必ず交通事故の話を丁寧に聴かせて、『僕の足は今こんな形だよ』と言って義足を外してやるんです」


 武は「こいつなに言ってんの? イカレちゃったか」だなんてまた暴言を言う。

 しかしさっきよりは大人しい。


 由奈さんは続けた。

「反応はその子その子によりみんな違います。ある子は『おもしろ~い』と言ってキャッキャと嬉しそうにする。ある子は目を逸らす。また、ある子は『触っても良いですか?』なんて言うから触らせてあげます」


 武が横やりを入れた。

「で!? あんた、何が言いたいの?」

「素直が一番いいということです。武さんもある意味素直だと思います。でも、人を傷つけちゃいけない」

「ハ? 俺、名帆に謝ったし」

「謝ったからって済まされない事があるのよ」と名帆が話し始めると、「名帆ちゃん、失礼。……武さん、私はあなたに謝られていないし、とても傷ついていますよ」


 武はケラケラ笑った。「うわ、ダッサ!」

 名帆は……はっきりいって即座にぶん殴りたいぐらい武に腹を立てている。

 しかし、それをやっちゃぁ同じ外道に成り下がる。


「おい!」

 武は、片足で立ち必死でバランスを取っている由奈さんのほうへ近づいて行った。

(危ない!)

 バゴッンンンッ! ……武の拳が名帆の顔真っ正面に当たった。タラ――……。なにか鼻から水分が……。見ると衣類が真っ赤に染まっている。鼻血だ。その時は顔の痛みよりも、何が起こったのかと言う感覚と鼻血で慌てふためいた。


「名帆ちゃんっ!」と叫ぶ由奈さんがよろけたので、名帆はすぐに受け止めた。

「僕より、名帆ちゃんだ!」

 名帆は慌てて玄関近くのトイレットペーパーを鼻に詰めた。

 鼻血は少しし治まった。


「へっ! 厭らしい奴らだぜ! ホームヘルパーのサービスで何をサービスしてんだか!」

 ピリ! ……我慢ならない。

「黙って、武。これから警察を呼ぶわ」名帆は怒りと悲しさで気が狂いそうだ。


「おお! おぉ! 上等だぜ!『高校教諭が恋人と障碍者に暴力』!ってな、すげぇ記事になるぜ!」

「武さん、名帆ちゃんを愛してたんじゃないのか」

 車椅子にようやく座った由奈さんが武に言った。


「……ああ、好きだったぜ。でもよぉ……でも、ウッ、ウッゥ……」武が泣き始めた。

 子どものように泣いている。名帆は、武が演技をしているとは決して思わなかった。

 彼は苦しんでいる。


 でも吐いた言葉、由奈さんと名帆に振るった暴力は赦さない、と思った。

「待って、名帆ちゃん。警察を呼ばないで!」

 由奈さんが制止した。

「いえ、そんなわけには行かないです!」

「名帆……すみません、すみません、赦してください」


(また始まった! 赦せるわけないじゃん)


 すると、由奈さんが武に再び声を掛けた。

「武さん、僕の話を聴いてほしいです。良かったら、部屋に上がって戴けませんか?」

「え……?」武は不思議そうな顔をした。名帆もいったい何だろうと考える。


 結局、武は部屋に上がり、三人はキッチンのテーブルを囲んでいる。

「今、麦茶を入れます」

 松葉杖を持ってきた由奈さんが口にした。

「わたしがやります。あの……由奈さん、戴いてよいのなら、恐れ入ります」

「もちろんです、名帆ちゃん。じゃあお願いいたします」

「はい」


 武と由奈さんが向かい合い、その斜交いの椅子に名帆が腰かけた。

「僕は……」と由奈さんが始めた。

「僕はね、武さん……あなたに似たところを持っていました」

(え……?)

 名帆も武もキョトンとしている。

「僕の場合、武さんのように頭が良いわけではなく、中卒です。だから似てるのはそこじゃないんです。僕は当時勉強ができなくて、いわゆる不良……それも手の付けられない悪ガキでした。中学を卒業してもフラフラと悪さばかりしていました」

(え!? こんなに優しくて穏やかな由奈さんが?)

 驚愕しつつ黙って聴く名帆。武も真剣な表情で聴いている。


「両親ともに、喧嘩っ早く勉強ができない僕の事を早くから諦めていました。こいつはダメな奴だって。悲しかったです。意地を張って『悲しい』だの『さびしい』だの決して言いませんでした」

 武の目に涙が滲んでいる。

「僕は今、武さんを説得したいわけじゃないです。思い出して……ただ、自分の苦しかったことを思い出して、聴いてほしいだけ。聞いてもらっても良いですか……? 名帆ちゃん? 武さん?」

 二人は黙ってうなずいた。


「中学を卒業して何年も経ちました。ハタチになっても僕はろくでもない人間でした。で、そんな僕のことを見かねた先輩が『父親が運送会社を経営しているから、トラックに乗らないか?』と持ち掛けてくれたんです。僕はろくでなしでも車が好きで普通免許を持っていた。運転が大好きでしたからすぐに入社させてもらいました。そこで、社会の厳しさを初めて知ったんです。のちに、必死で大型の免許も取ったのですよ」


 武と名帆は、静かに麦茶を戴きながら由奈さんの話に聴き入っている。

 名帆は、由奈さんの背景が見えてきて……なるほどな、と感じている。きっと人の何倍も嫌な目に遭われたんだろう、努力されたのだろう……と。


「運送業の右も左も分からない新人時代、ある時……僕の運ぶ荷物の入った段ボール箱を理由もなく、蹴とばして笑い合う二人組先輩が居たんです。イビリです。僕は……カーッときて! 真面目に仕事をする以前の僕自身の血が瞬時に沸き起こりました。殴ってやろうと思いました。……ところが、社長、つまり親友のお父さんがちょうどそこに居て、僕が手を出しそうになるのを羽交い絞めにして止めてくれたんです」


「あのぉー」武が問いかける。

「なんですか、武さん」

「由奈さん……由奈さんはどうやって、攻撃的な性格から今のような穏やかな性格に変わられたんですか?」

「アハハハハ!」いきなり笑い始める由奈さん。「失礼! 今なら笑えます。ひと言でいえば『根性』です。社長に羽交い絞めにされたその日から、アイツを怒らせるとキレるから面白いだなんて噂になったんですよ。それで、ど――――ぉしても、あいつらを黙らせてやる! ってね、暴力依存を歯を食いしばり卒業しました」


 武は何か考えさせられているようだ。

 名帆は、男の人としてだけじゃなく、人として由奈さんを尊敬できる人だと感じた。

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